前記事で書いた伊是名島のさんかく山。
この山には2つの史跡がくっついております。
まずは1つめ、伊是名玉陵(いぜなたまうどぅん)。
玉陵、つまり、陵墓です。
お墓です。
誰のかと言うと、金丸…じゃなくて、
金丸の父母、姉、親戚たち。
そして金丸、…いやここからは尚円と書きましょうか、
尚円の後妻であり尚真の母、
琉球王国最強の(!?)女帝、オギヤカ様。
そしてそして、
22代尚家当主の尚裕(しょう ひろし 1918 -1996)さんも
遺言により、生まれ育った東京ではなくここに眠っております。
世界遺産に登録もされている首里にある第二尚氏の陵墓「玉陵」は
尚真が父・尚円を祀るために作ったものですが、
母であるオギヤカの勧めがあったであろうことは想像に難くありません。
つまりオギヤカが作らせたとも言えるでしょう。
オギヤカはこの玉陵に入るべき人のリストまで作って、
これに反するものは祟ってやる
とまで書かれていて、呪いの石碑と言われていたりします
一説では玉陵はオギヤカは尚円のためといいつつ、
自分のためにこの巨大な陵墓を作らせたのでは、
とも言われていますが、
オギヤカの棺は玉陵にはなく(もしくはハッキリしていない)、
この伊是名玉陵の左の墓室に
オギヤカの名前(=世添御殿之大按司宇喜也嘉(よそいうどぅんのおおあんじおぎやか))
が入った石棺があるのだとか。
ちなみにこの伊是名玉陵も尚真時代にできたものらしいです。
ここにオギヤカが葬られたのはオギヤカ自身の意志なのか、
それとも後の時代になって移されたのか、
それとも別に真実があるのか…
考えてみると阿麻和利の墓ばりに謎めいていて面白いですね♪
そもそも尚円とオギヤカは幸せなラブラブ夫婦だったのか?
って所から想像してみると楽しいかも(笑)
個人的には結構仲良くやってたようなイメージありますが…。
でも普通の「純愛」ではなさそう
尚家22代当主の尚裕さんが遺言により
ここに葬られたのも色々考えさせられますね。
(ちなみに現在は23代尚衞さん)
尚裕さんは、尚家のもつ膨大な資料や美術品、
そして不動産である識名園や玉陵、浦添ようどれなどを沖縄県・各自治体に寄贈し、
琉球王国の文化財保護にご尽力されたお方。
現在は世界遺産、そして国宝に指定されている
超一級のものばかり。
聞くところによると色々と清算しようとしていたのだとか?
(この言葉は正しくないかもしれませんが…(>_<;))
ここ伊是名に葬られるのを希望したというのは
原点(ルーツ)に戻るっていう気持ちがあったのかな…
と想像してみたり。
ここでは年に1度、公事清明(クージシーミー)が行われ、
これが終わらないと一般のシーミーはできないのだそう。
前は中にも入れたようですが、
今は保護のため立ち入り禁止になっていました。
拝みの場所も入口に設置されてました。
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写真の色が違うのは1日目と2日目の写真が混ざってるから。
そう、2日間とも行ったんです(笑)
オギヤカさん…分かりやすく高飛車な感じに描いたけど(@琉球戦国列伝)
全くそうではない、逆イメージの顔・雰囲気でもいいかもな~(^ε^)
いつか描いてみよう。