山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

街の植物観察~コニシキソウ~

2006-12-27 | 植物

コニシキソウという草を知っている人は少ないと思うんです。

正確には、コニシキソウはとてもよく生えているのですが、その草に目をとめたり名前が言えたりする人が少ないと思います。

コニシキソウはコンクリートのすきまからよく生えています。人が歩いて土の固くなったようなところにもあります。庭にも道端にもあります。草全体が這っていてあまり立ち上がりません。折ると白い液が出る、トウダイグサ科の植物です。

街の植物観察の受講生の方のほとんどは、最初は全く植物の名前を知りませんでした。そして、多くの場合、草の名前など一度聞いてもすぐに忘れてしまいます。ところが、私が教えた次の月に、すべての受講生が自分からこの草を見つけて名前をうれしそうに叫んだのには驚きました。「私の教え方がいいからだわ」と思いましたね。それが正しいかどうかは分かりませんが(きっと違います)、皆さんはお相撲の小錦を連想してすぐに覚えたそうです。その草が小錦に似ているわけでは決してありません。

そういえば昔、西サモアの一番西の世界で一番最後に一日が終わる村、ツツィラというところに行ったとき、みんなから「コニシキを知っているか」と聞かれました。ツツィラは小錦の生まれた村なのです。おかげで退屈しませんでした。小錦はサモアと日本の架け橋です!

コニシキソウは外国からやってきて、まだ日本の草が生えている暇のないコンクリートの隙間に新天地を得て、したたかに生えています。すきま産業みたいなひとです。だから栄にたくさんあります。

人間も、昔は外国人は田舎にはいなくて都会にたくさんいたものですが、最近は中津川のような田舎でもしょっちゅう見かけるようになりました。


街の植物観察 タネツケバナ

2006-12-26 | 植物

街の植物観察で見つかった植物を3回前ぐらいに書きましたが、これらは、4月以来毎月必ずお目にかかる植物です。そのときによって小さかったり、大きかったり。冬以外はいつでも芽を出すことができるのです。年中育っているというのは、もしそれが野菜だったりしたら、とても利用しやすいことになります。

タネツケバナはアブラナ科です。みんなでかじったことがあります。しばらくかんでいると、ピリッとしてさしみのつまにピッタリということを発見しました。タデを見つけるよりはずっと簡単です。栄の真ん中で草を食べるなんて、普通の人はあまり経験しないでしょう。

12月は、植物が少なかったので一つ一つについてじっくりお話。

私「アブラナ科の植物は野菜の中でとっても多いんです。思いつくものを言ってください。

受講生A「う~ん……。大根」

私「そうですね! ほかには?」

受講生B「う~ん……。カブ」

受講生C「ラディッシュ」

受講生D「二十日大根」

受講生E「辛味大根」

受講生A「こんなちっちゃい箱に入ってずらっと並んでいるアレ、アレ……」

受講生B「かいわれ大根」

私「大根はもういいですっ!」

皆さんよほど大根がお好きなようで。キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー、菜花、小松菜、クレソン、ワサビなんかもアブラナ科です。とくにクレソンはタネツケバナに良く似ています。

 

先週は、名古屋に行き豊田に行き、京都に行きまた名古屋に行き、その合間に風邪で寝込んだりして、あわただしい週でした。風邪のせいでまた仕事に追われています。


足助新盛裏山塾 たきぎとり・まき割り、たき火

2006-12-17 | 山里

本日は足助新盛裏山塾の第4回目。元加子母村長を講師にお招きして行いました。

最初に「すがい」づくり。わらで簡易な短い縄を作ります。

その後、裏山に上がって「もや」を集めすがいで束ねます。もやとは、細い木、小枝です。

続いて、直径5センチ以上ぐらいの木は、90センチにのこぎりで切ります。同じ長さにそろえることが日本人の誇り? 美しくなくてはいけません。

昨日切り倒しておいた枯れた松もあります。

これらを山の上から落とします。これを「たきぎを狩る」といいます。

午後からは薪割りをして、薪をきれいに積み、その後、杉葉をたきつけにしてたき火をしました。

「アウトドア系」の「講師」の場合、薪が乾ききっていないと絶対燃えないとか、雨の日はたき火ができないと言い切り、最初に灯油を使いたがるのですが、粥川先生においてはそんなことはありません。生木でも雨の日でもやります。

