山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

イカルのさえずり

2012-01-21 | めぐる季節と自然
今朝はけたたましいイカルのさえずりで目が覚めた。
ずいぶん長時間続いていた。

イカルの声というのはやさしい感じだと思っていたけど
間近に聞くとあんなに強い声だとは。

いつのまにか春のさえずりのシーズンに入っているのでしょうか。
それに久しぶりにたくさんの雨。
夜になって冷えてきましたが。


でもまだまだ冬は続きますね。
明日からしばらくブログはお休みです。

冷蔵庫のない生活

2012-01-20 | たべもの・台所
昨日、足助からOさんご来訪。
へんなおじさんだけど実はとてもエラい人。そんな人が話をしにきてくれるとは
ありがたいこと。
年が30歳ぐらい離れているけど、漠然と世の中に対して感じていることが、言わなくても通じてしまうありがたさがある。
私たちが歩んできた進歩について、
いまだ「汚染されていない」人々の暮らしについて
いろいろと話す。
Oさんの言う「汚染」とは、科学技術の発展から来る人間の堕落のことを言っている。

冷蔵庫は食べ物をまずくする箱である。
と、Oさんも言う。
食べ物は新鮮なうちにすぐ食べればいいんだ、と。
私がこのことを明確に意識したのは、山口昌伴という建築学の先生が本に書いていたからである。
冷蔵庫は食べ物をまずくしてから食べるための道具であるとはっきり言われている。
この先生は世界中を旅して台所を見たり収納の仕方を調べたりしてたくさんの本を書いているが、どの本もめちゃくちゃ面白い(笑える)のである。

わが山里文化研究所の1冊目の本で、あるおばあちゃんが言われている。
昔は食べ物がおいしかった。
それは、食べ物がなかったからおいしく感じたということではない。
何でも新鮮なうちに食べていたからだ。
ニワトリなどめったに食べられなかったけど、食べるときは、庭でつぶしたばかりのものをすぐに食べていたから、本当においしかった。
と。

さもありなん。

Oさんはこの冬イノシシの肉の燻製を2キロ作ったそうだ。
それも、やはりすぐに食べたほうが断然おいしいのだといっていた。


体を冷やす食べ物

2012-01-19 | たべもの・台所
今朝はすごく体が冷えて眠れなかった。気温はそれほど低くなかったと思うけど。
何かいけないもの食べたかしらと振り返る。
もしかして、アボガドと、りんご?
お昼、トーストにアボガドと煮りんごをのせたサンドイッチがあまりにもおいしくて
つい食べすぎたので……(アボガドは丸々1個食べてしまった)。

体の調子と食べ物が関係ある。
という当たり前のことに
この年にしてようやく注意を払うようになった。

頭痛も何らかの原因から起こっている。
冷えはてきめんに現れる。

南方の食べ物は体を冷やすものが多いらしいし
住んでいる地域に生育できないものは、体に合わないものが多いらしい。
まあ、それもなんとなく、そうだろうなあとは想像がつく。

柿が赤くなると医者が青くなる
ということわざがあると、知り合いの医者が言ったので
いつになく柿を食べたらすぐに、いつになく風邪をひいたことがある。
柿は果物の中でも特に体を冷やすので、
柿が赤くなると医者は忙しいというのが本当らしいのだ。

昨秋はものすごい柿の生り年で、我が家の柿も前代未聞の豊作だったので
せっせと柿を食べていたら、足が冷たくて眠れなかった。
鍼の先生にあきれられ、1日に4分の1個までにしなさいと言い渡された。

以来、体を冷やす食べ物に気をつけているというわけ。

東南アジアの漂海民 モーケンとバジャウ

2012-01-18 | 
ミャンマーの西側に小島がたくさんあって、そのあたりの海を漂って暮らしている人たちがいる。モーケンという民族で、最後の漂海民と言われている。
先日見直したのは、この人たちを描いたドキュメンタリー。
この人たちは、舟を住みかとして、家族で舟で暮らしている。

実は日本にもそういう人たちがいるのだが……。
東南アジアには、ほかにも舟に住む人たちがいて、有名なのはフィリピンからインドネシアの海にかけて暮らしているバジャウ族である。

1年ぐらい前にバジャウ族の人の本を読んだのがきっかけで、漂海民の人たちに強く興味を持った。一生を舟で暮らすわけだから、持ち物はきわめて少ない。というか、ほとんどない。なるべく物を持たないようにして暮らしている。
そして、漁をする能力だけでなく、真っ暗闇の、星もない中でほかの島まで正確に行き着く能力や、数日前から嵐を察知する能力を持ち、どの島にどんな入り江がありどこに泉があるかを知り尽くし、海の上を縦横無尽に旅をしている。獲った魚を干して保存用にして売る。多くは中国系の商人が買い取っているようだ。それらは高級食材として、香港などのレストランで供されている。フカのひれや、ナマコ、ツバメの巣などもそうだ。

