この記事では、架線集材の仕組みについて、簡単に説明していますが、新たに書き直しましたので、こちらをご覧ください→ 架線集材 エンドレスタイラー 仕組み
もちろん、このままお読みいただいても、結構です。
よろしくお願いいたします。
【①のつづき】
架線集材という技術は、林業の中でも上位クラスの技術だと思います。
近年は、プロセッサ、タワーヤーダ、スイングヤーダなど高性能林業機械を使って、木材を搬出する方法が主流となっています。
これら機械を導入したことによって、木材の生産性は向上しましたが、機械が走れる道が山にないといけません。
和歌山県のように山が険しいところだと、高性能林業機械を使える場所が限られてしまいます。
そこで、架線集材の技術が必要になってくる・・。というわけです。
もっとも一般的な架線集材は、「エンドレスタイラー」というやり方。
簡単に言うと、集材機で張り巡らせたワーヤーロープを循環的に回しながら、木材を集める方法です。
図にするとこんな感じ。
でわ、それぞれの役割を。
まず、木材を搬出するための搬器を乗せる「主索」。
主索は、両端とも木に固定しているので、集材機と直接は繋がっていません。
次に、搬器を動かす「エンドレスライン」。
エンドレスラインは、集材機にあるエンドレスライン用のドラム(糸巻きみたいな物)を操作して、搬出したい木材の場所まで、搬器を送ります。
搬器は主索に乗っているだけですので、エンドレスラインの操作1つで、搬器を奥に送ったり、手前に引き戻したりすることができます。
エンドレスラインを単純に考えると・・・
このように集材機の中を通って、グルグルと循環しています。
つまり、集材機のドラムを左回転すると奥に、右回転にすると手前に搬器が動く・・という感じです(左回転が奥に動く・・・という表現は例えです。その通り動くという意味ではないです。)。
ただし、搬器を木の真下に動かしてきても、搬器そのものは、空高くぶら下がっています。
そこで、木を吊り上げる・吊り下げるための「リフティングライン」を設けます。
リフティングラインは、片方は集材機と繋がっており、もう片方は木に固定されています。
そして、集材機のドラムを回して、リフティングラインが張ったり、緩めたりすることで、木を吊り上げたり、下ろしたりすることができます。
簡単に言うと、固定したロープを引っ張るとピンっと張り、緩めるとロープは垂れ下がる、それと同じ理屈です。
リフティングラインを緩めると、ワイヤーロープが木の下まで降りる。
リフティングラインを張ると、ワイヤーロープが木を吊り上げる。
みたいな
これに、もう1つ重要なものが「ロージングブロック」です。
このロージングブロックにリフティングラインを通します。
加えて、このロージングブロックを狙ったところに下ろすための重りをつけます。
上の写真は、専用に作った鉄製の物ですが、木の丸太を利用する人もいます。
しかし、搬器やロージングブロックは、あくまで主索の線上でしか、木材を搬出することができません。
主索の真下から離れたところの木を搬出するために、「ホールバックライン」というものを設けます。(アウトラインとかアウト線とも言います。)
ホールバックラインは、ロージングブロックの重りに固定し、集材機のドラムと繋がっています。
集材機のドラムを回して、ホールバックラインを引いたり、緩めたりすることで、ロージングブロックを動かすことができます。
まとめです。
①搬器を乗せる主索。
②搬器を動かすエンドレスライン。
③ロージングブロックを下ろしたり、上げたりするリフティングライン。
④ロージングブロックを主索の真下から離れたところに移動させるホールバックライン。
で、こうなります。
集材機が関係するのは、②~④の操作ですね。
その集材機を正面から見てみましょう。
3つのドラムがあります。
それぞれのドラムを操作することで、搬器等を動かすことができます。
要は、ワイヤーロープを緩める・張るという動きが、吊り下げる・吊り上げるという働きになると考えてください。
後継者がいないんです。
特に、距離が1,000mを超える架線の設置ができる技術者は限られています。
主に高知県で行われている「H型架線」という架線集材が注目を浴び、再び、架線集材が重要視されるようになりました。
これを機会に、架線集材技術の後継者を育てつつ、集材機の改良も求められています。
もしここで、架線集材の技術が途絶えたら、再び、その技術を取り戻すことは、本当に大変です。
特に、今ある技術は先人たちの知恵や経験、そして、犠牲の上に積み上がってきたものです。
先人たちの犠牲があったからこそ、何が危険なのか、今を働く人たちに伝わっているんです。
この技術が途絶えたら、先人たちの犠牲が無駄になってしまいます。
これは、大変無礼なことだと、個人的には思っています。
誰かが犠牲になったからこそ、二の舞にならないよう、みんなが気をつけるようになったわけです。
「こういう事故が多いから、気を付けよう。」
「これは絶対にしてはいけない。」
「ここには絶対に入ってはいけない。」
誰かの犠牲が、今、技術として生きているわけです。
※本記事は、以前に掲載したものを修正し、改めて掲載したものです。