乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

キャンドバーン 1 /4  (17景)

2011-01-27 | イラン2007~2010(6回)







                  キャンドバーン 1

                 (イランのカッパドキア)








 2010年冬、キャンドバーンに訪れました。

 キャンドバーンはイランのカッパドキア、小カッパドキアとよばれています。

   カッパドキア
   カッパドキアの朝
   カッパドキアのボディガード



 キャンドバーンはイランでは三つの奇村とよばれています。

 但し三奇村という名はイラン人が言っているのではなく、もしかすれば、日本人が付けた名かも知れません。

 三奇村は次の通り。

   キャンドバーン

   アブヤネ土の家に住むアーリー

   マスレのおじいさん(残念!独立した記録がなかった)


 キャンドバーンはイランのテヘランの北西に位置するタブリーズからさらに南に30キロ。
 
Kandovan Rd2という道路を長時間 車で走り。キャンドバーンにようやく到着。

 


 わたくしの説明よりも、まずはわかりやすい地球の歩き方を載せたいと思います。







 さてさてキャンドバーンを二泊し,自然と村の美しさに堪能したわたしは、気を良くして写真を整理をしていましたら、その数何と70枚。

 阿呆です、わたくし。一気にはUP不可能ですので、何度かに分けて記録したいと思います。

 写真がだぶってしまう場合は、お許し下さい。

 

 皆様、いつもありがとうございます。

 ざっと雰囲気を味わっていただけましたらうれしいです。










































 最後まで見て下さいまして、ありがとうございました。

 感謝申し上げます。





                       2010年12月 キャンドバーンにて

           
                       つづく










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2011年 松竹座 壽初春大歌舞伎 昼の部 『玩辞楼十二曲の内 土屋主税』『男の花道』

2011-01-26 | 歌舞伎





 2011年  大阪松竹座  壽初春大歌舞伎 昼の部

     『玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)』『男の花道(おとこのはなみち)』










 一月十七日、ひとり観劇。一月十三日に家族と見た夜の部に続き、今回は昼の部。

『吉田屋』の余韻がまだ消え去らぬ内の観劇だった。


 

 まずは『玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)』

 翫雀さんと染五郎さんが熱演。そして 橘三郎丈が二人を引き締めていた。

 橘三郎丈のいつもの女形とはまた違った味が、印象深く、今も口調は心に残る。

 好きな三人がトライアングルで歌舞伎らしさで楽しませてくれた。

 うん、おもしろかった。

 翫雀さんも染五郎さんもあっぱれじゃ。しっかりと歌舞伎に仕上がっていた。 

 よかったよかった きゃははは は




 待ってました、御両人

 藤十郎丈と幸四郎丈の『男の花道(おとこのはなみち)』、これ見たさに昼の部を見る。

 感動した、そして おおいに 泣いた。なじみの芝居で思い通りに事は運ぶが、涙が筋となって溢れ出た。

 藤十郎丈と幸四郎丈のクレッシェンドとデクレッシェンドと特徴的な間の撮り方が、芝居の広がりに奥行きをのせる。

 昆布だしとカツオだしが効いた旨味のある煮物のようだ。

 
 ただ、惜しい点がふたつ。役者さんたちには関係ない部分であった。

 一点は舞台大道具のつなぎの間がのびていた。

 二点目は芝居『男の花道』の芝居の性格からして当然だが、歌舞伎らしさが薄い。流される音楽が小芝居・大衆芝居のような気分にさせる。これはつらい。大音量のスピーカーから流れる品の感じられない音。これは、歌舞伎を見に行ったという満足感が失せるような気がして、口惜しい。役者の演技は良い。スピーカー音楽をオペラやバレーのように演奏を生にするとか、或は いつものように三味線や鼓などで工夫するとか、何とかならないのだろうか…。わたしは小芝居・大衆芝居は(芝居が上手い劇団であるならば)一概に嫌いではない。しかし、『男の花道』を見て、そんなようなことを感じた。

 繰り返すが、役者は良かった。好きな役者さんばかりだった。

 

 辛口、御免!

