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山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

小値賀島の手作りほうき・買わない暮らし

2012-12-15 | 

こちらの家でも見つけました。手作りのほうき。(昨日の記事参照)
穂先がやわらかそうでいい感じです。
小屋に焚き木がストックしてあって、
その前の七輪で魚を焼いています。

小値賀島ではまだまだ薪炭利用が盛ん(2005年のこと)。
回りの山々で手に入るものをエネルギー源にするって、基本ですよね。
本当は。生きる上で。
今、都会では何かを燃やす場所もありません。密集しすぎです。


山里の昔の話を聞いていて、ガスが入ってきた頃のことを聞くと、
ガスはあっても、焚き木も併用して、できるだけお金を使うことを避けようとした様子がうかがえます。
今でも山里のお年寄りは、お金を使うということを特別なこととして捉えています。
高度成長後に育った私の世代は、モノをお金で買うというのが普通のことなのですが
その前の時代は違っていたということ。これは本当に大きな違いです。

それを、
最近は「買った暮らし」だね。
という言葉で言い表している地域があった。その言葉が心に残っています。


写真/長崎県小値賀島(2005年)

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落葉を集める人

2012-12-14 | 

今日もすばらしくいい天気です。
朝ものすごく寒かったけど、日中は風もなく穏やかです。

うちの横の道の落葉を、軽トラに積み込んでいる人がいる。
簡単に軽トラ1杯になってしまいます。
先日アベマキの葉が盛大に落ちたとき、近所の人と、落葉を道の片側の山のほうに
掃き集めて放置してあった。

以前はこれを燃やしていたのですが、
火事が怖いので最近は燃やしていません。
風がくれば火が山の中に落ちていって、山火事になってしまう怖れもあります。
風さえなければなんともないですけどね。

その掃き集めた落ち葉を、持って行ってくれる人がいます。
有機栽培でもやっているのでしょう。
どうぞどうぞ、どんどん持って行って。
できればうちの庭の落葉も掃いて持ってってくれませんか、と
声かけたいけど、黙っています。


写真/道をきれいにする人がいる。ほうきも手作り。長崎県小値賀島(2005年)

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東南アジアの漂海民 モーケンとバジャウ

2012-01-18 | 
ミャンマーの西側に小島がたくさんあって、そのあたりの海を漂って暮らしている人たちがいる。モーケンという民族で、最後の漂海民と言われている。
先日見直したのは、この人たちを描いたドキュメンタリー。
この人たちは、舟を住みかとして、家族で舟で暮らしている。

実は日本にもそういう人たちがいるのだが……。
東南アジアには、ほかにも舟に住む人たちがいて、有名なのはフィリピンからインドネシアの海にかけて暮らしているバジャウ族である。

1年ぐらい前にバジャウ族の人の本を読んだのがきっかけで、漂海民の人たちに強く興味を持った。一生を舟で暮らすわけだから、持ち物はきわめて少ない。というか、ほとんどない。なるべく物を持たないようにして暮らしている。
そして、漁をする能力だけでなく、真っ暗闇の、星もない中でほかの島まで正確に行き着く能力や、数日前から嵐を察知する能力を持ち、どの島にどんな入り江がありどこに泉があるかを知り尽くし、海の上を縦横無尽に旅をしている。獲った魚を干して保存用にして売る。多くは中国系の商人が買い取っているようだ。それらは高級食材として、香港などのレストランで供されている。フカのひれや、ナマコ、ツバメの巣などもそうだ。

インドネシア政府は、定住化政策で躍起になってバジャウ人たちを定住させようとした結果、今では、本当に一生を舟で暮らす人はほとんど絶滅してしまったようだ。
定住化させることによって、さまざまな知恵を失わせているといえる。
政府のやることは、どうしてどこでもいつでも、こんなふうに不毛なのだろう。
というか、まあそれが国家の政府というものの宿命なのかもしれない。

もともとバジャウの人たちは海に住んでいたわけで、どこの国家の人でもない。フィリピンでもインドネシアでもなかったわけだが、今は無理やりどこかの国家に組み入れられてしまおうとしているというわけだ。

モーケンは、国でいえばミャンマーだけでなく、シンガポールやマレーシアなどにも属している。ミャンマー以外の国では早々に定住化を勧めたので、現在はミャンマー沖だけにモーケンの人が残っているということらしい。
しかし、ミャンマーもまた、今では、彼らの定住化政策を強力に進めているということだ。