インドネシア政府は、定住化政策で躍起になってバジャウ人たちを定住させようとした結果、今では、本当に一生を舟で暮らす人はほとんど絶滅してしまったようだ。
定住化させることによって、さまざまな知恵を失わせているといえる。
政府のやることは、どうしてどこでもいつでも、こんなふうに不毛なのだろう。
というか、まあそれが国家の政府というものの宿命なのかもしれない。

もともとバジャウの人たちは海に住んでいたわけで、どこの国家の人でもない。フィリピンでもインドネシアでもなかったわけだが、今は無理やりどこかの国家に組み入れられてしまおうとしているというわけだ。

モーケンは、国でいえばミャンマーだけでなく、シンガポールやマレーシアなどにも属している。ミャンマー以外の国では早々に定住化を勧めたので、現在はミャンマー沖だけにモーケンの人が残っているということらしい。
しかし、ミャンマーもまた、今では、彼らの定住化政策を強力に進めているということだ。

かつて世界中に、定住しない人たちがいた。
日本の山では木地師という人たちが、山から山へと渡り歩いて働く暮らしをしていたが、日本はやはり定住化を進めて、今ではそういう人はいない。住所不定は許されなくなってしまったのだ。
ジプシーなどの遊牧民族の人たちも今は定住したが、迫害もされていた。
漂泊する人達は、定住していた人たちから見下されたり差別されたり扱いをされてきたことが多いが、実はものすごい知恵の持ち主で職業に強いプロ意識と誇りを持った尊敬すべき人たちである。

テレビでは、定住化を勧められているモーケンの人たちが、陸で集まってテレビを見ている光景が映し出されていた。
テレビを通して、都市の様子を知り、やがて影響を受けていくだろう。

私はテレビを通して山村や離島の人たちの知恵から多くのことを学んでいる。
彼らは自分たちが学びの対象になっているなどとは思いもしないだろう。

モーケンの人の暮らしは、常に危険や飢餓と隣り合わせで、質素で厳しいものである。
だから、楽な暮らしをしようと、陸に上がる人も多い。
しかし、番組の最後に、取材された一家の主の男性が言った。

いつまでも家族一緒に舟に乗り、自由な暮らしがしたいです。

と。「自由」な暮らし、このフレーズに衝撃を受けた。
彼らは、結果的にはたから見て自由な暮らしになっちゃっているわけでなく、自由を大切にしているのだ。
自由な暮らしをすること、それが、彼らの考える、生きる尊厳なのだと思う。
そして、家族が一緒にいられることが、とても大事なことなのだ。

日本ではいつのまにか、会社勤めをせっせとすることが一番立派なことだと考えられるようになってきたが、その歴史は意外に浅いということも忘れてはならないだろう。
少し前までは、質素でも、家族一緒に田畑で働き、誰にも雇われず自由であることが、多くの人の目指す暮らしだったのだ。一時的に人に雇われて給料をもらうのは、「金稼ぎ」とか「賃取り」といわれていた。

モーケンの人の息子の青年は言った。
お嫁さんをもらって自分の舟を持ち、父や兄弟と船団を組んで魚を獲りたいです。
獲った魚の半分は父にあげ、半分はお嫁さんにあげます。
と。
答えるのに、何の迷いもなかった。

こんな清らかな心で生きていられる人たちと、
私たちはなんと離れてしまったことだろう。
私達の歩んできた道は、「進歩」だったのだろうか。

鯨とともに生きてきた人々

2012-01-14 | 
2年ぐらい前にNHKで放映されたドキュメンタリー2本を、見直してみた。
どちらも、子どもが父の姿を見て、その生業の技を会得し、一人前になろうとする姿を描いたもので、感動作である。
1つは、「天涯の海に少年は育つ~銛一本で生きる~」(インドネシア)
もう1つは、「少年レウィー~命あふれる海で育つ~」(ミャンマー)

同じように、銛を持って海に飛び込み魚や鯨を獲る、すさまじい漁をしている。
同族ではないけれど、きっと祖先を同じくする人たちなのだろう。インドネシアの番組の人たち(ラマレラ村の人)は、インドシナのほうから海伝いに渡ってきた人たちだとされている。