 そんなこんなで、なかなか感想を書く気になれずにいた。
 
 ああ!『吉田屋』をもう一回みたいなぁ!!!





 帰り,ロビーには藤間紀子さんがいらっしゃった。

 いつもながら、美しい。

 女性の鏡のように品の良い藤間紀子さんは、わたしのあこがれの女性だ。









昼の部

一、玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)
 俳諧師の其角(きかく)の家に、赤穂浪士の一人、大高源吾が仕官が決まった暇乞いに訪れます。其角が詠んだ「年の瀬や水の流れも人の身も」という上の句に対し、源吾は「あした待たるるその宝舟」と附け句をして帰って行きます。
 その夜、吉良邸の隣、土屋主税の屋敷で行われた句会で其角から昼間の一件を聞いた赤穂贔屓の主税は、源吾が詠んだ下の句の意味を探ろうと思案するうちに、その真意を察します。やがて隣家の吉良邸から太刀音が鳴りわたるのを聞いた主税は、喜び勇んで要所に高張提灯を灯し、赤穂浪士へせめてもの力添えをするのでした。
 「玩辞楼十二曲」の一つで、吉良上野介の隣家に住む旗本・土屋主税の屋敷が舞台となる忠臣蔵の外伝物です。翫雀が勤める土屋主税の、内心で討入りを待ち望む心情表現が見どころです。


二、男の花道(おとこのはなみち)
 歌舞伎の女方、加賀屋歌右衛門は、失明寸前のところを旅の宿で出会った蘭方医の土生玄碩(はぶげんせき)の手術によって救われます。固い友情で結ばれた二人は、刎頸(ふんけい)の交わりを確かめ合い、後の再会を誓って別れます。
 数年後、当代一の人気役者となった歌右衛門の元に、やむを得ぬ事情から、今すぐ歌右衛門に来て欲しいと苦境を知らせる玄碩からの手紙が届きます。折しも今は舞台の最中。役者にとって何よりも大事な舞台と、大恩人の狭間で悩む歌右衛門。決断を迫られた歌右衛門が取った行動とは・・・。
 映画で評判を取り、昭和三十七年に初めて舞台化された作品です。江戸時代の人気女方歌右衛門と、将軍の侍医にもなった名医土生玄碩はともに実在の人物で、二人の男の友情を描いた心温まる名作です。
 藤十郎が当たり役の歌右衛門、幸四郎が初役となる土生玄碩という話題の配役にご期待下さい。




昼の部


一、玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)

  第一場 向島晋其角寓居の場
  第二場 土屋邸奥座敷の場

                  土屋主税  翫 雀
                  大高源吾  染五郎
                   晋其角  橘三郎
                  落合其月  薪 車
                  侍女お園  扇 雀


二、男の花道(おとこのはなみち)

  第一幕第一場 東海道金谷宿なる旅籠松屋の店先
     第二場 同 裏の部屋
     第三場 同 奥の離れ
     第四場 同 奥の離れ
     第五場 元の松屋の店先
  第二幕第一場 茶屋むさし屋の二階座敷
     第二場 山谷堀の料亭万八の離れ
     第三場 中村座の舞台
     第四場 元の万八の離れ

               加賀屋歌右衛門  藤十郎
                万八女将お時  秀太郎
                加賀屋歌之助  染五郎
                加賀屋歌五郎  錦 吾
                 田辺妻富枝  吉 弥
                 加賀屋東蔵  竹三郎
                田辺嘉右衛門  翫 雀
                  土生玄碩  幸四郎







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イランの 川と木

2011-01-26 | イラン2007~2010(6回)



           イランの 川と木
            









 以前に

  イランに川はあるのでしょうか?

