(前記事の続き)
北谷ノロ真加登金が金丸との契りを隠し、
密かに生んだのは一人の男の子。
彼女は赤ん坊を山内村の大名神宮裏の林にいったん置き、
周りには捨て子を拾ったかのように言って
自分で養育した。
"父母不詳の不遇の子"は
大良金(うふらがに)と名付けられた。
大良金が7つの時、母である真加登金の願いにより
越来間切の大湾按司に引き取られ、
すくすくと成長。
成長した大良金は大工仕事に力を発揮し
首里王府のお抱え大工に。
さらにその功をたたえられ士族に列せられた。
その後、明国に留学し学問を修め帰国すると
なんと三司官に大出世!!
尚真、尚清時代に三司官として大活躍した彼は
"故郷"である山内村の拝領を願い、
山内村に永住することとなった。
童名・大良金、唐名・楊太鶴(ようたいかく)、
和名を山内昌信(しょうしん)と言う。
彼は山内の始祖として、
また山内大明神として祀られている
とさ。
参「おきなわ 村の伝説」(青山洋二著/那覇出版社・1988)
お宮の中には
「山内大明神」と書かれた石碑。
修復されていてきれいです。
子孫の方々や地域の人に大事にされているのがわかります。
お宮の右側には、
中山への結び(通じ)となる「ウタキ」
左側には、
移設された火の神。
この史跡は知っていたけど、
まさか祀られている人が金丸の子(伝)だとは知らなかったなー。
金丸の落とし子伝説、
もっと調べてみたら
もっと出てきそう…(笑)
台風9号暴風域中ー。