がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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沖縄神社の今

2018年12月29日 | ・琉球史散策/神話・近代

前記事のつづき。


戦前、首里城にあった沖縄神社。

 

ご存知のように、


旧日本軍の司令部があった首里城は
沖縄戦で猛攻撃を受け、
首里城こと、沖縄神社も灰塵と帰しました。

 

…が、

 

 

実は、
沖縄神社そのものは
今も続いているのです…!

 

もちろん、今の首里城の裏には
何もありません。

 

今は、こちらに移動・再建されています。

 


しゅーりーの東ーのー

べんーがだけ~

(※母校の校歌)

 

の、弁ヶ岳(弁ヶ嶽)

 

この↑拝所の道向かい。

 

 

この階段を上がっていきます。
(なんか、光が神々しく写ってる…!)

 

手前にあるのは、
鳥居の脚の名残です。

 

 

階段を登ったところにあるのが
この祠。

 

訪れたのがちょうど1年前だったので、
お正月仕様になっております。

 

 

手前の、赤い柵のあるほうには

イビ石が。

(その手前には鏡餅)

 

 

イビ石の上の表示を見ると、


左から

 

尚圓(円)王

察度王

舜天王

英祖王

尚思紹王

 

とあります。

 

…戦前の沖縄神社5神と違う…!!

 

舜天以降の各王統の祖ですね。

 

 

奥のもう一つの祠。

扉ではなく白い網で閉じられていて、

こちらにも
ごろっとした大小の石が5つ置かれていました。

 

(トリミング&色調補正で)

 

さっきのイビ石みたいに
平たくて地面に立ってるという感じではなく
色も形も様々で。

ここは石が置かれているだけで
名前や名称なども何もありませんでした。

 

 

ただし

『沖縄の神社』(加治順人著)によると
戦後、祭神が変わったとか追加されたという記述はありません。

また、
波上宮のサイト内にある
沖縄県神社庁・沖縄神社の項でも
同じです。
(波上宮の宮司が沖縄神社の宮司を兼務しているそう)

しかし、
そこ波上宮サイトに掲載されている沖縄神社の写真は
各王統の祖の名前があった手前の祠であり、
奥の祠は載せてはいません。

 

………うーむ、いまいち謎…。

 

 

+ + +

 

 

≪追記(2019.12)≫

 

先月、久しぶりに訪れると、
祠(手前の、赤い冊のほう)の前に
新たにリーフレット入れが設置されていて、
『沖縄神社略記』(波上宮社務所 発行)が入っていました。

 

それによると、
御祭神は前記事で紹介した通り、
舜天・尚円・尚敬・尚泰・源為朝。

この記事で触れた
中の各王統の始祖の名前の石板や、
隣の白い網の祠については
一切ふれられていなかったので、

沖縄神社とは無関係に建てられた(つけられた)
ということでいいのでしょう。
(沖縄にはこういうの、多いからな…)

 

これが沖縄神社オフィシャルの見解、
ということで追記しておきます。

 

ちなみに、沖縄神社は
宗教法人として認証・登記されているようです。


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沖縄神社

2018年12月29日 | ・琉球史散策/神話・近代

前記事のつづき。

 

戦前、皇民化教育の一環として
琉球王国時代からの御嶽やグスクが
神社化されたという話。

 

では、

沖縄で1番有名な、あのグスクは!?

  

 

そう!!

沖縄に300もあるというグスク群の中で
来城者数ぶっちぎり1位を誇る、

 

首里グスク!(首里城)

 

 

この首里グスクも例外ではなく、

かつては

沖縄神社(の一部)であり、

首里城正殿は
「沖縄神社拝殿」と呼ばれていました。 

 


↑クリックで那覇市歴史博物館デジタルミュージアム該当写真にジャンプ

 

この写真↑を見ると、
灯篭、しめ縄、賽銭箱や手水舎
見受けられます。

(鳥居もあったようですが、
戦前の首里城の写真を色々見てみても見当たらず)



↑クリックで那覇市歴史博物館デジタルミュージアム該当写真にジャンプ

 

↑こちらが拝殿(正殿)の後ろ側、
つまり御内原に新しく建てられた
「沖縄神社」の「本殿」。

こっちが沖縄神社の本元。

 

 

 

 

ところで、
琉球処分によって主を失った首里城は
荒廃の一途をたどっていました。

白アリや台風などの被害を受け、
大正末期には半壊状態に。

いよいよ「首里城取り壊し計画」が上がった時、
文化的な価値からそれを良しとしない人々が立ち上がり、

首里城正殿を、
「沖縄神社」の「拝殿」であることを名目に
国から修理費用の補助金をとり、

昭和の大改修へと繋げたことで
取り壊しを免れます。

 

皇民化教育における
グスクの神社化の歴史って、
複雑な気持ちになる部分もあるけれど、
それが功を奏したという側面もあった、
ということですね…。

 

 

 

 

さて、神社というからには
気になるのは

 

誰を祀っていたの?

 

ということ。

 

沖縄神社は「県社」、
つまり沖縄を代表する神社として建てられましたから、
祀った人も沖縄を代表する人たちでした。

 

当初は

 

琉球開国の祖である舜天

その父・源為朝

そして王国ラストキング・尚泰

 

の3人(3神)だったようですが、

 

後に

第二尚氏の祖・尚円

琉球ルネサンス・尚敬

 

が追加され5人(5神)となったそう。

 

この祭神選びは紆余曲折あったようで、
琉球の偉人を祭神とする案は最初、
内務省からの許可がでなかったのだそう。

しかし、舜天の父である源為朝を主神にすることで
やっと認められたのだとか。

 

 

そして、

ご存知のように、

旧日本軍の司令部があった首里城は
沖縄戦で猛攻撃を受け、
首里城こと、沖縄神社も灰塵と帰しました。

 

…が、

 

 

つづく!

 

 

参/
『沖縄の神社』
『写真集 懐かしき沖縄 山崎正董の歩いた昭和初期の原風景』
『首里城を救った男 坂谷良之進・柳田菊造の軌跡』


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