かつて世界中に、定住しない人たちがいた。
日本の山では木地師という人たちが、山から山へと渡り歩いて働く暮らしをしていたが、日本はやはり定住化を進めて、今ではそういう人はいない。住所不定は許されなくなってしまったのだ。
ジプシーなどの遊牧民族の人たちも今は定住したが、迫害もされていた。
漂泊する人達は、定住していた人たちから見下されたり差別されたり扱いをされてきたことが多いが、実はものすごい知恵の持ち主で職業に強いプロ意識と誇りを持った尊敬すべき人たちである。

テレビでは、定住化を勧められているモーケンの人たちが、陸で集まってテレビを見ている光景が映し出されていた。
テレビを通して、都市の様子を知り、やがて影響を受けていくだろう。

私はテレビを通して山村や離島の人たちの知恵から多くのことを学んでいる。
彼らは自分たちが学びの対象になっているなどとは思いもしないだろう。

モーケンの人の暮らしは、常に危険や飢餓と隣り合わせで、質素で厳しいものである。
だから、楽な暮らしをしようと、陸に上がる人も多い。
しかし、番組の最後に、取材された一家の主の男性が言った。

いつまでも家族一緒に舟に乗り、自由な暮らしがしたいです。

と。「自由」な暮らし、このフレーズに衝撃を受けた。
彼らは、結果的にはたから見て自由な暮らしになっちゃっているわけでなく、自由を大切にしているのだ。
自由な暮らしをすること、それが、彼らの考える、生きる尊厳なのだと思う。
そして、家族が一緒にいられることが、とても大事なことなのだ。

日本ではいつのまにか、会社勤めをせっせとすることが一番立派なことだと考えられるようになってきたが、その歴史は意外に浅いということも忘れてはならないだろう。
少し前までは、質素でも、家族一緒に田畑で働き、誰にも雇われず自由であることが、多くの人の目指す暮らしだったのだ。一時的に人に雇われて給料をもらうのは、「金稼ぎ」とか「賃取り」といわれていた。

モーケンの人の息子の青年は言った。
お嫁さんをもらって自分の舟を持ち、父や兄弟と船団を組んで魚を獲りたいです。
獲った魚の半分は父にあげ、半分はお嫁さんにあげます。
と。
答えるのに、何の迷いもなかった。

こんな清らかな心で生きていられる人たちと、
私たちはなんと離れてしまったことだろう。
私達の歩んできた道は、「進歩」だったのだろうか。
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鯨とともに生きてきた人々

2012-01-14 | 
2年ぐらい前にNHKで放映されたドキュメンタリー2本を、見直してみた。
どちらも、子どもが父の姿を見て、その生業の技を会得し、一人前になろうとする姿を描いたもので、感動作である。
1つは、「天涯の海に少年は育つ~銛一本で生きる~」(インドネシア)
もう1つは、「少年レウィー~命あふれる海で育つ~」(ミャンマー)

同じように、銛を持って海に飛び込み魚や鯨を獲る、すさまじい漁をしている。
同族ではないけれど、きっと祖先を同じくする人たちなのだろう。インドネシアの番組の人たち(ラマレラ村の人)は、インドシナのほうから海伝いに渡ってきた人たちだとされている。

ラマレラは、インドネシアのほぼ最東部の島にある村で、そこの人たちは
最後の捕鯨民族と言われている。
捕鯨反対の白人の人達は、この島にも行っているらしい。

関連した本を読んでいる。1990年代のラマレラの捕鯨の様子を書いたもの。
漁についてのものすごい知恵と勇気を持った人たち。
船団で鯨を追い、リーダーが鯨に体当たりし、船は転覆ほぼ必至、全員海に落ちてから海に浮かび、ほかの船に上ってからも、みんなで鯨と闘い続けるという、壮絶な漁のようすが描かれている。
自然の中で生きていくためには、知恵と勇気が絶対に必要なのだということが分かる。

和歌山で捕鯨反対に乗り込んでくる外国の人たちをニュースで見て
まるでテロリストのようだと思った。
そうしたら、実際に、エコテロリストと呼ばれているらしい。

10日ほど前、また活動を始めたというニュースをやっていた。
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車には注連飾り 答志島

2012-01-11 | 
三重県鳥羽市答志島答志。

これも島の大事な運搬車。どの島にもこういう運搬車があります。
島ごとに島独特の改良が加えられていたりする。
愛知県佐久島のは三輪車。

で、これ、乗り物じゃないですが、やはり注連飾り。
ほんと、大事なんですね。


ということは、昔は大八車とかリヤカーとか、乳母車にも
当然つけていたのでしょうね。
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自転車に注連飾り 答志島

