「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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徘徊…そして…

2005-07-17 | ●介護録(~2015.2月)
私、夏風邪です。微熱はひきましたが鼻と咳がしつこいデス。みなさんも気をつけてね~。

さて、北海道もかなり暑い日が続いているわけですが、↑のように体調不良だというのに(+月に一度のアレも重なりお腹も痛い)、母は炎天下の中、徘徊へ。当然、私は後追いです。

ことの始まりは、ランチにと家から二分のパン屋のカフェコーナーに向かったこと。ついたテーブルにメニューがなく(セルフなので)母が店員のいるレジに向かった。メニューを貰いにいったわけで、特に心配もしてなかった私。
母が戻るより先に、別なテーブルの方が持っていっていたらしいメニューを戻してくれたので、私はメニューに見入ってました。
……あれ、お母さんどこいった?いつまでたっても戻ってこない母。

母は家に戻ってました。手にはメニューを一枚持って。
「お店のメニュー持って出ていったらダメじゃないの。バックも置いたまま、なんで一人で店を出るの」私は切れました。
結果、母の不穏を招き、西へ西への徘徊。私がまいた種なんで文句も言えないけど、この暑い日にこんな体調で歩かされイライラが募る…しかも、昼抜き…
「水くれぇ~」状態で歩く私の手にはさっきの店のメニュー(--;)
「これ、返し行かないとならないんだ…私」と思うと、ますますイライラ。

しばらく歩いたところで、声をかけてみた。
「なんでついて着たの」母、鬼の形相。用事があるという。
「じゃ、どこかでお昼食べてからにしたら」と私…玉砕。あなた食べて帰りなさい…母の言い分。
よく「お茶を一杯のんでから」などと言うことで気持ちが変わるというけれど、母が完全に徘徊モードで歩き出している時には効果はゼロ。むしろイロイロ声を掛けられることがわずらわしくなり、「ストーカーだ」などと言われる始末。

私はここで母を捨てた。
家に向かって歩いた。まだ昼だし、なんとかなると思うことにして…。30mくらい歩いて一度戻ってみたが、すでに母の姿は消えていた。

家に戻り大量の水を飲み干して、パンをお腹に入れ、さて、どうしたものか…。
もう一度捜してみようか…?でも、母は鍵を持っていないから、入れ違いになったら困る。だったら私は家にいて、親切な誰かか警察から連絡が来るのを待つ方が利口?二時間たっても帰らなかったら、M町までタクシーで行った可能性も高くなる…そしたら、M町交番に問い合わせよう…。
頭の中でシュミレーション…。
その中には、この暑さで日射病とか脱水症状になって倒れたりして…なんてものあった。脱水症状になれば不穏が激しくなるかもしれない…それが一番の恐怖。入院したら認知症だから24時間つくよう言われるよー……などなど頭を駆けめぐる。

そして、母と別れて約1時間と15分後、母、自力にてご帰還。
その時の私、なんの感慨もなかった。
あ~やっぱり自力で帰ったか~ただそれだけ。疲れた。

快挙?!とショックと…

2005-07-16 | ●介護録(~2015.2月)

木曜の夜…なんと母がシャワーを浴びた!!
家でお湯を使うのは今年初めて。ひよっとして一年ぶりくらい??

こんなこともあるんだね~~と、私は感慨深い。
シャワーを使うこんな当たり前のことが、嬉しいなんて、そんな自分がかわいそう~~(T_T)

けれども、その翌朝。
「何を着ればよいか分からない」と母。
着ている寝間着(ネグリジェ型)のまま、私のパジャマのズボンを履いている。…シヨックだった…が、来るべきモノが着実に近づいている、と冷静にも考えられた。

「そのスボンは脱いでストッキングはいて」と言ったとき「ストッキングってなんだっけ」と聞き返されけど、下着と服を母に渡すと、どうやらスイッチが入ったらしく、いつもと同じ調子でサッサと着替えだした。
今朝も特に問題はなかったが……。

               ☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆

昨日から始まった新しい場所でのデイサービスも問題はなさそうだ。私はまだ実際に見学したことがないのだけど、定員は10人、職員3人で一人をみる態勢。一軒家を使い、昼食のための買い物にも行き、職員と一緒に食事を作ったりもする。家庭的な雰囲気で、それまで使っていた「センター」という感じの場所より、母にはよいかも。      迎えも職員一人。普通の自家用車。昨日、今日と強い拒否は出ていない。
これは推測だけど、複数のスタッフがやって来て(+うちの場合ヘルパーが入っていたわけで…)2対1とか、3対1で「行きましょう」と言われるより、たった一人が普通の車でやってきて(私服姿だし)誘うという形の方が受け入れやすいんだろうか?

アルツハイマー型の場合は、大勢の人と、うわっーと盛り上げた環境の方がヨイと言われている。母を見ていても、ヘルパーが元気いっぱいのハイテンションで顔を見せることで、それまでの不穏がパッと切り替わるので、そういう対応は○なのだと思う。
でも、母は、なんでも忘れるのに、なんとかバスに乗ってもらうために「それじゃ、一度センターにいって上の者に話てくれますか」とスタッフがいうと「この前もそういったけど約束を破られた」なんていうことがある。そして「複数でズルイ」などとも…。
こんな母の場合、大勢でテンション上げて…というのが裏目に出ることもあるかもれしない。

 



 

 

 


五分で乗れ!?…冗談でしょ!

