「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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行政の窓口って…。

2006-03-30 | ●介護録(~2015.2月)
少し前の新聞で「母親の介護で仕事をやめた男性、ローンを抱え生活がままならなくなり、車中生活の末、亡くなった母親を、誰かに弔って欲しくてトラックの荷台に置いた。」という記事を見た。お決まりのように「こうなる前に相談してくれたら」と関係者の談話。
そう、確かに、SOSを発してくれなければ分からない。

でも、いつも同じこの台詞になんだか腹が立ってしまった。
こんなふうに福祉の網からこぼれ落ちた事件がどほどあった?
なのに、同じ台詞繰り返して、窓口のあり方、対応の仕方、見直してみたことあるんだろうか?
自らsosを発しないから仕方なかった…でいいのかな。
sosを発しさえすればホントに助けてくれたのかな。

私が初めてSOSを発した相手の市の保健課。あのとき、「介護保険課」の存在は知らなかった。
なぜ、「保健課」の保健師は「介護保険課」での相談を示唆しなかったのか。

そして、最近、思い出したのは、その「保健課」に最初に電話した時の
「よく自分から電話してくれましたね」という保健師の言葉。
自分からSOSを発したからエライのか?褒めてるのか?
そちらから言ってきてくれてありがとうと感謝でもしてるのか?
その割には、その後のフォローがゼロだったんだけど…。

そんなコト言ってないで、行政のあり方に不備はないのか?とか、考えてほしい。

年配の人には他人に迷惑かけたくない思いの強い人もいる。
いざとなると、いったいどこに最初に相談すべきか分からないこともある。
突然やってくる介護状態に、気持ちに余裕もなく、人手がないと、家も空けられないとか、普通の状態では想像しにくい現状もある。

もっとSOSを発信しやすいシステム考えてもいいんじゃないだろうか。何課に言えばいいの、なんて迷うことなく、あそこに連絡付ければなんとかなる…というような…。

もし今私が、知人に「身内がどうもおかしい」と相談されたとしたら、行政はではなく支援センターを勧めると思う。

介護保健課って、役所の端っこのほうにある。窓口らしい窓口もない。
通路(というより、課と課の間)に向けて二つ机が並んでいるので、ここが窓口なのか…という程度。
看板らしい看板もない。
いくつかの課(福祉系の)がそのフロアに並んでいるから、目的の課はどこなのかわかりにくい。ウロウロしていても、職員はみんな無視。
立ち話しているくらいなら、右往左往している高齢者に一声かけてほしい…っていうか、私も掛けて欲しかった…。