さんかく山の2つ目の史跡。
伊是名城跡。
つまり、伊是名グスクです。
伊是名玉陵の後ろの山が伊是名グスク。
伊是名玉陵の左上の方を眺めると
城壁が残っていることにも気付くはず↓
伊是名グスクができたのは13~14世紀。
作ったのは鮫川大主(さめかわうふしゅ/さめかわうふぬし)。
※佐銘川大主とも書きます。
尚巴志の、じいちゃんです。
鮫川大主は隣島・伊平屋(いへや)からここ伊是名に移り、
この伊是名グスクを作ったと言われています。
そして、沖縄本島へ渡り、佐敷(さしき)に移るわけですな。
なぜ本島に移ることになったのかというと…。
鮫川大主は農業に精を出し、彼の畑はいつも豊かだった。
蔵には穀物がいっぱいで、
貧しい人たちに分け与えたりもしたので
人々からとても感謝されていた。
しかしそれを羨んだ人たちが
鮫川大主を殺して蔵を奪おうという計画を立てた。
漁に出ている時に、その計画を知らされた鮫川大主は
そのまま島に戻らずに本島に渡り、
そして佐敷へと移り住んだ
というもの。
金丸が本島に渡った伝承と余りにも似ていることから
金丸の方は後世の作り話、という人もいますが、
どうなんでしょうねぇ、はてさて。
その真相はさておき、伊是名グスク。
様子をうかがうつもりで山の中に入ってみると、
あらまぁ、石積みがワタシを誘うように
上へ、上へ続いているではありませんか(笑)
…え、これって当時のもの???
当時のものもあるようですが
あまりにも登山ルートっぽくなってるので
そうじゃないものも混合してたりするのかな?
この山に登る予定ではなかったので
(っていうか、登れるもんとは思わなかった)
グスカー装備もままならず
いつものハブ蛇棒は持ってきてなかったので
その辺で蜘蛛の巣よけにするための枝を拾って。
(※伊是名はハブがいないのでその点では躊躇なく藪へダイブ!(笑))
でもさすがに靴がかかとなしのサボサンダル(ヒールあり)はさすがにアレでした
とりあえず勢いでたぶん8割くらい?上までは登りましたヨ。
(↑の御嶽を過ぎてもうちょっと上まで)
しかしこの時は迂闊にもペットボトルを持参していなかったので
滝のように流れる汗と動悸に
…ちょっとヤバいかも
と思って、下山しました。
こんなところで熱中症や脱水症状で倒れたらシャレにならん。
(この時は一人だったのでね)
でも水持ってたらガンバッて頂上まで行ったな~(笑)
↑下山の道のり。
道見えね~し
さんかく山、全景。
(海の向こうにうっすらと見えるのが沖縄本島の国頭(くにがみ)です)
中腹辺りに建物があったりしたのかな~?
第一尚氏ゆかりの遺跡である伊是名グスクと、
第二尚氏ゆかりの遺跡である伊是名玉陵がくっついている不思議なさんかく山。
セットで楽しめる史跡だけど、
この2つは時代も背景も全く違う別のもの。
むしろなぜこの2つが同じ場所に?
と考えるとまた楽しいかもしれませんね。
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鮫川大主は少年時代を描いたことあります。
(父ちゃんの屋蔵大主、妹の我喜屋ノロさんも一緒に)
伊平屋の現代版組踊+伊平屋巡りツアーの提示資料用に描きました。
ちなみに舞台のストーリーテーラーは“琉球歴女”だったとか(笑)