「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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関西気質??

2006-03-20 | ●介護録(~2015.2月)

今日はとても風が強い。

我が家にやってきたヘルパーが「私は大大丈夫だったけど、○○子(母)さんならとばされるかもよ」と言うと…

「足の裏から釘出してるから大丈夫」と母。

 知らなかった、ロボットだったか……。つっこみどころだ。

 昔の母はこういうタイプではなかったのに…理性という扉が少しずつ壊れていって潜在していた関西人のノリが表出しているのかしら?

母も実は大阪のオバチャンだったのね


『夜と霧』

2006-03-20 | ▼ユルユル日常
一年時のゼミでこの本を読んだ。18歳…衝撃的。ナチスドイツ、ユダヤ人の迫害……言葉としての知識程度しかなかった私は、「アウシュビッツ」という収容所の名さえ知らなかった。
とにかく内容が深いので、語る言葉が見つからない。

今回この本をここに挙げたのは、本のレビューというより、そのゼミでのことを書いてみようかなーと思ったから。

何しろ、一年坊主、たいしたことも語れないのだけど、ゼミなんで、何かしら語らねばならないわけで……。

ある日、私は、「本を読むことで、その悲惨な現実を想像することは出来るけど、本当の痛みは分からない」というようなことを発言した。
私としては、正直に、現実に体験してみなければ本当の辛さなど分からないだろう…とおもったわけデス。
まさか、この一言に教授が反応するなどおもってもいなかったのだけど、「本当にそう思うのか」と念をおすように…いえ、「君は本当にそう思っているのか、それでいいのか」と疑問…というより批難?でもされているようなムードで突っ込まれた。

ビックリして絶句しそうだったけど、正直な気持ちだったので肯定した。その後の教授とりやりとりがどうだったか覚えていない。

時々、このことを思いだす。
そして、もしや私は教授に「本当の痛みは分からないから、仕方ない」「意味がない」「理解出来ない」と、そこで思考停止し、メッセージを受け取っていない、何も感じ取ろうしていない…と思われてしまったではないか…と、今は思うのデス。

私自身、もちろんそんな気持ちではなかった。経験しない痛みに鈍感なまま何も思考せず、何も感じず、自分には関係ないのだ…なんてそっぽを向いたつもりはない。
だけど私は、「痛みが分からない」と言い切ってしまったんだろうか。だったら思いは伝わらないってことだ。

例えば、友人の中には、介護未経験の立場でどんな言葉を言えばいいのか分からない……と伝えてくれる人もいる。

今の私は、「介護のあれこれを特に分かっていなくったって構わない、経験しなきゃ実感出来ないのは当然で、言葉なんてきにしないで。ちょっと声を掛けてくれるだけで十分」と思う。

痛みや苦しみや辛さが想像であってもいいと思う。そこで、感じることを、考えることをやめないで、拒否しないで、受け止めようとすればいいんだから。

あのときの私は言葉が足りなかったのだろう。

本当の痛みは分からなくても一生懸命、強く「思っている」こともある。