がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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日本人という概念

2010年04月18日 | ・徒然日記

「今日の龍馬伝」のコーナー。

 

とうとう「日本人」という概念が出てきました。

日本人・坂本龍馬の登場です

 

松平春嶽候に

「では、お前は何者だ」

って聞かれたときに、出てくるかな?と思いましたが、

うーん。溜めましたねー。

 

トータス松本のジョン万次郎もなかなか良さげ♪
(でも雰囲気、弥太郎とちょっとかぶってる?(笑))

軍艦操練所登場★ということで、海に浮かぶ船の写真。
あの日に撮ったヤツ)

帆掛け舟だとより様になったのですが…

コメント (4)
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百十踏揚行脚~勝連城跡/城壁~

2010年04月18日 | ・『百十踏揚』を読ム

そろそろ「百十踏揚行脚」記事も書いておきましょう。

ネタは色々たまってるのに、こんなマニアックなトピックはいかが?(笑)

 

■勝連城跡/城壁■


「仰せの通り、この勝連城は難攻不落でござる。この城壁を、誰がよじ登れましょうや」

と、屋慶名も相槌を打った。

「まこと、この城壁、上から覗くだけでも、身が竦む――」

と、言葉を添えてきたのは南風原であった。

口調に酔いはなく、

「昔は、この上に立って、逆立ちなどして、肝試しをしたものだが、
今や老いて、気も弱くなり、覗くだけでも怯んでしまいますな」

などと、気弱なことを言う。

ここで逆立ちか……下は切り落としたような数十丈の絶壁。

そうか、そんな肝試しなどを、南風原らは若き頃にはやっていたのか……
と、加那が感心していたとき、

突然、茂知附按司がムキになって、

「お主らも、まこと気弱くなったものじゃのう。
それとも、わしへの当て付けか。わしをも老いたと思うているのじゃろう。
隠居のことなぞ、チラつかせておるからのう。どうじゃ、南風原」



茂知附按司は自分の言葉にさらに酔いが絡んで、

「わしを酔いどれの老人と侮るか、お前たちは。
わしは、その名もとどろく、勝連の按司ぞ。
まだまだ若き如きには負けぬぞ。見ておれ」

言うや、いきなり立ち上がって、ふらつく足取りで城壁の方へ歩いていき、
城壁へ手をかけてよじ登ろうとした。

「按司添の前、危のうござります。今宵は風もありますれば…」

兵が手を差し出したが、

「何の、これはわが城ぞ。わが城壁ぞ。何ぞ、怯むことやある。構うな」

 

「百十踏揚 184-」より (与並岳生著/新星出版)

阿麻和利の前・勝連城主、茂知附按司についての場面です。

今に伝わる茂知附按司の最期は、

阿麻和利の策略によって、城壁から突き落とされ死亡した、

と言い伝えられています。

―――が、それもこれも阿麻和利=悪モノとして仕立て上げるための
一伝説、とも取れなくもないですが。

で、そういう現在も残る言い伝えや風評も踏まえつつ、
与並岳生さんの書く「百十踏揚」での阿麻和利像は、
実に納得のいくものばかりで
うなりっぱなしです。

 

というわけで、勝連城跡、一の郭の城壁をご紹介しました★

この日は黄砂に煙る日で見通しは悪かったですが、
「絶壁」という感じはわかっていただけるかと。


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