ラマレラは、インドネシアのほぼ最東部の島にある村で、そこの人たちは
最後の捕鯨民族と言われている。
捕鯨反対の白人の人達は、この島にも行っているらしい。

関連した本を読んでいる。1990年代のラマレラの捕鯨の様子を書いたもの。
漁についてのものすごい知恵と勇気を持った人たち。
船団で鯨を追い、リーダーが鯨に体当たりし、船は転覆ほぼ必至、全員海に落ちてから海に浮かび、ほかの船に上ってからも、みんなで鯨と闘い続けるという、壮絶な漁のようすが描かれている。
自然の中で生きていくためには、知恵と勇気が絶対に必要なのだということが分かる。

和歌山で捕鯨反対に乗り込んでくる外国の人たちをニュースで見て
まるでテロリストのようだと思った。
そうしたら、実際に、エコテロリストと呼ばれているらしい。

10日ほど前、また活動を始めたというニュースをやっていた。

お米の力 日本酒でほかほか

2012-01-14 | たべもの・台所
よくお酒好きな人が、「寒いから」を大義名分にして日本酒飲んだりしてる。
でもそれは大義名分じゃなく、ほんとに日本酒には体温め効果がある。
という、日本人の常識を、やっと理解したわたくしです……

やはりみなさんの言うことには耳を傾けるべきでした。

お酒(一般)は冷めるときかえって寒い、というのが私の印象だったけど。
寝る前に日本酒をお猪口に2杯ぐらい飲むと、寒くて目がさめるということが
ほとんどない。朝目覚めたとき、体がほかほかしている。

お酒を飲むのは特殊な場合以外やめたのだけど
最近、体をあたためるために日本酒を飲んでいる。
ビールや焼酎はすごく体を冷やすらしい。
ちなみにコーヒーも。

以前、昼はコーヒーをいっぱい飲み、夜はビールを飲むという生活をしていた。
鍼灸院のアシスタントのお姉さんに
「きっと体ぼろぼろでしたよ」と言われた……
で、日本酒をすすめられたのです。

お米に感謝。

蒸したご飯とお湯かけご飯

2012-01-12 | たべもの・台所
電子レンジを使わずに、冷たいごはんを温めるには、「蒸す」のがよい。

冷たいご飯の食べ方というテーマで、1カ月ほど前、ネット上の何かの記事があったけど……。

考えてみれば25年近く前まで電子レンジなんて持っていなかった。
ごはんを電子レンジであたためようなどと、考えたこともなかったわけである。

電子レンジを捨ててみて「昔に戻っただけ」と思うわけで、真剣にごはんの食べ方を論じるほどのことでもないのですよ、おばさんは。

で、子供の頃は、冷たいごはんは
①冷たいまま食べる
②お茶漬けにする
③チャーハンにする
のどれかだった。

だから「お茶漬けのり」というふりかけが大いにヒットしたと思うけど、今、昔ほど売れないのでしょうね。シンプル「お茶漬けのり」の後、「鮭茶漬け」や「梅茶漬け」も生まれたりして。それにお茶の味にもずいぶんこだわった。子供のくせに。

母の作るチャーハンはご飯がパラパラですごくおいしかった。あの味は出せない。

木で出来た「茶だんす」の引き戸をススーッと開けると、いつも決まった場所に冷やご飯が入っていたものである。

で、「電子レンジ捨て後」時代の私がしばらくやっていたのは、蒸す方法。
蒸すというのは、現代の台所で最も失われた調理法である。

本当は蒸すというのは原始的な由緒正しき加熱方法で、伝統料理には蒸すものが多い。
南の島ではバナナの葉に食べ物を包んで蒸し焼きにしている。
もち米は蒸さなきゃいかんのです。でも今は炊飯器のもち米コースで炊いてもいいです。

ご飯を蒸すのは一見面倒そうだけど、実はすごく簡単。
ご飯1杯蒸すのなら、小鍋に1センチぐらいお湯をはり、ご飯を入れたお茶碗を入れて、お鍋のふたをして5分も加熱すればよい。

野菜を蒸すなら、お茶碗でなくステンレスか竹のざるに野菜を入れればよい。

電子レンジ時代の名残で、「ご飯は炊き立てのような状態にして食べねばならぬ」と思い込んでいたので、しばらく蒸していたのだけど、
そんなことをしなくても、熱湯をかけて食べれば十分おいしいことに気づいた。
炊き立てのご飯とは違うおいしさが出たりする。
今はそれが気に入っているところ。
日本の水はおいしいから、お湯かけご飯最高。

