乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

97;『観世流謡曲百番集』『謡曲百番集』より 謡曲「殺生石」 ←絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」

2014-09-22 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本
(2011年09月24日  蕎麦畑 背景の紅は蕎麦の茎。なんだか物悲しい色に感じる。今頃、そばの花は咲いている頃だろう… )




  97; 『観世流謡曲百番集』『謡曲百番集』(新日本古典文学大系 緑)より「殺生石」



 
 『観世流謡曲百番集』540-551
 『謡曲百番集』   441-446




 新日本古典文学大系によればもとは絵巻物から能楽につくり変えられたとのこと。

 Wikipediaには絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」と記されていた。

 能楽の「殺生石」の筋書きは省略させて頂きます。





 殺生石 伝説  (Wikipedia)
 鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体をあらわし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。

 その後、至徳2年(1385年)に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。
 玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は多くある。
 一般に美作国高田(現岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現新潟県上越市)、安芸国高田(現広島県安芸高田市)、または、豊後国高田(現大分県豊後高田市)と言われている。
 また、飛騨に散った破片が牛蒡種に、四国に飛来したものが犬神になり、上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキになったともいう。
 岡山県真庭市勝山には、玄翁の開山による化生寺境内に、殺生石の石塚が存在している。

 また、これも玄翁の開山とされている、福島県白河市表郷中寺、常在院境内にも、殺生石の破片と言われる石が祀られており、玄翁の座像と、殺生石の縁起を描いた絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」が伝えられている。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本・スイス国交樹立150周年... | トップ | 『天理市立黒塚古墳展示館』... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本」カテゴリの最新記事