先日、じのんで手に取ったとある本。
確か与勝の歴史散歩みたいなタイトルだったと思うけど、
与勝地域の歴史についてのシンポジウム?を本にしたようなものだった。
いつものように、目次をチェックして興味を惹かれた箇所をぱらぱらとめくる。
その中の一文に思わずむせた。
百十踏揚はスパイだった。
つまり女スパイ。
賢雄は分かるけど百十踏揚もか(笑)
つまりはだから2人は元々デキててグルだったってことでしょうが…
王女・百十踏揚にそのような役割は少なからずあったであろうことは
特に珍しい説ではないですが
ここまでストレートに百十踏揚は女スパイって言われたら
全く違ったイメージが浮かんでしまうのはワタシだけじゃないはず(笑)
ちなみにその本では
百十踏揚と賢雄が常に一緒(グルだから?)で
百十踏揚と阿麻和利は通常の夫婦生活は全然送れていなかった。
そのことに阿麻和利が不満をもって…
以下略。
でした。
もうひとつは、勝連クーデター。
つまり阿麻和利が茂知附按司を討伐し按司になったのは
1453年
と明記。
理由はその年に起こった志魯・布里の乱。
勝連で起こったクーデターという大事件がありながらも
王府では何もアクションがなかったということは
志魯・布里の乱で王府そのものがドタバタだったから、
という理由からだそうな。
1453年が本当かどうかはわかりませんが、
王府が脅威を抱いたほどの勝連の繁栄は
阿麻和利がゼロから起こしたのではなく
前代の茂知附按司から(もしくはもっと前から?)のもので
阿麻和利はそれを引き継いで更に発展させた…
ということは予想もつきますし、
個人的には阿麻和利が按司になって百十踏揚が嫁に来て
護佐丸・阿麻和利の乱が起こるまで
そんなに長い年月ではないと思ってるので
イメージに近いっちゃぁ、近いです。