ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
3月21日は「春分の日」で祝日。
これはもしかして、日本が優勝するために整えられた舞台ではないのかな……なんて思いながら試合を見た。
熱いイチローを見られたことも収穫。
けれども、あれこれ問題も残した大会。
アメリカ主導、審判、組み分け、投球回数、なぜか試合前にアメリカ国家が流れる。韓国の立場になってみれば、六勝しているのに決勝に行けないという理不尽な感覚。
でもとにかく「アジアは強かった」
韓国とのピキピキした関係……。イチローの「屈辱」発言は確かにインパクトが強く、ブーイングも仕方ないかな。
あえて悪役になったと評価する人もいるし、あれはいけないという人もいる。
ただ、純粋に勝負に負けたという点から見れば「悔しい」のは当然で、相手が韓国でなくても、2連敗すればイチローにとっては屈辱だったのかもしれない。
歴史的にも先を走っている立場としてほかのアジアの国には負けたくないという思いもあるだろうし。
さらに、韓国は「日本にだけは負けない」という態度でくるので、特に意識していなかったこちらも意識せざるを得ない環境にあるような……。
だからといって、それをストレートにああいう場で発言するのは果たしてどうなのか…とも思うけど、スポーツでは、相手を挑発する態度に出るというのもよくあること。
それが、日韓の場合、言葉は悪いけど「たかがスポーツ」の域を越えてしまうという現実。(日本からすると、そんなつもりはいなのに…ってカンジだけど)
この際、日韓交流戦でもなんでもいいから、もっと頻繁に韓国との試合をやったらいいんじゃない?
盛り上がると思うし、勝ったり負けたりしていれば、一つの試合にそんなに目くじらたてることもなくなるんじゃないのかな~~甘い??
北海道の平均視聴率は49%で全国1。(最高視聴率は60%!!)
寒かったからみんな外出ひかえたんじゃないかな~なんて思うんですけど……。
今日はとても風が強い。
我が家にやってきたヘルパーが「私は大大丈夫だったけど、○○子(母)さんならとばされるかもよ」と言うと…
「足の裏から釘出してるから大丈夫」と母。
知らなかった、ロボットだったか……。つっこみどころだ。
昔の母はこういうタイプではなかったのに…理性という扉が少しずつ壊れていって潜在していた関西人のノリが表出しているのかしら?
母も実は大阪のオバチャンだったのね
ある日、母が、すでにパシャマ姿になってからトイレに行くといって靴をはき出した。私は玄関の母に「トイレはここだよ」と指し示す。当然、母のプライドが傷ついた。
「このまま行ったら汚れるでしよ」という。そりゃ、靴のままだと困る。
「靴を脱いだらいいよ」というと
「足が汚れる」という。
「トイレは裸足で入れるから大丈夫」と言っても、まったく受け付けなかった。
あげく、外に行って電柱の所で用を足すとか、ほかの家に借りに行くと言い出した。
マジに外で用を足されては…と思うと引き留めに力が入ってしまった。
それに、生理現象なのだからこのままガマンしても困る。
なんとかトイレに入ってくれたけど、方法が分からないかもれしないと心配になり、チラッとのぞいたら、私は「とても嫌らしいひどい人」にされてしまった。
結局、母のイライラを募らせた。「あんな所はトイレてばない。あそこでは出来ない。汽車に乗ってMまで行って用を足してくる。こんな所にはいたくない」などなど……。(実際は寝てしまいましたが)
トイレが分からない、というから「ここだよ」と教えれば、自分がトイレが分からなかったということを認めたくないようで「ここでは出来ない」という理屈を言う。
認知症の難しさ。認識力・理解力は低下しても感情や感性が同じように低下しないこと。
「説得は無理。納得させるように。本人に合わせよう。無理や強制は×。」
理屈は知っている。だけど、目の前でパシャマ姿でトイレのために外へ行くと玄関で靴まで履いてたら…どう?マジで電柱で用を足しても、よそのお宅に入っていっても、本人のしたいように…と言ってられる?
世間がみんな、「認知症だから容認しましよう」となっているならいい。
専門家さん、「認知症者の問題行動はすべて仕方ないことなので、どんなことをされても容認し、けして怒ったりせず、また、介護している家族その他々にも謝罪や補償を求めず、快くうけいれなさい」とでも告知してくださいな。法律でも作ってくださいな。
こんなこと言ったら、「本人のしたいようにといってもケースバイケースです」なんて言うのかな。「危険が伴う場合は別です」ってね。
まぁ、その通りだし。私の言ってることは極端だ。
ただ、思わず力んで「トレイはここ」と言ってしまった自分に、これは間違った対応だと思いながら「電柱でする…なんて言われてわらってられるの!」と叫びたくなったのでした。
確実な歩み…崩壊に向かって
けして緩むことのない進行
昨日より今日、今日より明日
それは着実に進んでいく
だけど進行の痛みは母には向かない
すべて私だ
それは鋭い牙をむいて突き刺さる
毎日、毎日…
突きつけられる現実
逃れられない現実
全部受け止めて、見つめて…
私はそんなに強くない
戦い方もしらない
でも
進行は止まらない