もう、何年も前に撮った写真ではありますが、
伊平屋島の田名グスクを紹介します。
この山そのものが田名グスクみたいなもの。
(グスクのメイン部分は山頂)
今年の5月に県指定史跡になっています。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-714413.html
入り口は分かりやすいように
表示もありました。
…が、階段などが整備されているのは
この入り口だけ。
あとは山道をひたすら上ります。
冬だったからか、
草ぼーぼーなこともなく、
木々も低くて陽の光もよく届いていました。
鬱蒼した…という雰囲気はありませんでした。
ただ、地面は砂地っぽくてさらさらしていて
すべりやすかった記憶があります。
地学はさっぱりですが、
田名集落のあたりは掘り起こすと砂地が多いらしいので
その影響もあるのでしょう。
登城途中、眼下に集落が見えます。
上に行く道中、左右にもいくつもの曲輪があったようなのですが、
素人目にはよくわかりませんでした(^^;)
一休みしたあと、
ゴールが見えずくじけそうな心に鞭打ち(笑)
とにかく山頂をめざして、
まだかまだかとひたすら上っていくと……
…あった!
石積を発見!
城門(虎口)です。
石積みがしっかり残ってる、
なかなか大きく立派な虎口です。
中に入ってみると…
山頂部をぐるりと城壁で囲んであるようでした。
スゴイ
『琉球グスク研究』(當眞嗣一著)にある
縄張り図によると、
郭や物見台、中央部にはため池もあるようでしたが、
奥の方までは行けませんでした。
ところでこの田名グスク。
先の県指史跡の新聞記事によると、
14~15世紀に築城、
居住地ではなく逃げ城的な役割、
とありますが、
まだまだ謎が多いグスクなのだそう。
一方でこんな説もあります。
田名グスクは、
阿麻和利が作った。
田名に伝わる『大城グェーナ(古謡)』に
このような歌詞があるのだそう。
大城げいな
天城仕立てな
勝連のあまりが
勝連のあまじやらが
これを歌い出しに、
築城のプロセスが延々と続く大城グェーナ。
大城、天城というのは田名グスクのことであり、
あまり、あまじやら(あまんじゃなー)は阿麻和利だ、
と主張するのは
『真説 阿麻和利考』(高宮城宏著)より。
阿麻和利が勝連按司になり、
百十踏揚と結婚し、
王族の一員になった頃。
義父でもある国王の命により
伊平屋に派遣され、
築城監督を任されたのでは…というもの。
勝連グスクを留守にしている間に
鬼大城は勝連を調べ上げ、
百十踏揚とも懇ろな関係に……
ともあれ、
阿麻和利(勝連)が伊平屋島、さらには与論などの奄美諸島まで
船を行き来させていたであろうことは
想像に難くありません。
このような各島々での阿麻和利の痕跡、伝承を見ると、
またひとつ、阿麻和利という人物を
深く感じることができるような気がします。