がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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御後絵の龍

2015年07月24日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

首里城のシンボルでもある龍。

でも琉球の龍は指が4本。

それは中国皇帝を表す龍が指5本なので
遠慮して指を減らした…
というのはもうお馴染みの話。

そのエピソードを知った時から
なにかと龍の指に目がいくようになり
ちょこちょことブログにも書いてきましたが

ここでひとつ、まとめてみましょう。

龍と言っても建築物の装飾、
漆器などの工芸品から絵画まで色々ありますので
今回は琉球国王を描いた御後絵をピックアップ!

御後絵に描かれた龍は
はたして何本指なのか…!?

 

 

尚円王 … 4本(背景のカーテン)

尚真王 … 4本(背景のカーテン)

尚元王 … 3本(背景のカーテン)

尚寧王 … 3本(背景のカーテン)

尚豊王 … 4本(背景のカーテン)

 

尚貞王 … 4本(服)(背景のカーテン)

尚敬王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚穆王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚灝王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚育王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

 

 

以上が現在確認できる御後絵10点です。

尚貞王で一度区切ったのにはわけがあります。

尚貞の代から、
清国が冊封を行っています。

明国時代の冊封では直接皮弁服をもらっていましたが
清国の時代になると反物をもらい、
それを琉球で服に仕立てていました。

中国で作られた反物だから
5本指の龍の刺繍、ということなのでしょうか。

 

服を自分たちで作るようになった琉球は
時代を追うごとにどんどんエスカレート(笑)

清代最初の尚貞はまだちょっとおとなしいけど、
以後、どんどん派手になっていってます。

皮弁冠も作っちゃってるしね。
五本指の龍(簪)で。

 


清代は琉球の龍の指の数とかそういう形式的なものは
どーでもよかったりしたのかな?

好きにすればー?( ̄д ̄)

状態?(笑)

 

首里城には10点の御後絵が並べて飾られているので
時代を追って変化を見比べることができるので
面白いですよ。

 

個人的には尚元、尚寧だけに出てくる
3本指のほうが気になる(笑)

なんでここだけ?

 

トップ写真は尚灝王。


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