琉球史的オモシロ看板。
とある場所でみかけました。
「怕尼芝」って…あの「怕尼芝」?
どう考えても、あの怕尼芝(ハニシ)だよな??
琉球が統一される前、
北山にも政権交代が起こっているのですが、
中昔北山時代の"今帰仁世の主"を倒して
新しく北山王の座に就いたのがこの怕尼芝。
怕尼芝から始まった王統が
北山の最後の王統であり、
怕尼芝の次の次の北山王が、
尚巴志に滅ぼされたあの攀安知です。
つまり攀安知のじいちゃんが怕尼芝。
怕尼芝の孫が攀安知ってことですね。
ちなみに、
この怕尼芝が倒した"今帰仁世の主"は
あの「千代松(丘春)の子」、
そして隠居していた「千代松(丘春)」、
とも言われています。
打たれた千代松たちの血筋は
護佐丸や大城賢雄につながるということに。
現代版組踊「北山の風」、久しぶりに見に行きたいなー。
また、怕尼芝は北山として初めて進貢した人で
中国の歴史書に初めて名前が記された北山王となります。
…と、まー、
怕尼芝は琉球戦国時代を愉しむ上で欠かせない
北山エリアのキーパーソンなんですけど、
護佐丸や阿麻和利とは違って知ってる人は極小だと思うんだけど…、
なぜそれを会社名に?(^^;)
経営者が怕尼芝の子孫なんだろうか?
ということで、気になる怕尼芝看板でした。
なお、ハニシの漢字表記は
怕尼芝だったり帕尼芝だったりしてます。