2011年3月11日の日記

2015年03月12日 00時20分47秒 | その他のかけら

■今日という日。
12時、神谷町で打ち合わせ。

14時から、汐留で会議。

地震は、その会議中に起きた。
日本テレビの26階の会議室だった。
会議室なので、落下物の恐れはない。
ビルの耐震もしっかりしているはずだ。
だから、落ち着いて周囲を見ることができた。
窓の外を見ると、隣のホテルのビルが大きくしなっているのがわかる。
あとで聞いた話だが、日テレタワーも外から見ると、「高層ビルはこんなに揺れるのか」と驚くほどだったという。
揺れている最中、立ち上がろうとすると、足元がおぼつかない。
遠く、フジテレビの裏から煙がのぼるのが見えた。火事だ。
これも後にわかることだが、建設中のビルでの火災だった。

揺れが収まり廊下に出ると、エレベーターは止まり、防火シャッターも一部下りている。
家族の安否を確かめるが、携帯はつながらない。スタッフルームの電話からかける。
家人と連絡がとれる。実家の母親とも連絡がとれる。どちらも無事。
母親にはご近所さんが付き添っていてくれるようなので、安心する。

テレビとtwitterで情報を収集する。
混乱状態の中の生中継なので、普通ならば放送してはいけないような映像がしばしば映る。
たとえば、走っている車が押し寄せてくる土砂混じりの水に飲み込まれる様子などだ。
交通機関はストップしている。この時点の情報では、今日一日復旧する見込みは薄いということだった。

さて、どうしたものか。

「歩いて帰宅しよう」

なぜそんなことを思ったのかわからない。新橋から世田谷の経堂までは、けっこう距離がある。
ただ、頭の中に地図はある。
こんな機会はめったにないと思い、歩いて帰宅してみることにしたのだ。

26階から階段で下りるだけでひと苦労だ。
外に出ると、歩道には人があふれている。道路も渋滞だ。

新橋から御成門を抜けて、神谷町に出る。そこから飯倉をまわって六本木に出る。

路面に飲食店を見ると、意外とにぎわっている。満員の店もあるほどだ。
六本木通りに出ると、歩道も渋滞している。みんな、どこに向かおうとしているのか。
途中のオフィスビルでトイレの貸出をしている。
た、渋谷駅近くの歩道が一部通行止めになっていた。見ると、歩道沿いの古いビルの窓ガラスに大きなヒビが入っていた。

新橋~渋谷の移動で、2時間弱。

246沿いの歩道も混雑している。なかなか自分のペースで歩けない。
このあたりでもやはり飲食店は混んでいる。
飲食店の中には「トイレ自由にお使いください」「携帯充電できます」などと書きだしている店もある。
善意の光景。意外なところでは、靴屋が混んでいた。歩いて帰る人が、歩きやすい靴を買っているのだ。


渋谷から三茶に移動している途中で、家人(大)から電話があった。
家人(小)の友だちを預かっているという。
電車で通学しているため、帰ることもできなければ、親が迎えにくることもできなくなってしまったのだという。
歩き始めて3時間。かなり疲れがきていたところだったので、この電話はうれしかった。

ただし残念だったのは、歩いて帰った目的のひとつが、家人たちを驚かせたいということだった。
三茶にいることがバレてしまった。もうサプライズにならないじゃないか。
なので、サプライズの方向性を変える。
世田谷通りを歩きながら、コンビニやスーパーで子どもたちの喜びそうな食糧を買い込む。

最終的に宮の坂の駅前でたこ焼きを買い、帰宅すると、家の前に不審な男たちが。
「○○小学校のものですが」
我が家で預かっている子どもたちの親が、明日の朝まで迎えに来れないことが判明。
学校に泊らせることになり、先生たちが引き取りに来たのだという。
家に入ると、みんな、荷物を手にしている。え、せっかくのたこ焼きは。仕方なくたこ焼きとお菓子は、先生たちに託す。
興奮状態にあるせいか、いつの間か消えていた疲れが、温かい飲み物を飲みながら、ニュースを見るうちに、足腰ににじみ出てくる。
明日はスケジュールがつまった土曜日なのだが、いったいどうなるのだろうか。
そんな思いを抱えたまま、24時過ぎに泥のように眠る。