  イランの川を見てみたい

とおっしゃって下さいました方がいらっしゃいました。

 今までにも何枚かの写真は載せていましたが、キャンドバーンで凍てつく川を見ましたので,今回は独立して川と木だけでご紹介したいと思います。

 見ていただけましたら、うれしいです。















 キャンドバーンの名水は有名で、遠くからイラン人が水を汲みにきます。

 これは日本と同じですね。

 キャンドバーンの店には大きな水用のタンクが売られています。








 下の写真はイランの冬の木です。

 暑さ寒さに絶え,たくましい感じが致します。













 見て下さいまして、ありがとうございました。

 次回はイランのカッパドキア(トルコ)といわれているキャンドバーンをご紹介したいと思います。









                  2010年12月  イラン キャンドバーンにて







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7; 『ペルシャ文明展  煌めく7000年の至宝』図録  2006年から2007年度

2011-01-25 | 読書全般(古典など以外の一般書)





 2011年度 7冊目  




 『ペルシャ文明展  煌めく7000年の至宝』図録



 



 2006年から2007年度





 複数回読んだ『ペルシャ文明展  煌めく7000年の至宝』図録だが、昨日時間をかけて楽しむ。

 欲しい情報はここにはなかったが、リュトンなどのおもしろさ美しさに見とれる。

 イランは美術品(古い生活品含む)& 遺跡& カーペットにおいては素晴らしいと思う。


 今朝 Jさんのページで東京国立博物館展示の美しいガラス椀(大阪羽曳野 伝安閑陵出土)のお写真を拝見させていただいた。

 ありがとうございました。


 奈良でも出土されているガラス椀は色々と話題になっているが、ガラス椀は本当に色々夢が膨らむ。

 頭がこんがらがってくるので、美しいと思いながら思い出して今までに撮りためた写真を見ておこう。

 歴史の苦手なわたしには、疑問の解決の糸口がない。きゃはは




 
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「アゼルバイジャン博物館」で見た銀化した美しいガラスたち  (8枚)イラン北西部

2011-01-24 | 美術・文様・展示物





            「アゼルバイジャン博物館」で見た銀化した美しいガラスたち






 わたしはアーブギーネ博物館(ガラス陶磁器博物館)で古いガラスを見てからというもの、金色銀色に色彩が変化にしたガラスが好きです。

 わたしが好きという理由で、「アゼルバイジャン博物館」で見た銀化しサーサーン朝時代のガラスたちを記録したいと思います。

 かなり手振れした写真ばかりですが、見ていただけましたら、うれしいです。

「アゼルバイジャン博物館」ではノーフラッシュカメラOKです。




























 

 
                     2010年12月

                     ザンジャーン(イラン北西部)   「アゼルバイジャン博物館」にて





 




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「アゼルバイジャン博物館」  銀化したカットグラス(左)と土色に変化したカットグラス(右)

2011-01-24 | 美術・文様・展示物









                    「アゼルバイジャン博物館」


        

             銀化したカットグラス(左)と土色に変化したカットグラス(右)







「アゼルバイジャン博物館」で見たガラスの中にも、教科書にも載る正倉院宝物の白瑠璃碗(はくるりのわん)に似たカット椀がある。

 実はこの椀を見てここ数日間ひとり疑問を抱え込んでいるが、とるに足りない疑問かもしれないと、今朝は気楽にガラスたちを記録することにした。

 この椀はサーサーン朝時代のもの。

 こういったカットグラス(椀)はわたしの見た限りでは 日本では正倉院展、シルクロード交流館(奈良),古代オリエント博物館(東京)東京国立博物館(常設)、イランではイラン考古学博物館、アーブギーネ博物館(ガラス陶磁器博物館)でもみることが可能。