今日最も印象的だったのは、先生の意識のなかで「たきぎをとる」ことと「山をきれいにする」ことが一体になっていたことです。たきぎとりとたき火がテーマであるにもかかわらず、先生のお話はしばしば、どうやって山をきれいにしていくか、に帰着しました。先生が山を見られてまず言われたのは、とにかく落ちている小枝や、枯れた松を集めてもやしなさいということでした。

山の中には倒れた木もたくさんあり、今日はできませんでしたが、これからそれらの木を取り除いていくようにというお話でした。

今日はもっとたくさん雨が降るかと思っていましたが、ほとんど降らず、寒くもなく、幸いでした。

 


植え込みの雑草は誰のもの~街の植物観察~

2006-12-15 | 植物

昨日の続きです。

「街の植物観察」の手順は次のとおりです。

見つかる雑草をまずは手当たり次第に抜いて集める。

みんなで同じ種類のものを一緒にし、同じ科ごとにまとめる。

それらの植物をじっくり観察して驚きあったり、図鑑で名前を調べたり、バラバラにしてしくみをみたり、ときどき食べたり、解説したりする。

天気のいい日はその場で観察しながら歩いていくこともありますが、集めてからやるほうがじっくりできるので、たいていは上の手順で行っています。

山に行くと珍しい植物もありこのようなことはできません。街の雑草なら感謝こそされ自然へのインパクトもほとんどないから、気楽にできますね、といつも話していたのでした。

ところが、初めて事件が起こりました。

オアシスを管理している会社の人がパトロールしているらしく、怖い顔でとがめられたのです。

受講生の一人が「これは雑草ですから」と言ったところ、その人(若い人でした)は(当然)雑草なのか園芸植物なのか分からない様子でしたが、

管理人「いろいろ植えていますから抜かないでください」

受講生「でもこれは雑草ですよ」

管理人「雑草かどうか分かりませんから抜かないでください」

私は姑息なので、にこやかに、

私「すいません、もうしません、すいませんでしたっ」

若い管理人が立ち去っていくのを確認してから、また始めようとしました。すると、その上司らしき人がわざわざやってきたのです。若い管理人は上司に電話して「僕には手に負えません! もう僕いやです、もうやめます」とか言ったのかも。受講生の一人が再び、その課長さん(?)に「雑草を抜いてあげて感謝されると思ったのに」と言ったものですから、課長さんは断固対決姿勢で、

「ここの雑草取りは業者に頼んでいますから、あなたたちに抜いてもらってもこっちは感謝などしていません。ここに生えているものはすべて植えたものです」ときっぱり言われました。

なるほど、そこにあるものはすべてその会社の管理下にあり、いかなる土、草であろうとその会社の持ち物なわけです。だから取っちゃいけないわけね。土の中に入っていた「埋土種子」もその会社の持ち物なので、そこから生えてきた草もね。それに、植えていないものが生えているはずがないのです。完璧に管理しているのですから(という理屈)。

管理人さんたちは植物に詳しいわけじゃないだろうから、勝手に取っている人がいたら注意するしかないですよね。まじめに仕事してるわけですね。偉い! こうやって環境が守られているのですね。感謝します、ホント。

勝手に取ってすみませんでした。反省してます……。

てか、次回どうやって仲良くするか考えとかなきゃ。


12月の街の植物観察

2006-12-14 | 植物

栄のオアシス2階からセントラルパークにかけて、月1回「街の植物観察」という講座を行っています。

いわゆる「雑草」の観察です。探してみると思いがけない草が生えていたりして面白い。都会の特徴として外来種が多いと思われていますが、意外に昔からおなじみの在来種も多くあります。5月には30種類以上が見つかりました。