2012-01-10 | 
三重県鳥羽市答志島答志。
島の大事な足、自転車にも注連飾り。

この島の人、ほんとに注連飾りをたくさん飾ります。
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乗り物に注連飾り 答志島

2012-01-09 | 
三重県鳥羽市答志島答志。

最近は車に注連飾りもめっきり減りました。
島では、船にはもちろん立派なのがついています。
軽トラにもついています。

日本人は自動車などという現代的なものにも
注連飾りをつける。考えてみれば面白い。

昔は馬車とか牛車にもつけていたのでしょうか。
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門松の中にお供え 答志島和具

2012-01-08 | 
三重県鳥羽市答志島和具。門松のわら筒はお供えを入れるためのものでした!
中にご飯(小豆ご飯や、すし飯らしきもの)と、にんじんと大根のなますが少し
入れられています。

お正月に小豆ごはんを食べる習慣があるようです。
民宿で、お雑煮でなく小豆ご飯が出ました。
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和具の門松 2

2012-01-08 | 
三重県答志島和具。電柱を利用して門松を飾っている。
なんともおおらか。

木はシイではない。和具ではいろいろな種類の常緑樹が思い思いに使われていた。
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三重県答志島和具の門松

2012-01-08 | 
和具の門松には、わら筒が付いている。(付いていないものもあった)


さすがに、答志島では、門松カードは貼られていませんでした。

数年前、門松カードのことをこのブログに書きました。いつだったかしら……
わがまち中津川市では門松カードという印刷物(カードといいながらペラペラの紙)が
市から全戸に配られていて、年末に玄関の横に貼る人がたくさんいます。
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答志島 味わい深い素焼きのタコつぼ

2012-01-08 | 
答志島 答志港に置いてあったタコつぼ。
素焼きの色が味わい深くて、花瓶か植木鉢に一つほしい!
もちろんかっぱらってきたりはしてません。
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答志島答志の注連飾り

2012-01-06 | 
注連飾りは、わらの間に、ウラジロの葉とユズリハの葉1枚がはさんであって、真ん中の木の札に「蘇民将来子孫家」と書いてある。これもそれぞれ書く家で作る。
島なので田んぼはほとんど見られない。つまりわらは各家でまず自給できない。なので、しめなわは老人会が配る。札は家を建てた大工さんが配る。そして家ごとに字を書く。

都会では門松、注連飾りなどほとんど見られなくなっているけれど、地方ではまだまだ
こんなふうに手作りしてきちんと飾っているのだ。

答志と和具では、玄関だけでなく、窓という窓に注連飾りを飾っているのがとても珍しかった。
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答志島答志の門松 シイの木で作る

2012-01-05 | 
答志島には、桃取、答志、和具の3つの集落がある。
桃取は島の西端にあるが、他の2つは東端にある。したがって、答志と和具は大きく見れば一つにまとまっている。
でも、門松はかなり違っていた。

答志の門松はシイがたくさん使ってある。上向きにシイの葉をどっさり立てて、下向きにも立てているのが珍しい。
上向きのほうには、松と竹(笹)と梅も挿してある。

各家、山へ行って取ってきて作るのだそうだ。
玄関のドアの両横につけてある。
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大漁旗はためく答志島のお正月

2012-01-04 | 
三重県・答志島 和具の港。風の強い日でした。
新造船で「みかん撒き」があるというので、前から楽しみにしていたのに
行ったらすでに終わっていました(泣)。

答志島では、門松と注連飾りの様子が面白くて、そればかり写真を撮っていました。
伊勢神宮のお膝元なので、なにやら由緒正しげな様子でした。
別途写真をアップしようと思います。
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漁船の停泊する港の風景

2011-01-12 | 

再び写真は真鍋島です。

こんな漁港の風景が、なぜだか大好き。

 

こちらは相変わらず寒い毎日。車で出かけると、日差しはちくちくするぐらい強くなっているのだけど。それに日も長くなっているし。

もう梅が咲いている地方もあるとか。

ということは、旧暦ではまだ年末のうちに、梅って咲き始める花だったのだ。

そして、梅の柄もほんとに好きです。和柄の代表っぽいけど、どれだけ見てもかわいい。桜柄よりほっこりして、なぜかかわいい。日本の柄ってほんとにいいですね。

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