薩摩侵攻以前の古琉球まで、
奄美群島は琉球の支配下、琉球の一部にありました。
そのことから
古琉球期をテーマにした
「琉球戦国キャラクター図鑑」では
奄美大島のリーダー・糠中城も収録しました。
今回はその奄美群島関連から、
2人目のキラキラキャラということで
この方を!
奄美大島のお隣は
喜界島のリーダー、
勘樽金(かんたるがね)
イメージ台詞
「首里め…!また性懲りもなく来やがって!」
尚徳が喜界島を攻めたとき、
迎え撃った喜界軍のリーダーです。
あの尚徳率いる首里王府軍も
その攻防になかなか上陸することができず、
苛立って無理やり突撃するも、
ただ死者を増やすばかりという無様なありさま。
首里は尚徳以前もたびたび喜界島を攻めていましたが
そのたびに頓挫。
地の利もあり、
喜界軍がとにかく強かったことが伺えます。
…が、首里軍はもやの濃い日を待ち、
小舟にたくさんの松明を持たせて島の裏に回させ、
喜界軍をおびき寄せた隙に
一気に上陸して攻め落とします。
うむ。
勘樽金のキャラクターとしても
戦の成り行きも、
八重山のオヤケアカハチとかぶりますね。
もし喜界島で現代版組踊ができるなら
主人公はきっと彼♡
(ただ勘樽金はここで殺されてはおらず、
首里に連行されて忠誠を誓わされたのち、
島に帰っているようです)
さて、勘樽金という人物が興味深いのは
もう一つ理由が。
喜界島旧家・泉家の家譜によると、
勘樽金は、
喜界島群主、勝連親方の子ども
だというのです。
勝 連 !!
"勝連親方"なる人物が
いつの時代の誰なのか分かってはいませんが、
"勝連親方は喜界島群主の任期が終わると
国に帰り、按司になった"
ともあることから、
若き頃の阿麻和利では、と
想像している人もいます。
まぁ、阿麻和利ではないにしても
勝連の有力者が喜界島に来ていたことは
勝連は喜界島を行き来していたおもろもあることから
十分に予想できます。
阿麻和利の子どもだとしたら…
これはこれで新しいストリーが描けそうで面白い♡
(なので絵的には阿麻和利の子を意識して
ゲジ眉+くせっ毛ポニテにしてみた☆)
伊平屋の田名グスクと阿麻和利の記事でも書きましたが、
伊是名・伊平屋、奄美群島など
北の島々で活躍する
勝連・阿麻和利の物語
というのものも見てみたいものです。
参/
「琉球王女 百十踏揚」(与並岳生著)
「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著)
「琉球王国の真実」(伊敷賢著)