この日は雨だったので、オアシスの植え込みや花壇のわずかな地面を見ただけですが、次のようなものがありました。(外)は外来種。(花)は咲いていたもの。

ノミノフスマ、コニシキソウ(外)、ノボロギク(外)(花)、ホトケノザ、タネツケバナ(花)、タチチチコグサ/ウスベニチチコグサ(外)、エノコログサ類、カタバミ、ヒメムカシヨモギ(外)、コスミレ、オランダミミナグサ(外)、ツメクサ(外)。

12月だというのにタネツケバナが咲いていたのには驚きでした。

また、11月の観察のとき、タネツケバナの芽が無数に出ていて、それが大きくなっていました。どの草も、地面にはいつくばって横向きに伸びているか、ロゼットであり、秋に芽を出して冬越しする植物の多さに改めて驚きました。冬の寒さの中でも、弱い光を吸収してせっせと働いているのです。1月、2月をどのように過ごすのか、観察するのが楽しみです。

クスノキとカエデの定点観察も行っています。クスノキは冬芽がぐっとふくらんでいました。果実の時期が終わったので、今度は栄養を芽に回しているものと思われます。

カエデ(イロハモミジ系園芸品種)は、6月ごろから果実ができ、意外にしぶとく枝についていましたが、先月から今月の間についに飛翔を始めたようで、大部分が落ちていました。落ちた果実を探してみたところ、オアシスの2階の届く範囲の一番遠い25mまで飛んでいました。舗装の上や芝生の上をじっくり探すと無数の果実が落ちていますが、探さない限り決して気づきません。

雑草をじっくり見ることは普通はあまりない体験で、ルーペで小さな花を見ると、その可愛さや不思議な形に驚き、感動ばかりです。参加者の皆さんは2回目の講座から全員ルーペを買って持参され、雄しべや葉の裏の毛などを観察し歓声を上げています。講師の私も毎回驚いています。

とにかく楽しい講座です。なのに受講者が少ないんです!

(つづく)

 

 

 


名古屋市内最大径の木 熱田1号

2006-12-09 | 植物

再び、雨の中、名古屋市の熱田神宮に行ってきました。NHK名古屋文化センターというカルチャーセンターの現地学習講座というものです。今日は雨のため参加者はいつもより少なかったのですが、楽しい散策会でした。

参加者の方はほとんど名古屋市民ですが、熱田神宮はおまいりに来るだけで、鎮守の森をじっくりながめたことはなかったようです。市内のあれだけ広大な森林を、年に一度の初詣にしか訪れないなんてもったいない。いまどき来ている人の半分近くは、アジアからの観光客のようです。

参道の脇に、大きなクスノキが囲いをされてあります。ほこらもあります。けれどもそれが、熱田神宮で3番目に幹周が大きいクスノキだということは、(つまり、あと2本、はるかに大きいのがあることは)、あまり知られていないようです。

熱田神宮で幹周が最も大きいクスノキは、名古屋市内の一番でもあるのです。これは、神宮会館の中に入らないと見られません。

熱田1号という牛みたいな名前がつけられている1番クスノキのすばらしさは、言葉にできません。というか、見た目の形とか、サイズとかというものでない、空気なのです。そのクスノキを見ていると、いやなこと、難しいことをみんな忘れてうれしくなってしまうのです。そのクスノキのそばにいると、離れられないのです。その前を何度もうろうろ、行ったり来たりしてしまいます。美術館などですばらしい絵に遭ったとき、どうしてもまたそこに戻ってきてしまうのと同じです。また、直感的に空気感が好ましい人に遭ったとき、その人の後をついていってしまうのと同じです(危険です)。

写真は横に張り出した枝で、オレンジ色の葉はヤマハゼの木です。枝の上でヤマハゼを養っているのです。ビワの木も養われていました。ほかに、ノキシノブが大群で住まいにしていました。木もこれだけ年をとるとふところが広くなります。(養っているとはいっても、場所貸ししてるだけです)