 日本に展示されているカットグラスはイランのものに比べ、保存状態が良いと感じる。


 イラン考古学博物館(テヘラン)でもアゼルバイジャン博物館でも、カットグラスは半透明の美しいものと土色のものと両方ある。

 わたしはこの半透明のガラスが好き。

 サーサーン朝時代といった気の遠くなるような月日を経てガラスは金化或は銀化したのだろうか…。


 カットグラスの輝きはやわらかで、辺の空気を吸収しているように見える。

 現在のように電動カットペン?の無い遠く遥か昔にガラスをカットするのは大変根気のいる作業だったような気がする。

 幾何学文様でびっしりとカットされたこれらの椀の美しさ。

 日本に渡ってきたとき、これを見た人々はどのような感想を持ったのか…。

 これを考えるとここ数日のわたしのカットグラスへの疑問に対する葛藤など、小さなものだとにんまりと笑う。

 うれしい悩みだ。

 




 
                     2010年12月

                     イラン ザンジャーン   「アゼルバイジャン博物館」にて








 
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John Dowland

2011-01-23 | 舞台・音楽 雑感メモ



  今日は ひまさえあれば、

  John Dowlandを聴くよ。

  ただ、それだけ…







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雑 

2011-01-23 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 有休消化のため、木曜の夜から子供が戻る。

 数日間わが家の味の料理に追われる。

 母親のうれしい忙しさ。

 今回息子を含めての食事は、あと二回。

 今日の夕方、会社の寮に向かうこども。

 おみやにほうれん草のオムレツを持たせよう。

 






           写真は「若宮還御(わかみやかんぎょ)祭」

           ほうれん草のオムレツ

                材料をゆで、いため、たまご&チーズでまぜて,オーブンで焼く。超簡単なイタリアンオムレツ。

                 基本  ほうれん草、たまご、チーズ、バター、香辛料

                 加えて今回は    ブロッコリー、チキン(ささみ)、くるみ






              
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私の好きなラスター彩の皿や壷    アゼルバイジャン博物館(タブリーズ)にて (7枚)

2011-01-22 | 美術・文様・展示物





 先日Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age.で書きました わたくしの好きなラスター彩。

 初めて見た時から心ひかれておりました。

 その後、加藤卓男著のラスター彩遊記 『砂漠が誘う』(日本経済新聞社)を読み、その気持ちは一層深まりました。

 加藤卓男さんはイランでは現在では不可能だったラスター彩を、あれこれと工夫して再現された陶芸家です。



 ウィキペディア(2011年1月21日現在)によれば ラスター彩は次のように書かれています。

 ラスター彩(ラスターさい、Lusterware)とは、焼成した白い錫の鉛釉の上に、銅や銀などの酸化物で文様を描いて、低火度還元焔焼成で、金彩に似た輝きをもつ、9世紀-14世紀のイスラム陶器の一種。ラスター(luster)とは、落ち着いた輝きという意味。
中国建窯の、曜変・油滴・禾目などの天目茶碗は、この影響を受けて作られ、ラスター現象が見られる。




 元々はテヘランにあるイラン考古学博物館で見たラスター彩をガラスとともに興味を持ちました。

 今までにラスター彩の皿や壷は

     東京国立博物館(西アジア・エジプトの美術)(写真あり)

     イラン考古学博物館(テヘラン)

     アーブギーネ博物館写真1枚(テヘラン)(写真あり)
     アーブギーネ博物館写真3枚(テヘラン)(写真あり)

     ソルターニイェ廟(ザンジャーン州)(写真なし)

で見た事があるが、今回見たタブリーズにあるブルーモスクすぐ側の「アゼルバイジャン博物館」は素晴らしいものが多く、うっとりと見とれてしまいました。

「アゼルバイジャン博物館」はノーフラッシュでカメラはOKです。

 ここでは「アゼルバイジャン博物館」ラスター彩のその一部ですが、 みなさんに見ていただきたくて、記録することに致しました。

 手振れした写真が多いですが、ご興味のある方に見ていただけましたら、うれしいです。





 アゼルバイジャン博物館前です。

 アゼルバイジャン博物館には前にも中にも横空き地の墓石の展示空間には、イランのイーゼで見たおびただしい数の動物の形の墓石と同様の墓石を見ました。














 
    
     
 
  

     





