↑案外似てるかも!?(笑)
筆ペン一発描きの尚円王(参考/御後絵の肖像画)です
御後絵の尚円は、
顔丸い、一重、おちょぼ口、ひげ濃い、血色がいい、小太り、たぶん色白
なのです。
というわけで、テンペストにでも出てきた
第一尚氏・第二尚氏のお話。
テンペストでは寧温の父・孫嗣志が獄中で一族の秘密を寧温に告げます。
「私たち一族は第一尚氏王朝の末裔である」
と。
「聞け寧温。今の第二尚氏は不忠信な臣下の金丸が作った王朝だ。
首里城はもともと私たち第一尚氏のものだ」
(ドラマでは専門用語は省いて「前王統」という言い方になっていましたが)
第一尚氏王統というのは
琉球を最初に統一した尚巴志と父の思紹から始まる王統のことです。
ってことは、寧温君は尚巴志の子孫ってことになるんですねぇ。
(※「孫寧温」はフィクションキャラですよー)
で、王統は7代続いた後、クーデター勃発。
6代尚泰久王、7代尚徳王に仕えていた臣下、金丸が「尚円」と名乗り王位につき、
彼を祖とする第二尚氏王統が始まるのです。
金丸はどのように王位についたのか、
というのは過去記事にも書いているので飛ばします。
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/f27c6868dc62bcb1bcf57098e8babbc9
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/e222b682618834f6a7ff3369bddfc944
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/b6625e2e507f19ef8db2c69a15f98707
で、第一、第二と何で分けているの?というと、
金丸は第一尚氏とは血縁関係はまったくないからです。
なのに、
なぜ同じ「尚」を名乗っているのか、
という話。
簡単に言うと、
血縁関係の詐称です。
そのほうが明国(中国)への体裁がいいからです。
琉球は明国と冊封関係にあり、
琉球王となるには明の皇帝からの任命が必要でした。
琉球は王が変わるたびにその旨を明国へ伝え、
冊封(琉球王としての任命)を請いました。
さて、クーデターの末、新しく王となった金丸も
例に漏れず冊封をしてもらう必要があったのですが、
「前王の尚徳がすごい悪さばっかりしてるのでやっつけました。※
尚徳の血縁関係者を引き続き王にするのは気に食わないので
子どもも妃も殺しました。
で、血縁関係はないけど金丸を新しく王にしたいので冊封、お願いね」
とは言えないわけですわ。
前王、尚徳もちゃんと冊封を受けて王となった存在ですからね。
それに明国の機嫌を損ねて貿易そのものに制限がかけられたら
琉球の経済そのものが大ピンチです。
で、尚徳は「急死」ということにして、
「父である尚徳が急死しました。
引き続き世子である尚円が新しく王となることになりました」
とするわけです。
※注(追記)※
クーデターの関係もあり
尚徳は金丸(派)に殺されたとみる向きも多いが、
本当のところどうだったのかは不明。
(クーデターが尚徳の死の直後に起きたのか、
クーデターが起こった後に尚徳が死んだのか、
伝承としても諸説ある)
第二尚氏期に編纂された史書には尚徳は「急逝」とだけあり、
「殺された」とは書かれていない。
ちなみに、その時尚徳29歳、金丸55歳(くらい)です。
29歳の父に、55歳の息子。
無理だろ!!
…と、言いたいところですが、
これはもうお約束のようなフレーズで金丸に限ったことじゃないようです。
例えば、尚巴志が中山王・武寧を倒して、
父・思紹を中山王として冊封を請うときも、
「武寧の世子・思紹」となっているらしいです。
第一尚氏贔屓の視点でみると、
金丸め!なんて奴なんだ!!
と思いたくなりますが、
結局歴史は繰り返すといいますか、
前王統の悪性を述べ立ててぶっつぶし、
世子として冊封関係を引き継ぐ。
尚巴志たちも同じことをやってるっちゃぁ、やってるんですよねぇ…。
だから誰が悪とか正義とか、何が歴史の真相とかって分からないし、
だからこそ面白いのかな~と。
でも明国側よ、さすがに尚徳と金丸の親子関係はありえないと気付かないわけはないだろう?
ってお思いでしょうが、
意外と中国も冊封国(琉球)の内部干渉はしてなかったようですね
歴史ブログ 琉球・沖縄史
今日もご訪問ありがとうございます。
ぽちっと応援お願いします♪