昨日完成したイラストフォトブックにも載せた
人物相関図(1450~1460年代編)。
三山時代の人物相関図に比べると
ひじょ~~~~に複雑。
(やじるしまとめるの大変だった…)
…が、それが面白い。
やっぱりこの時代が1番謎で、1番ドラマがあって、1番面白い気がする
ちなみに、もっと周辺人物も加えた
絵なしの人物相関図はこちらにも。
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琉球王家、尚家の家紋、「左三つ巴」の話。
この間、市立図書館で古い本を調べてたら、
左三つ巴を尚家の家紋に定めたというこんな逸話が紹介されていました。
話は1609年のこと。
忘れてはならない、薩摩侵攻の年。
時の琉球国王、尚寧は降伏し、
重臣たちと共に本土へ連行されていきます。
さて、そこで薩摩は琉球に島津氏への忠誠を誓うための
「起請文」に署名をさせられます。
その起請文は薩摩からの一方的な文面で屈辱的とも取れる内容でした。
その起請文への連判を唯一拒否したのが謝名(じゃな)親方利山でした。
そのことで謝名親方は処刑されることになります。
いざ釜茹での刑、となったとき、
謝名親方は自分を押さえている両脇の役人(死刑執行人)を道連れに、
釜に飛び込みます。
釜の中で、その3人の頭がぐるぐると廻り、髪の毛がゆらぎ、
その様がちょうど三つ巴の形になった。
尚寧王は忠臣・謝名親方の死を哀れんで三つ巴を尚家の家紋に定めた…
こわーーーーっ!!!
…って、
そんなわけあるかーーーーーいっっ!!!!(´Д`;)
ちなみに、謝名親方の処刑は釜茹での刑ではないそうです。
(なんだったかな、斬首?)
この逸話、昔は結構有名だったらしい??
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古琉球の偉人を描いてみるシリーズの
フォトブックが完成しました~
題して
『古琉球偉人草紙 三山時代~第一尚氏編』
フォトブックは前回と同じ、キタムラに発注。
121mm×188mmサイズの
プレミアムフォトブックスタイルを縦長に使用。
18ページで2480円でした。
(もちろんフルカラー)
もうちょい安いと嬉しいのですが…
でも仕上がりの色味や紙の質感なんかは上等だったので
満足のいく仕上がりになっております
1ページに1人物。
時代背景の解説や人物相関図、
人物年表も加えました。
あっ、それから、尚思紹。
入れる予定でしたが止めにして、
最後に落書きをちょろっと載せました(笑)
この時のヤツ(笑)
尚徳も着物が無地だったので柄を加えました。
王様だし。
大城賢雄は「鬼大城」表記をメインにして、
「賢勇」から「賢雄」に改めました。
さて、特に問題はなかったので、これから追加発注を入れます。
(量産予定の場合もまずは1冊だけ注文して仕上がり具合をチェックするのです)
絵的には古琉球時代の装いとしてはだいぶフィクションですが、
(片耳おだんごとか、ターバンとか、和式鎧甲冑とか…が本当なんですけどね…)
まあ、これを手にとってくれた人が、
ちょっとでも琉球史や古琉球の人物に興味を持ってくれる人がいるといいな
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1416年、尚巴志の北山征伐の際、
北山王・攀安知(はんあんち)が自刃したときに使用されたとされる刀、
千代金丸。
それは戦利品として持ち帰られ、
尚家の宝刀として今尚残っています。
※正史では、戦利品として持ち帰ったではなく、
攀安知が自刃する際に志慶間川に投げ捨てたものを、
伊平屋島の人が拾い、中山王に献上した、
ってことになってます。
その千代金丸(本物)が、
現在「那覇市歴史博物館」で展示中でーーーーすっ!!
あと、王冠(本物)も!!
那覇市歴史博物館は尚家の財宝を多く収容する博物館。
(尚家が那覇市に寄贈したのです)
全部(?)まとめて「国宝」に指定されております!
今日、結婚式があって那覇まで出たので
見に行ってきました!!
(このブログのコメント欄で情報下さった炸さん、ありがとうございまーす)
ひゃ~~~
目の前に千代金丸が!
王冠が!!!
