がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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求ム、大阪情報

2011年01月02日 | ・徒然日記

…よく考えたら、5日後は大阪だ!

シゴトだけど早入りして
1日だけ観光する時間を作りました。

大阪から日帰りで京都…
もしくはおとなしく大阪内を観光するか…。

どこか「和」や「歴史」や「日本美術」を感じられる
移動が手ごろなオススメ観光地ってありませんか~。

寺、城、歴史館、博物館、庭園、史跡など!!

やっぱり大阪城とか、行っとくべき?

 

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その後の大城賢雄

2011年01月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

あ~、鼻水が止まらない…

年末に掃除してたら出てきた落書き。
(なんか…手がおかしい?っていうか持ち方おかしい(笑)。分かってまーす)

「月下に語る」のつながりもありますし、
ちょうどいいので賢雄のその後(史実)、ご紹介しまーす♪

 

1458年秋の「護佐丸・阿麻和利の乱」後、
賢雄は破格の大出世を果たします。

勝連グスクから持ってきた戦利品の中から
阿麻和利の「錦緞衣装」や勝連グスクの「門楼」を賜ってます。
(阿麻和利の刀も、という説も)

衣装はともかく、門までもか!
(ここでいう門は、首里城の門みたいな4本足の櫓付き門をイメージすると良いかと)

っていうか、門を解体して首里まで運んだんだ…。

で、それにとどまらず、
なんと越来城主に栄転です。
(※史書には越来間切総地頭・越来親方と記載されてますが
この役職名称は後世のスタイルであり実際には城主と考えられる)

越来城は尚泰久が6代目の王となって首里に登る前に済んでいたお城。
つまりは王子クラスの由緒ある御城であったわけです。

王の側近とはいえ一武将だった人が王子格のお城の主(按司)になりました。

そんでもって、
百十踏揚との再婚。

この再婚がいつかは分からないのですが、
尚泰久王の計らいもあるでしょうし、
尚泰久王没後は王位継承のごたごたがありますので
(※長男・次男は護佐丸の血を引く孫ということで遠ざけられ、側室腹の、尚泰久から見れば三男の尚徳が即位)
再婚は尚泰久存命中だと考えられます。

で、尚泰久が亡くなるのは1460年6月(病没だとか)。

護佐丸・阿麻和利の乱からそうたいした時間を空けずに
ふたりが再婚したことが分かります。

ちなみに賢雄、
百十踏揚と再婚するんですが、
既に妻子は別にいました。

…あ、ゴメンなさい。

夢(ステキな賢雄像)が壊れたヒト…(笑)


百十踏揚との間に子がいたかは謎ですが(まったく見聞きしません。伝承などもなし?)、
この元々の奥さん(百十踏揚との再婚の際に離縁したか格下げしたか)との子はいて、
現在に続く賢雄の子孫はこの子つながりなのか、
それとも百十踏揚との間に子がいてそのつながりなのか、
今のところ謎です

知ってる人がいれば教えてください。

 

はーい、そこ(パンパン)、騒がない。

では「かっこいい賢雄像」を立て直しましょう。

時は過ぎ、1469年。
7代王尚徳が「急逝」して、金丸派によるクーデター勃発。

そのクーデターに憤慨したのが
尚泰久王の忠臣、大城賢雄です。

金丸と賢雄はご存知、尚泰久王の右腕、左腕といえるべく
共に王に尽くしてきただけに
この君主(王統)に背く振る舞いは
まさに暴虐非道の如く許せない出来事だったのです。
(ちなみに賢雄の年齢は謎ですが、金丸の方が断然上です。金丸と尚泰久は同じ年なので

そこで北谷方面に「国直城(くになおしグスク)」を築城し
金丸派に対抗しようとしましますが、
結局は「新」王軍に撃退され、
知花グスクに追われそこで火攻めに遭って最期を遂げます

つまりは、賢雄も最期は「新」王府にたてついた「逆賊」として
その生涯を終えるのです。

嗚呼、賢雄…(涙)。

護佐丸、阿麻和利、賢雄、
結局は同じ運命をたどるのです。

 

参考文献「新琉球王統史」(与並岳生著)とか。

 

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首里城新春の宴

2011年01月02日 | ・琉球歴史/文化風景

毎年恒例の首里城での「新春の宴」

琉球王国時代の儀式を再現したもの。
(昨日yahooニュースでもトップに写真出てました!)

去年・一昨年とじっくり堪能させていただきましたが…

今年は天気が悪い・寒い・風邪引き中・シゴト
ってことで、やーぐまい(家篭り)中…

で、首里城新春の宴に関しては
去年たっぷり記事にしてあるので
そちらをもう一度ご紹介…

ってことで、今年は代えさせていただきます。

まずはその1より
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/07ed715176ce8a132e741299fad6c5dc

「御開門(うけーじょー)」の儀式。

琉球的雅楽といえる「御座楽(うざがく)」の生演奏。
(癒されます…

その2より
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/c0181f8e545c6161fe88ba7981c8c774

「子之方御拝(にぬふぁぬうぬふぇー)」

その3より
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/a0953a6c277b828eababee920742d9ea

「朝之御拝(ちゅうぬうぬふぇー)」

その4より
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/5e80027ffdfce5b6083797e85394ce13

「大通り(おおとーり)」


デジブックにまとめたバージョンもありますよ♪
(後半に「新春の宴」が出てきます)

 『今に蘇る琉球王朝の美』

※音が出ます※


写真は全て去年のものです。
リンク先をクリックすると更に詳しい解説、写真が見れます。
国王様、王妃様、共にお美しいです
(今年の国王・王妃、まだちゃんと見れてない~

 

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