がじゅまるの樹の下で。

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喜界島、対首里軍との本陣

2019年01月27日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

【描いてみた】琉球史人物、を、33【キラ男子】
喜界島のキャラクター、勘樽金に関連して。 

 

喜界島・港(わん)にある
「御殿の鼻」という史跡です。

金毘羅神社とも。

 


目の前は、港(みなと)。

海が広がっています。

 

 

1466年、

尚徳王率いる首里軍が
ここから攻め入ってきました。

喜界島のリーダーであった長嘉や勘樽金は
ここで首里軍を迎え撃ち、


いったんは首里軍を跳ね返します。

 

その戦いの本陣であった場所。

 

 

ここには勘樽金の名前はありません。

(長嘉も是非キャラ化したいですね)

 


↑クリックで拡大

 

こちらが首里軍が計略を用いて
再上陸を計った荒木の港。

湾(わん)から南西に位置しています。

 

勘樽金は荒木村の人だったので、
もしかしたら勘樽金は長嘉とは別に、
ここで首里軍と戦ったのかもしれません。

 

(首里軍の再上陸は荒木ではなく別の場所、だとか
島の背後を突いたのはおとり部隊で
首里の主力部隊はやはり湾から攻め入ったという伝承もあり)

 

参/
「琉球王女 百十踏揚」(与並岳生著)
「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著)

「琉球王国の真実」(伊敷賢著)

 

 

戻って、
御殿の鼻の中。

床板が傷んで波打ち
祠が傾いている……
(ゴミも……)

 

う~ん

 

沖縄の御嶽とかもそうだけど、
たとえ建物が古くても
その場所はこぎれいに保ちたいものですね。

 

 

+ + +

 

 

さて、

地図で見たら空港のすぐ隣だからと
一旦レンタカーを返し、

出発までの待ち時間に
徒歩で向かった御殿の鼻。

意外と距離があって時間が心配になり
途中で行くのを諦めかけました…

が、

やっぱり諦めきれず、
ちょうどやってきたタクシーを反射的に捕まえて(笑)
速攻で往復したのもいい思い出(^^;)


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