がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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琉球八社と神宮寺

2018年12月30日 | ・琉球歴史/文化風景

琉球王国時代、
お寺に比べると神社はそれほど多くはなかったようです。

(現在、鳥居=神社を多く見るのは
明治以降に作られた物や、
グスクや御嶽が"神社化"されたゆえ

 

王国時代、神社として文献に記録されているものは
主に

沖縄本島では
"琉球八社"と呼ばれる8つの宮と、浮島神社、住吉宮、等、
そして
伊江島、宮古島、石垣島にそれぞれ、という感じ。

 

沖縄の神社の特徴として

●琉球古来からの御嶽信仰と合体し、
 御嶽のあった場所に社殿を建て神社とした

●熊野権現を祀る

等があります。
(例外もあり)

 

そして、これは琉球に限ったものではありませんが、
神宮寺(別当寺・併設寺院)といって
神社にはお寺が必ずセットになっているのも注目。

昔は神社とお寺は2つで1つみたいな
「神仏習合」「権現」の観念がありました。

(明治になってから神社とお寺は完全に分離させられます)

 

この辺を追及していくと
かなり込み入ってくるので(観念の話は難しい…)、

とりあえず

琉球王国時代から続く神社は
そばにある「お寺」もセットだったよ!

ということを覚えていただいて
そのお寺も一緒に意識してもらえれば。

「お寺」だけの「お寺」はあるけど(円覚寺とか崇元寺とか)、
「神社」だけの「神社」はなかったってことになるかな。

 

現在、神社と呼ばれるものは多けれど、
王国時代から続く神社となると
由緒あるというか、
歴史の重みも感じますね。

というわけで、
今回はその代表格である

沖縄本島にある
"琉球八社"を一挙ご紹介。

 

すでに過去記事があるものはリンクも貼っておきます。

 

◆波上宮(なみのうえぐう)◆ 那覇市

琉球・沖縄の一ノ宮

創建時期は不明。
(1521年に「再建」とあるので15世紀には存在していたと思われる。
護国寺の創建と同時期なら14世紀の可能性も)

社殿の奥・断崖の端に古来からの拝所を持つ。

過去記事→

神宮寺(併設寺院)は護国寺。
現存。

◇護国寺◇

 

 

 

◆普天満宮(ふてんまぐう)◆ 宜野湾市

創建時期は不明。
(15世紀に熊野三神を合祀か)

裏にある洞穴に古来からの拝所を持つ。

過去記事→

神宮寺(併設寺院)は普天満山 神宮寺。
現存。

◇普天満山 神宮寺◇

 

 

 

 ◆沖宮(おきのぐう)◆ 那覇市

創建時期は不明。
(15世紀中頃には存在)

元々は那覇港の三重城に続く堤の途中に、
臨海時と一緒にあった。

神宮寺(併設寺院)は臨海寺。
天久に移転して現存。

◇臨海寺◇

 

 

 

◆末吉宮(すえよしぐう)◆ 那覇市

創建時期は不明。
(15~16世紀頃か。
万寿寺の創建と同時期なら14世紀の可能性も)

過去記事→  

神宮寺(併設寺院)は遍照寺〈万寿寺〉
跡が末吉宮の麓に残る。
寺院は沖縄市に移転して存在。

◇遍照寺〈万寿寺〉跡◇

◇現在の遍照寺◇

 

 

 

◆識名宮(しきなぐう)◆ 那覇市

創建時期は不明。
(16世紀中頃か)

裏にある洞穴に古来からの拝所を持つ。

神宮寺(併設寺院)は神応寺
現存せず。

◇神応寺跡◇

 

 

 

 ◆天久宮(あめくぐう)◆ 那覇市

15世紀後半ごろに創建。

(下の?)洞穴に古来からの拝所を持つ。

神宮寺(併設寺院)は聖現寺。
現存。

◇聖現寺◇

 

 

 

◆安里八幡宮(あさとはちまんぐう)◆ 那覇市

1466年ごろ創建。

琉球八社で唯一、熊野三神ではなく八幡菩薩を祀る。

過去記事→ 

神宮寺(併設寺院)は神徳寺。
現存。

◇神徳寺◇

 

 

 

◆金武宮(きんぐう)◆ 金武町

16世紀初めごろの創建。

社殿を持たない神社。

洞穴内に祠があるが、
洞穴そのものが聖域(金武宮)とされる。

過去記事→

神宮寺(併設寺院)は金武観音寺。
現存。

◇金武観音寺◇

 

参/『沖縄の神社』(加治順人著)


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世持神社

2018年12月30日 | ・琉球歴史/文化風景

沖縄神社に続いてもう一つ、

ちょっと特異な、
沖縄らしい神社をご紹介。

 

 

奥武山公園内にあります、

世持神社です。

 

「世持」とは

おもろで使われている古語で
「豊年」を意味するもの。

 

 

そして、

世持神社に祀られているのが

沖縄の産業の恩人とされている

 

野国総官

儀間真常

そして

蔡温

 

この神社の意味合いが
めっちゃ分かるラインナップ!

 

おもろからの古語を神社名にしているあたりも
沖縄神社よりも、沖縄らしい神社な気がします。 

 

昭和12年に創建された神社。


昭和初期、
内務省に世持神社建立計画を陳情した時の回答がこちら。

 

正三位以上にあらざる人臣を祭神とする寺社は
本来は不許可である。
が、沖縄県の実情を斟酌し、郷社として許可する。

 

 

 

政治的な意味合いが濃かった沖縄神社とは違い、
一般人からの要求により創立された神社として
特に農業関係者から篤い信仰を集めたといいます。

 

 

が、例にもれず沖縄戦で焼失。
(御神体は戦時中は熊本に移されていたようです)

 

世持神社のあった今の奥武山公園エリアは
米軍占領地となったことから
早期の再建が不可能に。

 


戦後、戻された御神体は
上間朝久氏が那覇市内の自宅で祀り祭祀を行っていましたが、
同氏の死去により、波上宮の宮司が世持神社の宮司を引き継ぎました。

これにより、波上宮境内に祠(仮宮)がたてら
現在、御神体はここに祀られています。

 

 

波上宮拝殿のすぐ手前左側にある、
緑色の屋根の小さな祠がそれ。

 

一つが世持神社で、
もう一つが似たような経緯を持つ浮島神社です。

(浮島神社についてはまた別で)

 

 

 

 

で、奥武山公園内にあるここは、

世持神社の元の場所。

今はすぐ近くにある沖宮(おきのぐう)によって
聖域管理がされているのだとか。

 

ここで年に一度、
波上宮(なみのうえぐう)に祀っている御神体をここに戻し、
波上宮の宮司によって祭祀が行われているとのこと。

 

ちょいと複雑ですが、

●御神体のある本殿(仮宮)は波上宮の小さな祠、

●鳥居、参道、社殿は、奥武山公園内、

ということになります。

 

で、現在の管理は、
沖宮(聖域)と、波上宮(御神体)
というわけです。

 

 

参/『沖縄の神社』(加治順人著)

 

 

そういえば、
「産業まつり」もここ(奥武山公園)で行われているし、

産業にまつわる人は
この神社で初詣するのが吉かも?

(奥武山と、波上宮の世持神社でね★)

 

 

 

社殿左側にあった社。

 

 

右側にあった香炉。


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