神戸の須磨離宮公園にあったクスノキもすごかったなぁ……てなことを思い出しました。蒲郡のも。


宮崎県環境森林部&クスノキ&ひきずりすきやき

2006-12-08 | めぐる季節と自然
宮崎県には「環境森林部」がある!ということに、多くの私の同業者は感動したことだと思う。変なことで話題になってしまったけど、事件がなければ知らなかった。
宮崎県環境森林部⇒http://www.pref.miyazaki.lg.jp/index/org/kankyo/index.html
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/soshiki.html
行政ではたいてい、環境担当と森林担当が分かれている。環境関係でゴミ問題や公害問題をやっていて、農林関係で森林問題をやっている。国では環境省と厚労省と林野庁などに分かれている。
森林国日本では森林も環境の要であるが、市町村では環境担当課に森林ことを言っても「担当外」とされる。

調べたところ、宮崎県環境森林部では、アスベストやダイオキシン問題のほか、森林環境税の検討、そして山村・木材振興課まで入っていた。

妙な事件は問題だが、環境森林部に注目が集まるのはちょっとうれしい。
環境森林部にはがんばってほしい。



写真は数日前に行った名古屋の熱田神宮のクスノキ。
クスノキは樹形がくねくね曲がっていますが、その曲がり方が芸術的で、見ているとほれぼれします。熱田神宮のクスノキは樹皮が黒々して、多くはノキシノブなどのシダに覆われています。

熱田神宮の境内を、キョロキョロと「何か変わったものはないか」と思いながら歩いていると、何も変わったものがなくつまらない。
でも無心で(ぼーっとして)歩いていると、とてもすがすがしい気分になります。
神社ってこういうものなんだと感じます。
熱田神宮にはあのヤマトタケルノミコトが使った草薙の剣がある(はずである)。それってすごくない?

ネットでいろいろ調べると、熱田神宮には名古屋の巨木ベスト10のうち7本があると出ています。けれどもこのベスト10というのが、どういうデータでどういう基準で判定されたものなのかは、明らかではありません(誰か知っていたら教えてほしい)。
ちなみに1位と3位が熱田神宮のクスノキだとされているので、2位はどこにある何の木ですかと名古屋市役所に電話して聞いたら、知らない、ということだった。
それは市役所が無知ということではなく、市役所にも、巨木ベスト10という判定結果がないということだろう。

もしかすると名古屋城のカヤかもしれないというので調べたら、当該のカヤは幹周8.1m、樹高16mで、太さにおいても樹高においてもそれを超えるものはいろいろあるようである。

巨木というのはイメージ的な言葉であり、数値でいうなら、幹周の大きい木とか、樹高の高い木、とか、材積の大きい木、とかいうしかなく、数値以外では、大きく感じる木、とでもいうことになるだろう。



すき焼きのことを名古屋でひきずりというなんて、名古屋で24年間育った私は数週間前まで知らなかった。しかも大阪生まれのS君に教えられたのである。けしからん。ちなみに私の父は生粋の名古屋人である。
すき焼き=大晦日・お正月で、それ以外の日に食べるものではない。
ネットで検索すると、「名古屋コーチン」&「ひきずり」で山のようにヒットするし、ミツカンさんでは「ひきずりのつゆ」まで発売していた。
私はひきずりなんて言葉は聞いたことがないので憤慨している。
名古屋の中でも一部の人とか一部の地区でしか使われてないのではないか?
今度父に聞いてみなければならない。
もしかすると「ひきずりはお金持ちの人が使う言葉だがね」とか言われるのかしら。

寒くなりました

2006-12-06 | めぐる季節と自然
一昨日、恵那山が白くなっていました。雪というより樹氷のようです。恵那山だけでなく、もっと低い山々にも樹氷がきれいにのっていました。その前の夜、明るすぎるほどの月が青く煌々と照っていました。当然冷え込みました。

遠い御嶽山や中央アルプスは真っ白に冠雪しています。
冬になると見える白い山々は、子どもの頃のあこがれでしたが、今は毎日それが眺められるところにいられて幸せです。

今日、うちの比較的近いところでクマ目撃情報がありました。しばらくなかったのですが、冬ごもりしそこなったクマなのでしょうか。早く穴に入らないとこごえてしまうのに、おなかがすいて眠れないのかしら、かわいそう。