2005-07-13 | ●介護録(~2015.2月)
病院併設デイケア「J」(以下J)が言った。

「五分でバスに乗れない日は自宅に」
あなたの母親は迎えに時間がかかりすぎ迷惑だからそういう日は休みなさいということだ。

デイサービスは「契約の時間は責任もって預かります」だが、
デイケアは「これは医療行為。スムーズに遂行出来なければ意味がないのでお帰りください」ということ。
医療と福祉のスタンスが違うのは一年近くの経験でよく分かったけれど、その上でなお大いに文句がある。

リハビリだと認識している方なら「迎えが来たらスムーズに乗ってください」もいいだろう。
20分以上かかったら…ならまだ受け入れられる。だけど五分って何?五分って!!

認知症者の多くは病気の自覚がない。行きたがらない人も多い。そんなことは承知だろうに、自分たちの都合でプロクラムに支障をきたす患者を排除するのか?!
「あらゆること」を想定して態勢を作るべきではないのか?

分かっていてやらない?…だとしたら患者の切り捨てだ。
ある介護先輩の経験から聞いた話、「患者をふるいにかける」ということが実際に行われているらしい。

昨年も
「ヘルパーが役に立っていない」と、利用二回目でそう言われた。
その時はケアマネとJが話し合い、ヘルパーの入る時間帯見直しと不穏時には安定剤を飲ませるという取り交わしをした。

私は、Jも理解してくれたのだと思っていた。でも違った。Jにとって母は、ずっと手の掛かる患者だったのだ

先々週「10分早くお迎えにいけます」という知らせが連絡袋に入っていた。
ヘルパーのことがあるので、具体的に何時になるのか問い合わせた。
「新規に人が増えたし、ヘルパー入るお宅は今まで通りにする」という。
翌週は確かに以前とほぼ同じ時間帯だったが、今週は20分早く連絡が入った。
「ヘルパーが来たらすぐに外に出て待っていろ」という。(冬じゃないからいいけどさ)
そして、「五分以内に~」を告げられた。
私は、そちらも時間の約束を守ってくれていないと訴えた。
Jは「お休みの人が出るとルートが変わるのだから仕方ない」という。
だったら、こっちも「時間がずれたらスムーズにいかなくても仕方ない」って言わせてもらう。
内科もあるのに、血圧が低くなっても診察もしてくれなかった。

こんなJのせいで、私は泣き、怒り、悩み、ストレスを強めた…バカみたいだ。

デイケアが本当に必要なのか?デイサービスだけではいけないのか?
市の相談員に勧められるままに申し込んだJのデイケア。考え時ってことだろうか。



アジアシリーズなんてのがあるの?!

2005-07-11 | ■ファイターズ

プロ野球・アジアシリーズ、特別協賛にコナミ (読売新聞) - goo ニュース

思わず力入りますよ。
だって、だって、ひょっとしたら トラがトラがアジアの王者になるかもしれないじゃないですか~。
(このままコトが進めば間違いなくセリーク゛の覇者。星野阪神で出来なかった日本一にだってきっとなってくれるはずと信じているもんね♪)

燃えるわ

中国では北京タイガースが優勝してアジアリーグ出場を決めたとか。(もう決まるの?まだ七月なのに)
日中タイガース対決なんていかが?

しかし、アジアリーグ…日本勝って当たり前って雰囲気もある、プレッシャーあるだろうな~。
もしも、もしも、トラが出て行って、もしも、もしも……考えるのはやめておこう。

 


介護詩5 愛憎

2005-07-10 | ●介護録(~2015.2月)

母がつじつまの合わないことをいい続けると、イライラし腹が立つのは「悲しい」から

「なんでこんなことになってしまったの」と心が泣くからだ。

「なぜ私を忘れるの」と心が叫ぶからだ。
世界中が敵になっても最後まで味方をしてくれるのは「親」のはずだったのに。

「優しく接しよう。受け入れよう。母に合わせて演技しよう。」
「否定してはいけません。不安な心を理解してあげましょう…心はいつも生きています。」

…私の心も生きています。

作り話の数々を簡単に楽しげに笑って受け止められるのは、それはあなたが他人だから。
多弁になって無邪気に騒ぐ母を「○○子さんは楽しい方ね」と言えるのは、それはあなたが他人だから。

私は悲しい。
「愛」と「憎」が全身を駆けめぐり、「理性」のかけらでせき止めるのに、いつも努力を必要とする。

私は悲しい。


白い家具

2005-07-10 | ▼ユルユル日常

いつの頃からか「部屋を白くしたい!」と思いはじめた。
多分、引っ越した先の壁がアイボリーで(それ以前は古い家で暗かった~)
そして、父が亡くなってから悪いことばかりに直面したせい。
部屋が白くなれば気持ちも多少は明るくなる??