車には注連飾り 答志島

2012-01-11 | 
三重県鳥羽市答志島答志。

これも島の大事な運搬車。どの島にもこういう運搬車があります。
島ごとに島独特の改良が加えられていたりする。
愛知県佐久島のは三輪車。

で、これ、乗り物じゃないですが、やはり注連飾り。
ほんと、大事なんですね。


ということは、昔は大八車とかリヤカーとか、乳母車にも
当然つけていたのでしょうね。

タッパーの栄枯盛衰

2012-01-11 | たべもの・台所
あたたかい日。
光も明るくて、春が来たよう。3月初め頃の感じ。

電子レンジを使わなくなって、すぐに変化が現れたのは、プラスティックの密閉容器を使わなくなったことである。
この容器、オバサン世代以上の人は、俗にタッパーなどと言うことがある。
今の子は知らない言葉かも。
40年ぐらい前は、タッパーウエアと言ってとても先進的なもので、文化生活の象徴であるかのごとくセールスレディが販促パーティーを開いたりしていた。ずいぶん高かったものだ。

ちなみに私はその販促パーティーに行ったことはないけど、友達が行って、いかに楽しいものでいかにタッパーがいいものか、翌日の休み時間に聞かされた。

夏になるとお茶をタッパーに入れて(実は私のはにせタッパーだったけど)凍らせて、学校に持っていっていた。
当時はペットボトルすらなかった……。
だからタッパーは大事なものだった。

今は100円ショップで、小型のものなら4個105円で売っている。もっとも性能(密閉度)はご本家タッパーに比べると劣る(ように思う)。
(いまどきタッパーなんて売ってるのか???)

脱線したけど、おかずを少し多めに作って小型の密閉容器に入れて冷凍しておき、ごはんを作る気がしないときに解凍して食べる、ということをやっていた。
煮豆だの、ひじきだの、切り干し大根だの
あるいは、余ったトマトソース。
もしくは、ごはんとか、おにぎりとか。

電子レンジを捨てたら、そういうことをする気がしなくなったのである。

冷凍庫を捨てたわけじゃないので、別にそれをやめなくてもよさそうなのだけど
なんとなく、連動して、やる気がなくなった。
100円に気をよくしてたくさん持っていたのだけど、全部要らなくなってしまった。

まあ、そういうこともあって、冷蔵庫もなくてもいいのかもしれない……という方向に向かったことは事実である。
しかし……長期不在のときは冷蔵庫便利ですね。一番入れたいのはぬか床です。

で、高度成長期に始まった、タッパー(プラ密閉容器)がステキに思えた一時代が、終焉に向かっているように思う。プラ容器を使うことはやめなくても、それをステキな暮らしの象徴だと思う人はあまりいないだろう。

フクロウ到来のわけ

2012-01-09 | めぐる季節と自然
先日フクロウ到来の記事を書いたけれど
鳥の調査を続けている友だちの話によると

○フクロウの声の前のギャギャギャギャギャという声もたぶんフクロウのもの。雌はそのように鳴くことがある。
○そのフクロウはこの地に住み着いている。秋は鳴かないけれど、今頃からまた鳴き始めて繁殖する。
○フクロウのヒナが食欲旺盛になる春に、ほかの小鳥の雛がかえって、エサにすることができる。
 フクロウの繁殖はほかの小鳥たちより時期が早い。

ということで、納得でした。

このフクロウの子どもたちが育って、またこの地に住んでほしい。

乗り物に注連飾り 答志島

2012-01-09 | 
三重県鳥羽市答志島答志。

最近は車に注連飾りもめっきり減りました。
島では、船にはもちろん立派なのがついています。
軽トラにもついています。

日本人は自動車などという現代的なものにも
注連飾りをつける。考えてみれば面白い。

昔は馬車とか牛車にもつけていたのでしょうか。

門松の中にお供え 答志島和具

2012-01-08 | 
三重県鳥羽市答志島和具。門松のわら筒はお供えを入れるためのものでした!
中にご飯(小豆ご飯や、すし飯らしきもの)と、にんじんと大根のなますが少し
入れられています。

お正月に小豆ごはんを食べる習慣があるようです。
民宿で、お雑煮でなく小豆ご飯が出ました。

和具の門松 2

2012-01-08 | 
三重県答志島和具。電柱を利用して門松を飾っている。
なんともおおらか。

木はシイではない。和具ではいろいろな種類の常緑樹が思い思いに使われていた。

三重県答志島和具の門松

2012-01-08 | 
和具の門松には、わら筒が付いている。(付いていないものもあった)


さすがに、答志島では、門松カードは貼られていませんでした。

数年前、門松カードのことをこのブログに書きました。いつだったかしら……
わがまち中津川市では門松カードという印刷物(カードといいながらペラペラの紙)が
市から全戸に配られていて、年末に玄関の横に貼る人がたくさんいます。