琉球の「王様」の元祖は
実は尚巴志じゃなくてこの人。
舜天(しゅんてん)
血筋で区切る「王統」という考え方は
近世になってからのものだとか。
それまでは舜天をいわゆる「初代」として
血筋に関係なく、王様になった人を
代々ずーっとカウントしていて、
1543年の「国王頌徳碑」には
「大りうきう(琉球)国 中山王尚清ハ
そんとん(尊敦 …舜天のこと)よりこのかた
二十一代の王の御くらひを つきめしよわちへ」
とあります。
とすると、
尚巴志は12代目、
尚円は18代目の王様
ってことになります。
厳密にいえば、
王様って言っても察度以前は違う呼び名(世の主とか)だし、
王様って言っても、中山王のことだし、
中山王って言っても最初にそう自称したのは察度だし、
中山王って言っても最初に冊封されたのは武寧だし、
実際に三山を統一して沖縄島の王になったのは尚巴志だし。
「王様」という言葉1つとっても
色んな概念、枠組みがあるのが分かりますねー。
参
「訳注 中山世鑑(諸見友重訳注)」
「誰も見たことのない琉球(上里隆史著)」
というわけで、↑は"元祖中山王”、舜天の図。
描いたのは、
あの、葛飾北斎(!)です。
いや、マジで。
(つづく)