がじゅまるの樹の下で。

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#残したい沖縄 について考えてみた

2019年04月24日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

沖縄のツイッター、インスタ界隈では
6月にRBCで放送される特番に向けての

#残したい沖縄

が話題ですね。

 

「おきなわMOSAIC」


ピースの又吉さんがMC。


この

「残したい沖縄」

っていうフレーズを聞いた時、
もちろん

ワタシなら何て答えるかな?

と考えました。

 

タイムラインで流れてくる
#残したい沖縄投稿を見ていると
実に様々で、

具体的な「物」もあれば、
「自然」もあるし、
「伝統」や「文化」
「言葉」とか「笑顔」というようなものも。 

でも一方で、
媒体がツイッターやインスタだからかもしれないけど
ただ単に沖縄っぽい、
映えてる、フォトジェニックなものを
ただひたすらあげてるだけのような一面も垣間見えて、
(その被写体に反対するわけではないけれど)

う~~~ん……

となってしまったのも確か。

 

別に答えは一つじゃないし
(一つであろうはずがないし)
もちろん、人それぞれ色んな答えがあっていいんだけど、

個人的には、
簡単に、気軽に答えは出せないな、
真面目にじっくり向き合って考えてみたいな、と
#残したい沖縄
ではなかなか投稿できずにいました。

 

 

そこで、

逆に、

もしこれが一切なくなってしまったら
沖縄が沖縄(らしく)でなくなる、
沖縄人が、沖縄そのものや沖縄人としての誇りとか愛とかが
なくなってしまうようなものは何だろう…

と考えてみたら。

 

やっぱり、

 

琉球王国の痕跡

 

かな、と。

 

 

それは
首里城を代表する建築物だったり

伝統芸能や工芸品だったり

文化や風習、思想だったり

当時の暮らしを支えてきた自然だったりする。

だから、

こんな答えは意味合いが広すぎるから
ズルいと言えばズルいとは思うし、

意味合いとしては月並みの、
ごくごくありふれた答えに入るのかもしれないけど、

 

もし、

 

今後、沖縄から
琉球王国の痕跡が一切なくなって、

その存在を教えられることも語られることもせず、

完全に忘れ去られたとしたら……

 

沖縄人としてのアイデンティティに関わる
大きな問題だろうなと思いました。

 

事実、

1879年に琉球王国が解体され、
「沖縄県」になった時、

沖縄の人たちは
琉球王国の名残や文化や
琉球人(沖縄人)としての自分たちを
(日本本土と比べて)劣ったものとし、
否定し、忘れようとして、
必死に「日本人」になろうとしていた時代、一面もありました。

 

(沖縄人が沖縄を堂々と誇りに思う、好きだと思う、
沖縄らしさを意識する、大切にしていこう、守っていこう
っていう気風も、案外最近のこと、ここ数十年の流れだと思います。

私の親世代(母は戦後すぐの生まれの生粋の沖縄人)は
どうしても沖縄に対しての劣等感が根強かったのを感じるし、
小学校の運動会でエイサーをしたり、琉球の歴史や地域の偉人を学んだり、
遠足や社会見学などで首里城や世界遺産に行ったりするのも、
最近の事で、昔からやってたことじゃない)

 

王国時代が全て美しい、すばらしい、立派だった、
ということが言いたいのではなく、
王国時代にももちろん問題や闇はあったのですが、

450年間、
一つの国として
独自の文化を持ち
政治外交をし
小さいながらも世界の中で渡り合ってきた

という王国時代の営み、歴史文化は
その流れの延長線上にある今の沖縄、沖縄人にとって

決して忘れてはいけないこと、
すててはいけないこと、

そしてこれこそが
沖縄を沖縄たらしめている土台にあるもの、

 

つまり

 

#残したい沖縄

 

だな、と思いました。

 

 

番組企画としては、気軽に考えてバンバン投稿してほしいという意図だろうし
今回ワタシがブログで書いたことは、
番組として求めているような答えではないかもしれません。

でも個人的には番組企画参加のため、というよりは
「残したい沖縄」についてじっくり考えてみることができてよかったです。

考えるきっかけを与えてくれたことに感謝です。


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