「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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妄想の不思議

2006-03-09 | ●介護録(~2015.2月)
母の妄想はいろいろある。
わかりやすい妄想は、新しく出来たお店の紹介なのに「この間行ってきた」とかテレビのニュースがそのまま自分のことに置き換わるとか、病院のドラマを見ていると親戚の誰かが入院していることになるとか、そんなこと。

不思議と思うのは、妄想の8割くらい占める「自分が困った状況に陥っている」という類。
これはたちが悪く、いつまでも思い詰め、そのまま徘徊につながったりする。

「困っている妄想」には大体三つの型がある。
「町内、知人に何かを頼まれたが日時も場所もわからない」隣人頼まれ型。
「子供(実子または預かった子)がいない」迷子捜し型。
「おばあちゃんの面倒や実兄妹、義理兄弟のトラブル」の親戚つきあい型。

その時々で細かいストーリーがあるけどよく分からない。言葉はちゃんとしているのだけど、つじつまがあってない、5W1Hがメチャメチャ……どうしたらいい?と聞かれても返答に困る。

そして、そのときの母は、世界一不幸な悲劇の人。自分はどうしてこんな目に遭うのか、なぜいつもこういう羽目になるのか嘆き悲しむ。
当然、相手が悪いという話にもなる。
「全部、自分で作ってるじゃん」と、思いっきりつっこみたいけど、言えばもっとひどいことになるので、大抵は聞こえないところでブツブツ言う。

どうして、自分を窮地に陥れる妄想を自ら作るんだろう?
自分にとって都合のいい妄想、なんでも知ってて何でも経験してて…というのは人間としてなんとなく分かるけど、困る妄想を自ら作り出すメカニズムは不思議