がじゅまるの樹の下で。

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懐機の浮島神社

2019年01月09日 | ・琉球歴史/文化風景

 

『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』の
史跡擬人化シリーズより、
長虹提お姉さん。
(ちなみにハンタ道は"姐さん")

What's 長虹堤?→

本にも書きましたが、
彼女は神社とお寺、両方のモチーフを
デザインに組み込みました。

 


尚金福の時代、1451年ごろ、
当時"小島"だった那覇を本島と道でつなぐという
長虹提の建設計画が上がります。

国相・懐機は
海を埋め立てて道をつくるという難工事は
神仏の力なくしては成し遂げられないとし、

祭壇を設け、
二昼三夜祈ったところ、
水が引き海底が表れた。

いまだ!と人民を総動員して
(そのイメージ写真がこちら

みごと長虹提を作り上げた。

懐機は神仏に感謝し、
長寿宮(長寿神社)を建てて天照大神を祀った。
また、長寿寺を建てた。

 

参/『球陽』

 

というエピソードからのものです。

 

長虹提建設を記念した
神社とお寺があった、ということですね。

調べたところ、
長寿寺は明治になって廃寺になったようで
現在は残っていません。

 

参/『沖縄は仏教王国だった』(川上正孝著)

 

では、長寿宮(長寿神社)はどうだったのでしょう。

 

長寿宮は昭和17年に
「浮島神社」
と名前を変え

存続していました。

 

ただ、例によって沖縄戦で焼失。

元の場所は那覇市所有の地になっており
同所に復興するのは難しかったため、

現在は波上宮に移され、
仮宮がたてられています。

 

 

それがこちら。

 


持神社の記事でも紹介しましたが
波上宮本殿のすぐ手前左にある
小さな建物です。


 

懐機と長虹提のエピソードも
由緒書きされています。

毎年10月に例大祭が行われているようですね。

 

 

 

ところで。

戦後、波上宮に移されるまでの経緯として
『沖縄の神社』(加治順人著)に
こんな記述がありました。

 

元の場所での再建が難しかった浮島神社は、
同宮の神職だった真壁氏により
天久にコンクリートの祠を建て祭祀を行っていた。

が、その地も借地だったため
移転を余儀なくされ
波上宮に移った。

 

 

でね、
「浮島神社」でググったら
天久のある場所がヒットしまして…。
(例えばこちらのサイトなど。他にもいくつか)

 

とりあえず行ってみました。

天久の住宅地、
細い路地を中に入ったところにありました。

 

 

……天久だし、
ここが波上宮に移る前の浮島神社、
という事なのでしょうか。

それとも波上宮の浮島神社が仮宮なら
こちらが本宮…?

でもこの場所にそれらを示す説明版はなく
波上宮のサイトにもここの説明はありません。


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