使ってる家具は木目調。近くのホームセンターに走り、厚さ二ミリ程度のシートを買った。
オフホワイトで薄く模様が入っているそれを、ジョキジョキ切り、ユニットボックス横三つ並びの天板の上に置いた。
その他うまくはまりそうな所はこのシートをドンドン使った。
古い電気スタンドも白ペンキで塗った。
扉なしボックスの目隠しもアイボリーの布にした。
ベッドカバーも座布団カバーもアイボリー(セシールでリーズブル!)

でも一つだけ、うまく変身させられない家具がある。もう10年以上使い傷もいっぱいあるチェスト。
ペンキを塗る自信もないし、この際、買い換えようと、ずっーーーーと捜していた。

そして、やっと見つけた!!
フェリシモのカタログにアイボリー調のユニットボックス!!大きさもピッタリじゃないですか。
バリエーションは少ないけど、作りもしっかりしてそうだ。
いいね、いいね……
でも、さすが、モノがヨサゲだとお値段も高いわ。悩みどころ。


人生相談?!

2005-07-09 | ●介護録(~2015.2月)

昨日の午後「チビ(子供)がいない」という妄想が出て、話が展開。

母「あっちの家にチビがいるんだけど、どうしよう」
私「今の時間なら学校じゃないの(小学生くらいかと思い、言ってみた)」
母「学校に行ってないんだ」
私「行ってないの?まだ小さいの?」
母「高校一年生」
私「どうして行ってないの」
母「なんでか知らないけど学校に行かないで家にいる」

…私が「学校に行ってない」と話を進めてしまったからだろう、その子供は登校拒否していて、今後どうしたらいいだろうかという流れになった…
母「先生に連絡しようかしら」
私「本人になぜ学校に行ってないか聞いたことある?」
母「ないの」
私「じゃ、一度じっくり話し合ったら……ナンタラカンタラ~」
その後、高校は義務教育ではないし……と、私の人生相談は続くのであった…。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~

さて、今朝は朝から徘徊。デイの送り出しヘルパーさんが来るまで20分もある。「ゴミの日だから、ゴミ集めなきゃ」などといい時間稼ぎ…でもやはり20分は保たなかった。
センターに
を入れ、ヘルパーに連絡を取ってもらうよう頼み、母を追った。朝から激疲れ~


デイが増える。

2005-07-08 | ●介護録(~2015.2月)
デイサービスを現在のセンターから別なところに移り週四回利用することに決まった。(デイケアと合わせて週5回お出かけとなる)
来週、面接・契約し15日から利用開始。
理想は現在のセンターで回数を増やすことだが、空きがない。
新しいところに移るのは不安だが、(不安なのは私だけで母には関係ないのかも)認知症専門ということで、その点ではヨイのかも。

あれこれ考えることがあると落ち着かない。
母一人でこんなこといってる私…多重介護状態の介護先輩はどんなだろうか…と思いをはせる。

昨日O病院へ支払いに行った。いつもはNetで銀行振込だが、保険証をずっと持っててない…と思い出かけた。
結局、保険証を見せるのは忘れたので意味ナシ…

O病院では入院患者さんが、待合室や玄関に自由に出入りしている。やはり重度だから一見してそうと分かる。言葉は悪いけど、ウロウロ…だったり、ボッーとしていたり…。
やっばり、一見、不思議な世界。幼い子供には「不安」や「怖さ」を与えるかもしれないなーと思った時、昔のこと思い出した。

まだ小学校に行く前よく遊んだ友達のお姉さんが脳性マヒだった。歩くことも出来ず、よだれをたらした状態で、ほふく前進で、私達が遊んでいるところに寄ってきた。
何も話せないその彼女とコミュニケーションは出来なかった。だけど彼女が側にいることを嫌だと思うこともなかった。
子供には順応性や現実をそのまま受け止める力がある様な気がする。
あのとき、自分がもう少し大きかったら、あるいは、誰か一人(大人か年上の人が)間にいてくれたら、何かが変わっていたかもれしないなぁ~~なんて思う。

プシュッと一押し?!

2005-07-05 | ●介護録(~2015.2月)
今日は雨模様です。
母は寝ています。明日はショートの予定で、自分の予定もいれたのに、まさか、風邪でもひいたのか…と、ちょっと不安です。

そんな状態なので、お薬も飲んでくれません。
毎日、薬には苦労してます。
自己管理は当然出来ないのに、私が手を出すことは嫌う母。
自尊心を傷つけないように声かけするのは、結構大変。かけたところで、すぐに飲んでくれるわけでもない。
デイの朝は、わざと送り出しヘルパーの前で薬を出します。
他人が「飲んだ方がいいよぉ~」などと一言入れてくれると割と素直に飲む母…(´ヘ`;)ハァ

だからいつも思う。
「スタートレック」のドクター・マッコイが使ってたペンシルみたいな注射器。
服の上からでも、腕に当ててプシュッとやるとそれで完了のアレ。
誰か作って~~!!