ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
ある日、母が、すでにパシャマ姿になってからトイレに行くといって靴をはき出した。私は玄関の母に「トイレはここだよ」と指し示す。当然、母のプライドが傷ついた。
「このまま行ったら汚れるでしよ」という。そりゃ、靴のままだと困る。
「靴を脱いだらいいよ」というと
「足が汚れる」という。
「トイレは裸足で入れるから大丈夫」と言っても、まったく受け付けなかった。
あげく、外に行って電柱の所で用を足すとか、ほかの家に借りに行くと言い出した。
マジに外で用を足されては…と思うと引き留めに力が入ってしまった。
それに、生理現象なのだからこのままガマンしても困る。
なんとかトイレに入ってくれたけど、方法が分からないかもれしないと心配になり、チラッとのぞいたら、私は「とても嫌らしいひどい人」にされてしまった。
結局、母のイライラを募らせた。「あんな所はトイレてばない。あそこでは出来ない。汽車に乗ってMまで行って用を足してくる。こんな所にはいたくない」などなど……。(実際は寝てしまいましたが)
トイレが分からない、というから「ここだよ」と教えれば、自分がトイレが分からなかったということを認めたくないようで「ここでは出来ない」という理屈を言う。
認知症の難しさ。認識力・理解力は低下しても感情や感性が同じように低下しないこと。
「説得は無理。納得させるように。本人に合わせよう。無理や強制は×。」
理屈は知っている。だけど、目の前でパシャマ姿でトイレのために外へ行くと玄関で靴まで履いてたら…どう?マジで電柱で用を足しても、よそのお宅に入っていっても、本人のしたいように…と言ってられる?
世間がみんな、「認知症だから容認しましよう」となっているならいい。
専門家さん、「認知症者の問題行動はすべて仕方ないことなので、どんなことをされても容認し、けして怒ったりせず、また、介護している家族その他々にも謝罪や補償を求めず、快くうけいれなさい」とでも告知してくださいな。法律でも作ってくださいな。
こんなこと言ったら、「本人のしたいようにといってもケースバイケースです」なんて言うのかな。「危険が伴う場合は別です」ってね。
まぁ、その通りだし。私の言ってることは極端だ。
ただ、思わず力んで「トレイはここ」と言ってしまった自分に、これは間違った対応だと思いながら「電柱でする…なんて言われてわらってられるの!」と叫びたくなったのでした。