王冠、レプリカだと地の黒いぶぶんがレザーっぽかったのですが、
本物は黒ちりめんでした。
思ったよりも高さはなかったです。
これなら被ってお辞儀をしても大丈夫そう(笑)
(肝高の阿麻和利の尚泰久とかさ、いつも大変そうだから…(笑))
結婚式仕様の格好で千代金丸に魅入るワタシ↑
傍から見たら絶対妙な人
でも、他にお客さんいなかったデス。
(お隣エリアの漆工芸展示には数名いたけど)
王冠は11月10日まで
千代金丸は12月1日まで展示されています
滅多にないこの機会に是非どうぞ
(他にも紅型衣装、漆工芸品、尚家文書も展示されてます)
トップの写真は今帰仁グスク。
一の郭正殿跡。
攀安知が住んでいたところ。
今日もご訪問ありがとうございます。
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…なんか最近眠りが浅すぎるな~…
目覚ましより早く目が覚めるのはいいが、
すっきり目覚めるわけじゃないのがイタイ
もっと寝ていられるのに、
もう寝つけない、みたいな
というわけで、朝からブログ更新
↑は古琉球落書きフォトブック制作にあわせて新たに作った人物年表。
泰期~金丸まで。
帯の端がぼけてるのは、はっきりしない部分です。
護佐丸・阿麻和利(大城賢雄も…かなぁ…)に関しては、
色々な研究や説から、だいたいの年齢が分かっていますので
それを元に、没年から逆算して「~年頃」という形をとらせていただきました。
※憶測も入っただいたいのものですので、あくまで参考までに。
(今後何か新たな情報があれば変わる可能性も大いにあります)
ところで、この年表でなにかお気づきの方はいますか?
尚泰久と金丸は同い年なんです。
(でも私的に、尚泰久は苦労人だから実年齢よりも老けて見えるタイプだはず(笑))
あと、尚巴志の誕生と、琉球の初進貢が一緒とか。
漠然としていた知識もこうやって1つにまとめてみると
気づくことってありますね
「へぇ~」ってなった人、↑クリック★(笑)
琉球短編小説
「北山炎華―ホクザンエンカ―」
まとめのページ。
1416年、琉球北山今帰仁グスク。
琉球統一の夢に向かって勢力を広める中山軍、尚巴志は
北山王・攀安知の討伐のため、難攻不落といわれた今帰仁グスクに向かう。
そこで繰り広げられた北山戦の内容を、
正史に記録されたエピソードをもとに
今のコドモ達の感覚で、新たに短編小説風にシルフさんが書き上げました。
北山王、攀安知(はんあんち)、
側近の本部平原(もとぶていはら)、
そして後の初代琉球国王、尚巴志(しょうはし)、
尚巴志の忠臣、護佐丸(ごさまる)。
互いの野望と確執が絡み合う北山戦の全貌とは―――。
著者はP.Nシルフさん。
ネタ提供と監修はワタシ(笑)
リンクはこちらから★
予告
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/a8e9603b9b0d5ebda21b8979b6823f0b
その1
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/174e906a846bf9d8eef030040e05ab4a
その2
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/434c89d431ba0269ad08f199d709074e
その3
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/d4316ba13913e96d51b349ac9c55da53
その4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/a1255a9e90635265f12d2af1d955dcac
ちなみに、タイトルに使用した写真は全て今帰仁グスクです。
photo by 和々
ついでに、三山時代の人物相関図
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/07583def03b2e45e9fdd8c6ece83142e
…と当時の勢力図
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2008/07/post_e557.html
「北山炎華」(4/4) 1/4はこちらから。 2/4はこちらから。 3/4はこちらから。
著作/シルフ(P.N)
昼間の喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っていた。
軽傷の者、重傷の者、死んだ者、生きている者。さまざまいるが、全員に共通しているところといえばぼろぼろだというところだろうか。
だがその場に並んでいるものは、みなどこか達成感に満ちた顔をしていた。
辺りにはまだ、血と砂埃の匂いが漂っている。
「皆のもの、よくぞ責務を果たした。」
尚巴志は皆を見渡し、響き渡る声で言った。
「よくぞ1週間もの長い間、わしの手足となって戦ってくれた。この城と、この刀、千代金丸を手に入れられたのも、皆の働きがあればこそ。
――ああ、その中でも。」
尚巴志は護佐丸のほうを向いた。
「そなたの働きは見事であったぞ、護佐丸。」
「身に余るお言葉、ありがとうございます。」
護佐丸は深々と頭を下げた。
*
――その夜。
「尚巴志様。」
「…おお、そなたか。」
外にでていた尚巴志に、護佐丸が声をかけた。
「春先とは言え、こんな遅くに外にでていては、御身体が冷えます。なにをなさっておいでなのですか?」
「いや、月見をな。」
「月見?」
「ほら。」
空には、見事な満月がかかっていた。
「美しいとは思わんか?」
「…たしかに。」
ふっと、護佐丸も口を緩める。
このように月を見上げるのは久しぶりのような気がする。
「戦いが終わった後に見る月は、特に今回のように厳しい戦が終わった後の月は、美しさで心が癒される。」
しばらく月を見つめた後、ああそういえば、と、尚巴志は護佐丸のほうを向いた。
「そなたの祖先は、この今帰仁の按司であったが追放されたのであったな。
くしくも、今回の戦いで仇を討ったような形となるわけか。」
「……。」
護佐丸は、心中おだやかではなかった。
たしかに彼――攀安知は死んだ。だが、それは自分の手によってではない。
あのまま戦っていたら、確実にこちらが死んでいただろう。
自分は、まだ弱い。
それに……。
『相手を騙せば、また、自分も騙されるのだ。』
なぜかこの言葉が耳を離れなかった。
「のう、護佐丸。わしはこの城だけでは納まらぬぞ。もっと、もっとだ。
もっと領土を、力を、権力を広げる。そしてゆくゆくは……」
独り言のように、しかししっかりとした口調と瞳で
「わしはこの琉球を統一したいと思うておる。」
「……。」
驚き、おもわず尚巴志を見つめる護佐丸。
「世迷言と嘲笑うか?」
「……いえ。」
護佐丸は尚巴志に向かって跪いた。
「ついていきます。どこまでも。我が主 尚巴志様」
「……うむ。」
尚巴志は瞳を閉じ、満足そうに頷いた。
そしてゆっくりと瞳を開き、再びその眼(まなこ)に満月を映す。
「ああ、真に」
ふっと笑い
「いい月だ。」
――了――
終わりっ!