 最後まで見て下さいましてありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。





                   2010年12月  イラン  「アゼルバイジャン博物館」(タブリーズ)にて











 
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初弘法  (京都 東寺)

2011-01-21 | お出かけ






 一月二十一日、本日当日(東寺の)初弘法。
          
 東寺境内の露天では、骨董品やガラクタを物色する方も多い。

 東寺は京都の南の方。弘法大師・空海ゆかりの寺で、この日は京都の人に『こうぼうさん』そして『はつこうぼう』と慣れ親しまれている。

 だが、その実数回も行った事が無い弘法市。

 年の初の市とあって、露天商の数は大幅に増える。

 近くには古い映画で有名な羅生門(跡)があるというが、恥ずかしい事に、まだ行った事は無い。


 数日たった一月二十五日には北野天満宮で『てんじんさん』『はつてんじん』が行われる。

 こちらは菅原道真。「和魂漢才」…

 北野天満宮にも何度かは参ったので、このわたくしでも 少しはおつむにリハビリが効いているのかしらんとは思うが、この程度。

 これが、現実。


 私の好きな安部公房。

 音同じくして初弘法には毎度思い浮かべる。

 
 冬至の日、日本では柚湯に入り、カボチャを食す。

 イランではこの日は西瓜を喰らう。

 
 東寺の仏像は素晴らしいと、この歳に思う。

 通う程に見れば良かったと後悔航海 島根の夕日。







                    写真は2007年 島根県の夕日




 
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Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 3(16景)タブリーズ

2011-01-20 | イラン2007~2010(6回)







           タブリーズ 3   鉄器時代の墓地跡博物館 内部


          Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age.








 ブルーモスクのすぐ近くにある鉄器時代の墓地跡の博物館の最終回は,墓地跡博物館の内部写真を記録したいと思います。

 わたしには考古学の知識が無いのでもったいないとは思いつつ、興味深く時間をかけて見学させていただきました。

 ここを見学している一時間半程の間に見学に訪れたのはイラン人グループたったの二組。

 博物館管理の男性も、イラン人旅行者入場の度に監視されていましたが、私たちには余裕で二人きりにして下さっていました。

 おそらく余りの時間の長さに、閉口されていたのではと、今もって申し訳なく感じています。



 タブリーズのブルーモスクはアゼルバイジャン博物館の近くです。

 実はブルーモスクのすぐ横には、近代的モダンな建物があり、中に入るとガラガラ。

 この近代的な建物は、当初デパートにする予定だったのですが、掘りおこすと鉄器時代の墓地が見つかったとのこと。

 スロープも整ったハイセンスのデパートの建物内には旅行社風オフィースなどが二、三あるだけで、あとはがらんどうの店舗続きです。

 ブルーモスクからこのデパートに一旦入ったあと、モスク裏のような下町風町並みのある方向のドアに出て少し歩くと、鉄器時代の墓地跡の博物館画あったように記憶しています。


 8年前に発見された鉄器時代の墓地跡は写真のように人骨と副葬品が出土したままの状態で保存されています。

 彫られた土の壁面には番号や印がつけられ、また高さに応じてと気が展示されています。

 どこからどういった土器が出土したかが、一目瞭然でした。


 又人骨のまわりには石で囲まれており、遺体(骨)のまわりには土器や装飾品や日常必要とされるものを置かれていたようです。

  これは左の説明の最後の行に書かれたような意味があるのだと感じました。

 これは日本の古墳の状態に似ています。

 ただ日本のように鏡や土場やその他の魔除けになるようなものが置かれていたのかどうかは、残念ながらわたしには分かりませんでした。

 また、遺体(人骨)のまわりには石で囲まれていましたが、朱塗り(水銀朱や漆)は認められませんでした。

 Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age.2で記録しましたように、人骨の大きさは、現在のヒトよりも長身(見た感じが私たちよりも随分大き)なものが多く、驚きました。

