先日、
八重瀬町の具志頭歴史民俗資料館に行ってきた時に
手に入れたパンフレット。
八重瀬町石獅子まっぷ。
八重瀬町内にある村シーサー(村落獅子)を巡れるようにまとめたもの。
村シーサー好きのワタシとしては
これは見逃すわけにはいきません。
写真も載っていたので
造形に興味を引いたものと場所で絞って
5つの村シーサー巡りをしてみました!
+ + +
新城地区には2つの村シーサー。
そのうちの一つ、
北の石獅子。
…いた!
犬くらいの大きさ。
体を少し傾けて、
民家と民家の間を、
覗き見ている。
なにこれ、かわいいんですけど…!!
じーーーーーーっ………
何か獲物でも狙っているときのような……
正面がこちら。
まあるい顔に、
三角の鼻、
一直線の口。
にやっ。
大きさといい、
ちょっと傾いた体といい、
立地といい、
造形といい、
表情といい、
妙にかわいい。
今回周った中で1番気に入ったのがこれ。
+ + +
同じく新城にある
南の石獅子。
正面図。
基本、北の石獅子と同じ顔のパーツ。
でも妙にきれいなので
復元か、修復かされているのでしょうか。
かわいい。
でも獅子には見えない(笑)
基本、石獅子には「耳」がありません。
稀に、
大型の物や細工の細かい物にはありますが、
後方に倒れているたれ耳。
今見るオーソドックスなシーサーのような
ぴょこんと飛び出た耳はありません。
横から見た図。
鼻が高くて
胴長短足。
やはり外側を向いています。
+ + +
お次は移動して志多伯(したはく)へ。
志多伯には東西南北の4つ(5体)のシーサーがあるようでしたが
そのうちしっかりしたフォルムの
西と南に行ってみました。
南の石獅子。
これはちょっと迷いました。
※志多伯公民館の敷地内(建物裏)にあります。
これも基本、
まん丸い目に
高い鼻に
一直線に割れた口。
ただ体は後ろ足の造形がはっきりせず、
個人的には
だら~んと寝そべっているように見えます。
歩くの拒否する犬って
たまにこんなポーズするよね(笑)
昔はこの辺が集落の縁だったのかな?
+ + +
もう一つが西の石獅子。
馬場跡と、さとうきび畑の、
隅っこにありました。
これは今までの中で1番顔の造形がしっかりしてる。
口部分が突き出ている所とか。
鼻の穴もしっかり見えてるし、
首もやや上向き。
胴も短め。
ぶち柄ですね(笑)
舌を出しているようにも見える…。
ところで、
宜野湾喜友名の石獅子群の記事でも書きましたが、
村シーサーは立地とか、
どの方向に向かって置かれているのか、
が鑑賞ポイントでもあると思ってます。
造形を見るだけなら写真でもいいんだけど
立地環境を見るためには
やはり直接足を運ぶしかありませんね。
ツイッターでUPした動画→ ★
この西の石獅子君の視線の先には
丘があって…
調べてみるとテミグラグスクでした。
+ + +
最後は小城のニーセー石。
ニーセーとは「青年」のこと。
青年を栄えさせるための守り神として置かれたものだとか。
村シーサーは基本、
村を守るためのマジムンや火除け(火返し)として置かれるものだから
このニーセー石はちょっと意味合いが違うんだろうなー、と。
そのためか、
これまで紹介した4体と見た目も違う。
立ってます。
高さも結構ある。
龍柱のよう。
2つ並んでいる穴は鼻の穴です。
(目ん玉じゃないよー)
後頭部は修復されていました。
視線の向こうには与座岳・南山グスクがあるらしい。
それと関係があるのか、
このニーセー石の背後には
南山にまつわるたくさんの拝所・墓所がいくつかありました。
(南山世按司・南山世女神とか)
+ + +
ところで、村シーサーって、
村ごとにそれぞれフォルムに特徴があるな!
っていうのが今回気づいたこと。
制作者が同じなのか、
最初に作られたのを模しているのか、
なんか似てるんです、フォルムが。
今回見た新城、志多伯の村シーサーは、
倒した円柱型。
なので各シーサートップは俯瞰図なのです(笑)
でも写真で見ると
東風平とかはまたちょっと違うっぽいけど。
Dee OKINAWANの記事で見た
与那原の村シーサーは
ゴリラ型
宜野湾喜友名のシーサーは…
正方形?
(でも7番だけ他の6つと違う感じはある)
こうやって集落ごとに
フォルムの特徴をまとめてみると
面白いかもしれません♪
八重瀬町石獅子まっぷを見ると、
八重瀬町にはまだまだたくさんのあるようなので
またいつか機会を見つけて
村シーサー巡り、したいと思います。