11月に放送されていた
ウチナー紀聞
「泡瀬村から115年—大綱引と京太郎」。
現在の沖縄市泡瀬に焦点を当てた特集。
小中時代を過ごした私の庭でもある泡瀬。
しかし、さすがはウチナー紀聞。
泡瀬は元々砂洲だったことや、
泡瀬の京太郎や塩田産業のことなど、
少しは知ってはいたものの、
(琉球で最初のお寺とかもね)
初めて知る泡瀬の歴史や開発の経緯などもあり、
とても興味深く視聴しました。
でも、ここで記事にしたいのは
泡瀬の歴史のことではなく、
番組に出てきた絵図について。
琉球国沖縄島(元禄)
元禄っていったら、1600年代後半~1700年初めごろ。
その頃の沖縄島の地図。
「あせ嶋」という砂洲がぽかりと海に浮いており、
周辺の沿岸線も今とだいぶ違います。
…ってことは、
賢雄と百十踏揚の逃避行もこの沿岸線!?
賢雄が嵐を起こした「雨城」の位置も
だいぶリアルにイメージできる!
昔、「雨城」の記事で載せていたイメージ地図。
※↑この図の雨図の○印(高原南)の所になってますが、もうひとつ上(高原)ですね。
割と合ってる♪
現在の泡瀬地域空撮。
勝連グスクとの距離感。