本日は元加子母村村長と一日中ご一緒させていただきました。大変勉強になりました。車の中で4時間講演独り占めです。
先生が言われるには、
むら、というのは、人が自然とかかわって切り離されずに生きているところである。
まち、というのは、自然の中から人を切り離して集まろうとしているところである。
都市、というのは、自然と完全に離れて無関係に暮らしているところである。
だから合併するとき中津川市加子母村にしたかった。それを、みんな、村は町の下にある自治体だというとらえかたしかしないから、住所に村を付けてはいけないという発想になる。
加子母のような田舎では、まちづくりではなく、むらづくりを考えないとダメだ、
ということです。
なるほど。なるほど。

持続可能な食にびみょーな食い倒れ

2006-12-04 | 森林環境教育

昨日名古屋大学の環境総合館を会場に「持続可能な教育のための10年」に関するシンポジウムがありました。私は裏のお仕事もあり、交流会だけ参加。


ここでは、伊勢湾でとれた新鮮なツメタガイや、友達のヒロッチが作った不耕起無農薬米、それと日間賀島のタコを一緒に炊いた御飯、etc.もうひとつ友人のS君のこだわりの「名古屋コーチンのひきずり」が出されました。みんなおいしかった。

ひきずり、とはすき焼きのことだそうです。
写真はそれなんですが、これは「よくない例」です。こんなに食材をいっぱいいれたらすき焼きにならない、と後からS君は残念そうでしたが、あれだけ人数が多いとしかたありませんね。「とにかく若者を食わせなきゃ」で感じでした。

煮えるや否や、若者たちは鍋まで食べそうな勢いで箸をつっこんでました。
せっかくの名古屋コーチンもあまりありがたみを分かってもらえなかったかもしれません。

そういう上等なものは、おなかのすいていない人に食べさせた方がいいのか……。
鶏肉以外にも、尾張自慢のねぎも入り調味料もいいものでした。
ざらめなど、学生たちは見たことなかったらしいです。

交流会といいながら、みんなひたすら食べてました。


根上がりの木

2006-12-04 | めぐる季節と自然

キコリン、コメントありがとうございます。

岩だらけの山に木が生えているのは、「夕立山森林塾」で一緒に行った恵那市の笠置山でも同じでしたね。ヒノキの実生の天然木や広葉樹が、大きな岩の上にたくさん生えていました。

植物が育つのに土壌が厚いほどいい、という見方は誤りです。多くの植物が、土壌のあまりない場所を生育適地としています。土壌の中にはいろいろな菌類やバクテリアがいて、それがさまざまな働きをすることもあるし、水分条件もあります。 大きな岩の表面には水が流れるだけでなく結露もあります。岩自体も水分を持っています。岩の上のコケもスポンジの役割をして、種子の快適なベッドになります。

 特にヒノキは岩の上によく生えます。だから尾根筋にも生育できるのです。そもそもヒノキ林の中に20cm以上のものを差し込めること自体をあまり前提にしない方がよいと思います。

私はこれらのことを、京都の高田先生から教わりました。今年の秋セミナーでみっちり勉強させていただきました(中にはまちがって理解していることもあるかもしれません)。

針葉樹の切り株や倒木上も、多くの植物の実生更新に適しています。生育を妨げる菌類が少ないため、土の上よりも育ちやすいのです。多くの針葉樹は、倒木更新、切り株更新を自然の更新の基本パターンにしているようです。 切り株に生えた樹木は、後に切り株が腐るので「根上がり」になり、さらにその木が倒れると、そこに次の木が生えて、もうひとつ高い根上がりができます。私が知る中でこの様子が最もよく見られるのは、岐阜と長野の県境の野麦峠です。

根上がりについては、尾瀬のクロベの例で、前述の高田研一先生が『尾瀬の森を知るナチュラリスト講座』に詳しく書かれています。これは専門的なことが大変分かりやすく書かれ写真も満載のおすすめの本です。

