がじゅまるの樹の下で。

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伊平屋の田名グスクと阿麻和利

2018年12月05日 | ・琉球歴史/文化風景

 

もう、何年も前に撮った写真ではありますが、
伊平屋島の田名グスクを紹介します。

この山そのものが田名グスクみたいなもの。
(グスクのメイン部分は山頂)

今年の5月に県指定史跡になっています。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-714413.html

 

 

入り口は分かりやすいように
表示もありました。

…が、階段などが整備されているのは
この入り口だけ。

あとは山道をひたすら上ります。

 

 

冬だったからか、

草ぼーぼーなこともなく、
木々も低くて陽の光もよく届いていました。

鬱蒼した…という雰囲気はありませんでした。

ただ、地面は砂地っぽくてさらさらしていて
すべりやすかった記憶があります。

地学はさっぱりですが、
田名集落のあたりは掘り起こすと砂地が多いらしいので
その影響もあるのでしょう。

 

 

登城途中、眼下に集落が見えます。

 

上に行く道中、左右にもいくつもの曲輪があったようなのですが、
素人目にはよくわかりませんでした(^^;)


一休みしたあと、
ゴールが見えずくじけそうな心に鞭打ち(笑)
とにかく山頂をめざして、
まだかまだかとひたすら上っていくと……

 

 

…あった!

石積を発見!

城門(虎口)です。

 

 

石積みがしっかり残ってる、
なかなか大きく立派な虎口です。

中に入ってみると…

 

 

山頂部をぐるりと城壁で囲んであるようでした。

スゴイ

 

『琉球グスク研究』(當眞嗣一著)にある
縄張り図によると、
郭や物見台、中央部にはため池もあるようでしたが、
奥の方までは行けませんでした。

 

 

ところでこの田名グスク。

先の県指史跡の新聞記事によると、

14~15世紀に築城、
居住地ではなく逃げ城的な役割、
とありますが、

まだまだ謎が多いグスクなのだそう。

 

 

一方でこんな説もあります。

 

田名グスクは、
阿麻和利が作った。

 

 

田名に伝わる『大城グェーナ(古謡)』に
このような歌詞があるのだそう。

 

大城げいな

天城仕立てな

勝連のあまりが

勝連のあまじやらが

 

 

これを歌い出しに、
築城のプロセスが延々と続く大城グェーナ。

 

大城、天城というのは田名グスクのことであり、
あまり、あまじやら(あまんじゃなー)は阿麻和利だ、

と主張するのは
『真説 阿麻和利考』(高宮城宏著)より。

 

 

阿麻和利が勝連按司になり、
百十踏揚と結婚し、
王族の一員になった頃。

義父でもある国王の命により
伊平屋に派遣され、
築城監督を任されたのでは…というもの。

 

勝連グスクを留守にしている間に
鬼大城は勝連を調べ上げ、
百十踏揚とも懇ろな関係に……

 

 

ともあれ、
阿麻和利(勝連)が伊平屋島、さらには与論などの奄美諸島まで
船を行き来させていたであろうことは
想像に難くありません。

このような各島々での阿麻和利の痕跡、伝承を見ると、
またひとつ、阿麻和利という人物を
深く感じることができるような気がします。

 


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