 また極端に小さな骨もあり、子供と思われるものもありました。



 ここの近くにあるアゼルバイジャン博物館にはわたくしの好きなラスター彩の器などがありましたので、機会があれば記録したいと考えています。

 このアゼルバイジャン博物館に、鉄器時代の墓地跡を再現したコーナーがありました。

 ここにも人骨が置かれ、彫ったあとの土の高さによる出土土器が分かりやすく示してありました。

 初めにアゼルバイジャン博物館を見たあと、現地の親切な方々のご指導で 墓地跡博物館の内部を見られた事は幸運だったと今も喜んでいます。



 最後になりましたが、ご指導等承りました親切な皆様や関係者の皆様に、心より御礼申し上げます。

 ありがとうございました。






 タブリーズの墓地博物館 内部に入って、すぐ右手。ここからあとは写真だけでご案内します。












































 最後までおつきあい下さいまして、感謝申し上げます。

 ありがとうございました。



           2010年12月   タブリーズ  鉄器時代の墓地跡博物館 内部にて




                  Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 1
 
                  Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 2

                  Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 3










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Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 2(6景)タブリーズ

2011-01-20 | イラン2007~2010(6回)
 




 前回記録したブルーモスクです。




 ブルーモスクをあちこち人づてに歩くと、このような空間があります。

 現地でも案内はほとんど気づかない程のもので、私たちも迷いながら 結局親切なイラン人の方に案内していただきました。


 写真の階段を下り、すぐ左横は鉄器時代の墓地博物館事務所。

 写真を撮っている背中側(後方)が、墓地跡です。




 かなり大切に保存されています。

 案内板の左横の階段から中に入ります。




 入り口の説明です。




 英語部分だけを、拡大してみます。

 墓地の広さも書かれています。

 わたくしは注目したのは、最後の文。

 ここにも書いたように、日本の古墳の意味合いに通じるように感じます。




 墓跡の内部には、こういった人骨が多く残されています。

 人の大きさは今の人より長身であったり子供と見られる小さなものまでありました。

 次回、墓地の内部のようすを記録したいと思います。

 全三回で、タブリーズの墓地の内部の記録は終わる予定です。

 見ていただけましたらうれしいです。






            タブリーズの墓地の内部に つづく


            2010年12月     

            イラン タブリーズ ブルーモスク近くの 墓地跡にて
           






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Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age. 1(2景)タブリーズ

2011-01-20 | イラン2007~2010(6回)






           タブリーズ 1   ブルーモスク


      Museum Site of Blue Mosque- Cemetery of lron Age.








 
 タブリーズではアルゲタブリーズやゼルバイジャン博物館やブルーモスクに加え、ブルーモスクすぐ横にある鉄器時代の墓地の博物館を見た。

 この古い墓地をみることが出来たのは、私たちにとっては幸運。

 ガイドブックには載らないこの博物館の当時のこの地に住む人々にとっての意味合いは、時代が下って、日本の古墳の意味合いに通じるものがある。

 わたくしは年に何度かは古墳を見る機会に恵まれているので、死後の世界を夢みて遺体を安置されたこの墓地が興味深く感じ角かもしれない。

 まずはごく簡単にブルーモスクのようすを記録したい。







 ブルーモスクはタブリーズに限ったものではない。

 イランのエスファハーンを初め、色々な所に見られるし、有名なところではトルコのイスタンブールにも立派なブルーモスクがある。

 タブリーズのブルーモスクは 1469年に建てられましたが、一部を残して多くのタイルが地震で落ちてしまった事は残念です。



 ブルーモスクの隣にはゼルバイジャン博物館(パーレビ国王)がありますが、こちらにはわたくしの好きなラスター彩の器が多く展示されていました。

 ゼルバイジャン博物館についてはイラン考古学博物館(テヘラン)でも見られないようなリュトンなどもありましたので、記録は今後の課題としたいと思います。

 まずは何度かに分けて、日本ではなじみの少ないタブリーズの古い墓地のようすを記録したいと思います。
 









                タブリーズの古い墓地に つづく


                2010年12月  イラン タブリーズ   ブルーモスクにて









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雑   2/36

2011-01-20 | 乱鳥徒然 Rancho's room.