いかがでしたか?
正史などにある北山戦の様子をそのまま小説風にした感じですが、
尚巴志による北山討伐がどのようなものであったのかが
少しでもお分かりいただけると幸いです♪
尚巴志軍の苦戦、
本部の懐柔と裏切り、
敗走と見せかける作戦、
本部の裏切り宣言、
攀安知と本部の一騎打ち、
霊石を叩き割り自刃する攀安知、
宝刀・千代金丸などなど…
正史にあるエピソードから取っております。
(※ちなみに攀安知VS護佐丸は正史にはありません☆)
護佐丸の「今帰仁グスクを追放された祖先の仇」というのも本当で、
護佐丸の祖先(今帰仁世の主)は、攀安知の前の前の北山王、
つまり攀安知の祖父、怕尼芝(はにし)に追放されたと言われています。
今回の「北山炎華」では、攀安知寄りで描写してもらいました。
(最初は護佐丸主人公の予定だったのにねぇ~?(笑))
悪名名高い攀安知ですが、ただ単なる勧善懲悪の悪役ではなく、
本部に裏切られた彼なりの苦渋の思いと怒りとか、
形勢が逆転してゆく悲壮さとか、
それでも屈しない強さとか、
彼なりのそういう魅力をかもし出せたらなあ…ということで
ちょこちょこと演出をアドバイス(口出し?(笑))させてもらいました。
ところで…
本部の懐柔策ですが。
本部と攀安知が一騎打ちになって両方死んだからいいようなものの、
もし、本部が生き残ってたら尚巴志はどうするつもりだったんでしょうね(笑)
やっぱり、本部を北山看守(っていうか、今帰仁城主?)にしたんでしょうかね。
ちなみに、監修をしていて迷ったのは「尚巴志」の明記について。
尚巴志は一般的に、尚(苗字)、巴志(名前)といわれていて、
琉球統一の際に「尚姓」を明国から賜った…とあるので
北山戦の時点では「巴志」だけ…のはずではあるのです、が。
一説には、尚巴志はあくまで尚巴志であって、
「尚」を苗字としたのは中国人の勘違い!?みたいな…。
よって、しかたなく(?)後の王にも「尚」をつけるようになって、
さかのぼって思紹にも「尚」をつけた、みたいな。
んーーーーーー。
まあ…でも尚巴志のほうが分かりやすいだろうし…ということで、
「尚巴志」に統一させていただきました。
(最初の頃は、「巴志様」と言わせてましたが、途中から混合してきたので尚巴志に統一!(汗))
3/4の最後に、緋寒桜の描写を追記しました。
北山戦は3月中旬のことらしいです。(新暦?旧暦?)
当然ながら3月中旬には沖縄の桜は葉桜なのでアリエナイのですが、
昔は今よりも気温も低く、雪が降った記録もあるらしい…(!)ということで、
まぁ、一輪くらい遅咲きがあっても許容範囲、ということで。
※11/3追記 太陽暦で言うと4月3日に出兵。北山戦、昼夜4日間。だそうです。
今回の写真も、月と桜をキーワードに
今帰仁グスク桜まつりの時の写真をひっぱり出してみました
*
最後に、制作裏笑い話。
最初、尚巴志が結構「悪」でした(笑)
金丸みたいな(笑)
1/4の、
先ほど戦況を伝えに来た部下が、周りの兵士の雄叫びにかき消されぬよう、大声で話かけた。
「敵の攻撃は相変わらずです!このままでは、確実に……。」
「ふ…、心配には及ばん。」
尚巴志は笑った。
の部分。
ここで、尚巴志にどんな笑い方をさせるかで結構キャラが変わるんですよね(笑)
最初は、
「ははは!心配には及ばん。」
でした。
ははは!って(笑)
で、次が
「ククク…、心配には及ばん。」
でした。
ククク…っていくらなんでも悪すぎでしょ!
ってことで、
間を取って、↑になりました(笑)
というわけで、4回に分けてお送りしました琉球短編小説「北山炎華」、
これにて終了です。
もしよかったら「読んだよー」の一言でもいいのでコメント入れてくだされば
著者のシルフさんにとっても励みになると思いますので宜しくお願いします
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