がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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攀安知の三男と四男

2014年05月24日 | ・琉球史散策/グスク時代

最近知って、行って、テンションあがった史跡(笑)

喜屋武久殿(きゃんくどぅん)IN南城市。

一見、神アサギのような普通に古い小屋のように見えますが、

にゃんと!!

攀安知の三男・四男ゆかりの地!!

というのは、尚巴志の北山討伐後、
捕虜として連れてこられた2人が、
後に釈放され、ここ津波古に居を構えた、とのこと。

そして、村の始祖となったとな。 

あの本で読んだ、あの説
こうやって形として残っていたとは!
(この説自体、他の本でも見たり聞いたりしたことなかった物だったから驚き倍増でした)

さて、問題は討伐後連れてこられたのが
捕虜か、保護か、ということですが。

尚巴志も聖人君子というわけではないでしょうから
あの戦世の中、捕虜・人質としてというのが普通かもしれませんが
(千代金丸も絶対ぶんどり品だし)

 

でも、過去記事で書いたように

“攀安知となんらかの約束があったのか”

だとしたら、ますます「歴史で楽しむ」が膨らみますねぇ(*^m^*)

この子どもたち、何歳くらいだったのかなー。
攀安知が男盛りの40歳とかだとしたら
側室腹の三男・四男で10代後半~20代とか?

釈放されたのはまだ若いってこともあっただろうから
10代後半かな??
(あの本によると長男・次男は首里留めだったみたいだし)

そんなのが気になるのが、歴女の性です(笑)
だよね?

殿の中。

角には火の神。

説明板にあった
「北山城へのお通し」の拝所はこれかな??

殿の側にあった拝所。

それとも殿よりいくらか低いエリア(階段の途中)にあったこれ?

どっちかな?

こっちの方が見た目立派だからこれかな?

ちょっと分からなかったデス;

案内板によると
この山(丘)の上には喜屋武子の墓もあるみたいですが
そこは未開拓エリア?

歴史・史跡関連ではかなり力を入れてる南城市なので
そっちもいずれ整備してくれたらいいなぁ。

南城市、まだまだあるある、南城市

(心の一句)

を実感した史跡でした

歴史浪漫だねぇ~

 


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しばらくお待ちくださいm(_ _)m


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