 森林インストラクター仲間にもここのヒノキ林に行きたい人がたくさんいるので、来年は必ず見学を企画します。今年は秋まで通行止めで入れなかったのです。


木曽ひのき備林に行きました

2006-12-02 | めぐる季節と自然

 

先日、日本福祉大学の千頭先生のお誘いがあり、福祉大の学生さんと、山林仲間のキコリンとで、中津川市加子母の木曽ヒノキ備林に行ってきました。案内は加子母の役場の内木さんです。木曽赤沢のヒノキ林は日本三大美林の一つですが、ここは尾根をへだてて赤沢の反対側になります。美林と書かないのは、ここがかつて神宮備林と呼ばれた、伊勢神宮の造営のための用材を得るところだからです。国有林なので、神宮備林というと宗教がからみ問題があるそうです。

ここを訪れるのは4回目になります。

初めの2回はちょうど10年前で、その頃は森林の見方が何もわかっていなかったので、面白さが分かりませんでした。

3回目は去年の11月です。ちょうど神宮の用材(ご神木)を伐り出した年で、まだ御樋代木という大木が横たわっていました。ご神体を入れる器を作るための材です。

ここのヒノキは多くが樹齢300~400年で、直径は70~80cmです。これが、20mぐらいの間隔で林立し、その間にもっと小さなヒノキがたくさん生えています。天然のヒノキ林というのは自然にこのように間が開くようです。

生えているヒノキはとにかく「元気いっぱい」という感じ。自然の木のエネルギーに満ちあふれています。枝も生き生きしてそれぞれが自己主張しています。

なぜか頭は丸いのです。

ここのヒノキ林を見た後、人工林を見ると、かいわれ大根に見えてしまいます。弱々しく、ケージで密集して飼われているニワトリにも似ています。

それがいい悪いではなく、人工林とはもともとそういうもの。同齢で同じ高さ同じ太さの木がずらりと並ぶ。

自然のヒノキ林は全く別物です。

ここのヒノキが300~400年なのは、300年ぐらい前に江戸城造営のためほとんど丸坊主状態にヒノキを搬出してしまったからだそうです。ひどい、と思うよりまず、ご苦労様です。車で行っても相当な山奥です。そして膨大な面積です。それを、チェーンソーもなしにみんな伐ってしまうとは。日本人は同様に昭和35年ごろ、激しく急傾斜の山の尾根までずっと雑木を伐り植樹をしてしまった。世界一の働き者では?木を伐ることについては、「やればできるじゃん」って感じですね。必要があれば、江戸時代のそんな動力でやれるのです。いかに今必要とされてないか、という証明です。林野庁はよく考えるように。

ヒノキとサワラの合体木のうろをツキノワグマがねぐらにしているらしく、フンがありました。

私たちがおしかけたので避難したようです。ここは90%がヒノキとサワラという純林なのですが、それなりに食べるものがあるのでしょう。

今年はクマがよく見られるというので、遭ってみたいのですが、なかなか遭えません。


風通しがよすぎるキツツキの穴

2006-12-02 | めぐる季節と自然
写真の下から4分の1ぐらいのところの穴、向こうの景色が見えています。
こんな穴を作るなんて、ちょっとした気まぐれでしょうか。それとも間違えたのでしょうか。


ネズミとどんぐりについて、中部大学K君に聞きました。
べつに「隠し」ているのではなくしまって取り出しているだけでは? 別のネズミが取り出して食べたりしているのでは?という私の考えに賛成してくれました。
アカネズミは結構移動していくので、どんぐりをしまったまま違う場所に行ってしまうことがあるそうです。
どんぐりはアカネズミ社会の共同所有になってるってことでしょうか。


ちょっと仕事が一段落したわ、と、うっかり2、3日気を抜いていたら、あっという間に新しいお仕事をあちこちからいただいてしまったことに気づきました。
結局この週末もお仕事三昧です。
ありがたや、ありがたや。