聞き書きをやりかけにしている加子母へ行って、写真を返してきました。
私が話す相手はそこのおじいさんでしたが、おばあさんと、お嫁さん(娘さん?)と、友達のおじいさんがこたつにあたっていました。
私も一緒にこたつに入り、まったり話してきました。
聞き書きのテーマの話は昔の木材搬出の索道のことでしたが、みなさんいろいろ話したいことがあるようで、養蚕のことや、機織のことや、染物のことや、戦争のことなど、どんどん展開しました。
……今日は写真返しに行っただけなんですけど。
雨露のついた桑の葉を蚕に食べさせると死んでしまうということは、初めて聞きました。
友達じいさんは、一見70歳になるかならないかかな、と思ったのに86歳でした。
ラバウルの戦線に行ったのだそうです。
日本に呼び戻され、特攻隊になったのですが、出撃する前に終戦になったとのこと。同級生60余名の約半分が出征して戦死したそうです。
日本は太平洋のそんな島々まで支配下に置こうとしていたのです。
そういうことはほとんど知らなかった。
お嫁さんらしき人は私とあまり年が変わらないように見えたけど、すごくいろんなことを知っていました。(私が無知すぎるのか)
昔馬を飼っていたこと、蚕を飼っていたこと、それも実体験としてあるようです。
加子母では平成6年まで蚕を飼っていた家があったそうです。
農耕用に馬を飼って「まのこ」を売る、というのをみんなしていたそうです。
まのこ、というのは馬の子です。
「うま」というのは馬の中国語音「ma」から来ているのだと習ったけれど、本当なんだと実感しました。
おばあさんは、最初、のどでも痛いのかと思ったくらい一言も口をききませんでしたが、話し出したらどんどん面白い話が出てきて、もっと聞きたかった。
最後はみんなが同時に話すので、どれを聞いていいのか困りました。
みんな、また話を聞きに来てくれ、と言ってくれた。
それにしても、午後3時半という時間に、こたつに入ってお茶菓子食べながらのんびり目的のない世間話をする、というシチュエーションは、私の生活には皆無。
すごくなつかしい気がするのです。
それは私が行ったから世間話をしたのではなく、世間話をしているところに私が行ったのです。
私がその家に行ったのは今日で2回目なのだけど、「こたつあたってけよ」と言われて、まるで昔からの知り合いみたいに一緒に話してた。
すばらしい田舎です。
こういう時間こそ、絶滅危惧か?
聞き書きというのはヒマな時間を味わうためにあるのかも。
言い換えれば、山里の人とゆっくりと一緒の時間をすごし、共感するためにあるのだと、いまさらながら実感しました。
今日はそんな時間をすごしたため、内勤的仕事は全くできず(加子母に行くのも仕事の一つですが)。
何より、頭がよく働かなかったのでちょっとジリジリしました。