 きのうは更新を怠ってしまう。

 そのせいか,拙内容のせいか、ご来場数400を割ってしまう。

 ここはひとまず、ぽれぽれ 今読んでいる本なと書いて、その場を凌いでおこう(といった安直なわたし)

 我ながら ちとはずかしと頬赤らめるが、指はキーボードを打ち続ける厚顔ぶり。

 こんな事におつきあいいただく皆様には、心から感謝。ありがとうございます。




    「芦屋道満大内鏡」  竹田出雲 並木宗輔 『浄瑠璃集』  岩波緑 93

    『室町戦国期の文芸とその展開』  伊藤慎吾 (尊敬している先生のお一人)

    『説教節』 東洋文庫

     奈良関連旅行書 数冊



 いつもながらの併読乱読。

 まだ若いのに、年々記憶力の薄れるわたし。読んだ直後に忘れるのがつらい。

「芦屋道満大内鏡」などはなじみの演目だが、この本に基づく通しで見た事は無い。

 説明によると第二、第四が演じられる場合が多いそうだ。

 知らぬ場を書物を通して楽しむ事が出来るのは、非情にありがたい。

 台詞抑揚と音楽は文字を通して鳴り響く。

 この遊びは今年はしばらく続きそうだな^^



 早いもので、今年も2/36が過ぎ去る。

 これはうかうかしてはいられない。

 今年はまだ34/36は残っている!

 冬来たりなば春遠からじ

          …とはいえ、何も悩みは無い。

 表面上滑りに、「冬来たりなば春遠からじ」と言ったまでの、 いつもながらの単純さ。

 今日も楽しい時間をつなぎあわせていこう☆

 さて今日は何をしようか……






 



 
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グロテスクリアリズムな ・・・大好き、楽しい大阪  in 道頓堀 (11景)

2011-01-18 | お出かけ





                  グロテスクリアリズムな   ・・・大好き、楽しい大阪 in 道頓堀





 わたくしの好きな井波律子さんのマネをいたしまして、「グロテスクリアリズムな   ・・・大好き、楽しい大阪  in 道頓堀」なぞといったド派手なタイトルをつけてしまいましたが、実は楽しい大阪らしい道頓堀。

 ここ最近、カニやフグに加えて出っ張りものモニュメント看板が、これでもかこれでもかと急に増えてまいりました。

 わたくし、相当うれしゅうごじゃりまする。


 わたくし,店側のこの策略にまんまと引っかかり、ブログに記録。

 せめてもの心のささいな反抗と致しまして、
『店名はほぼ書いてやらないよぉ!』
と、心に誓っておりまするが、さて どうなりますことやら。


 説明ほとんど無しで、ささっといきまする故、よろしゅうお願い申し上げたてまつりまする。

 見ていただけましたら、うれしいです。





 これからの写真は全て道頓堀通りです。




 ウシの視線が気になりまするが…

 ウシを真横にこの朗らかさは なんぞい?




 見得をきる、わろた あかおに




 鬼と龍が関所の千日前




「ねぇ、お父ちゃん。ラーメン食べさせてぇなあ~。」
の標識(?^^)がある、ラーメン店。




 有名なカニ店の一つ。足が動くよ。

 その左横には最近参戦の串カツ屋。




 この親父さん、赤井英和さんとお友達デンガナ。




 有名なフグの店と、そこそこ有名なフグの店。




 なんてインパクトのあるネーミングでしょう。あっぱれじゃ!

 道頓堀の空は青い。




 すごいな、このグロテスクリアリズム。




 ダントツの一位で、あっぱれぱれぽれとポレポレ散歩致しましたわたくしでごじゃりました。


 
 すこーんすこーん こめだんご






                                  2010年1月17日   大阪道頓堀にて









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