さんせう太夫(説経節)とは
以前にも東洋文庫読んだ『説経節』の一話である『さんせう太夫』(東洋文庫では、『山椒大夫』と書かれている)をもう一度読んでみた。
話は知ってはいるものの、いまいちイメージがわかず、【 さんせう太夫(説経節)】を調べてみることにした。
土曜に前進座の演劇を見旅程なので、それまでにわたくし自身のイメージを固めておきたいと、焦っている(笑)
さんせう太夫(説経節) ⁅さんせう太夫(山椒大夫―安寿と厨子王の物とは⁆ (ウィキペディア)
説経「さんせう太夫」は、高貴の身分の者が人買いにたぶらかされて長者に売られ、奴隷として辛酸をなめた後に、出世して迫害者に復讐するという物語である。
高貴のものが身を落として試練にあうという構成の上からは、一種の貴種流離譚の体裁をとっているが、物語の比重は、迫害を受けるものの悲哀と苦しみに置かれており、故なき差別や暴力への怨念に満ちたこだわりがある。
中世の日本には、支配する者とされる者との間に、厳然とした溝があり、過酷な対立があった。
そして、支配される者の底辺には、譜代下人と呼ばれる階層があり、支配者に身分的に隷属して、奴隷のような境涯に甘んじていた。
かれらは、人にはなれぬ製外者(にんがいしゃ)として扱われ、支配者による搾取のほか、苛烈な差別を受けていた。
さんせう太夫(さんしょうだゆう)(山川 日本史小辞典 改訂新版)
「山椒太夫」「山荘太夫」とも。
説経節の一つ。
岩城判官(いわきはんがん)正氏は無実の罪で筑紫に流され,その妻と子の安寿と厨子王は,赦免を乞いに京をめざす。
その途中,越後で人買いにだまされ,丹後由良の長者山椒太夫に売られ酷使される。
姉弟は脱出をはかるが露見,弟だけがのがれ,姉は死ぬ。
厨子王はお守りの金焼(かなやぎ)地蔵の霊験で危機を脱し,摂津国天王寺の童子をへて,梅津院の養子になる。
帝に謁見できた厨子王は事情をあかし,父の所領を回復。
丹後国も賜り,太夫らに復讐する。
その後,盲目となっていた母を捜しだし,金焼地蔵でなでると開眼したので,丹後に地蔵を本尊として寺を建立。
森鴎外「山椒太夫」で著名になった。
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