がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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あせ嶋と雨城

2018年12月12日 | ・琉球歴史/文化風景

11月に放送されていた
ウチナー紀聞
泡瀬村から115年—大綱引と京太郎」。

現在の沖縄市泡瀬に焦点を当てた特集。

小中時代を過ごした私の庭でもある泡瀬。

 

しかし、さすがはウチナー紀聞。

泡瀬は元々砂洲だったことや、
泡瀬の京太郎や塩田産業のことなど、
少しは知ってはいたものの、
琉球で最初のお寺とかもね)
初めて知る泡瀬の歴史や開発の経緯などもあり、
とても興味深く視聴しました。

 

 

でも、ここで記事にしたいのは
泡瀬の歴史のことではなく、
番組に出てきた絵図について。

 

 

琉球国沖縄島(元禄)

 

元禄っていったら、1600年代後半~1700年初めごろ。

その頃の沖縄島の地図。

「あせ嶋」という砂洲がぽかりと海に浮いており、
周辺の沿岸線も今とだいぶ違います。

 

…ってことは、
賢雄と百十踏揚の逃避行もこの沿岸線!?

 

賢雄が嵐を起こした「雨城」の位置も
だいぶリアルにイメージできる!

 

昔、「雨城」の記事で載せていたイメージ地図。

 

※↑この図の雨図の○印(高原南)の所になってますが、もうひとつ上(高原)ですね。

 

割と合ってる♪

 

 

現在の泡瀬地域空撮。

勝連グスクとの距離感。


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