不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

【続】またまた、金丸の落とし子

2015年07月10日 | ・琉球史散策/第二尚氏

前記事の続き)

 

北谷ノロ真加登金が金丸との契りを隠し、
密かに生んだのは一人の男の子。

彼女は赤ん坊を山内村の大名神宮裏の林にいったん置き、
周りには捨て子を拾ったかのように言って
自分で養育した。

"父母不詳の不遇の子"は
大良金(うふらがに)と名付けられた。

 

大良金が7つの時、母である真加登金の願いにより
越来間切の大湾按司に引き取られ、
すくすくと成長。

成長した大良金は大工仕事に力を発揮し
首里王府のお抱え大工に。

さらにその功をたたえられ士族に列せられた。

 

その後、明国に留学し学問を修め帰国すると
なんと三司官に大出世!!

尚真、尚清時代に三司官として大活躍した彼は
"故郷"である山内村の拝領を願い、
山内村に永住することとなった。

 

 

童名・大良金、唐名・楊太鶴(ようたいかく)、
和名を山内昌信(しょうしん)と言う。

彼は山内の始祖として、
また山内大明神として祀られている

とさ。

 

参「おきなわ 村の伝説」(青山洋二著/那覇出版社・1988)

 

 

お宮の中には
「山内大明神」と書かれた石碑。

修復されていてきれいです。

子孫の方々や地域の人に大事にされているのがわかります。

 

 

お宮の右側には、
中山への結び(通じ)となる「ウタキ」

 


左側には、
移設された火の神。

 

 

この史跡は知っていたけど、
まさか祀られている人が金丸の子(伝)だとは知らなかったなー。

金丸の落とし子伝説、
もっと調べてみたら
もっと出てきそう…(笑)

 

台風9号暴風域中ー。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする