山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

Sulawesi 竹の壁 2

2008-10-31 | インドネシア
この壁は竹じゃなくてラタンだ、といわれました。
でも別の人によると、ラタンじゃなくて竹だ、といわれました。
ラタンといわれるとラタンのようです。

最初に泊まったホテルの壁なのでラタンかもしれません。
ラタンは高い山の奥の方にしかないと聞きました。

インドネシアではいろいろな情報が錯綜して、よく分からないときがあります。

Sulawesi  高床式の家の床

2008-10-28 | インドネシア
ブタの家の次は、人間の家です。

インドネシア、スラウェシ島の民家は、木の板を使った家もありますが、竹を多用した家もたくさんあります。多分竹の家の方が伝統的だろうと思います。もっとも、竹はスラウェシ島のどこでも採れるものではありません。山間部にはあるけど、例えばセンカンという湖のほとりの町には竹はないそうです。

この写真はセンカンの街の中の民家です。
通常、1階部分は作業場などになっていて、人は2階に住んでいます。

床は竹を割ったものを敷き詰めてできていて、青竹踏みみたいに
足の裏がここちよく刺激されます。
絶対健康によさそうです。
風通しもよく、いい感じです。

かまど炊きご飯で 秋の昼食

2008-10-28 | 山里
今年3月に坂折棚田なごみの家に作ったかまどで、ご飯を炊きました。
カンペキなできでした。
山里の空気の中で、友人と楽しくなごみながら、一緒にこういうおいしいものが食べられる幸せを感じます。


山里文化研究所 スタッフブログで
http://blog.goo.ne.jp/yamazatobunkast/e/dd9e3aed9be1fd68cf3a988eb686477d

草紅葉の季節 ミゾソバ

2008-10-28 | 植物
木も草も紅葉が進んできました。
ミゾソバの茎がこんなに赤くなるなんて、今まで気づきませんでした。
花がかわいいので、花に気をとられていたみたいです。
それと、ミゾソバは普通花がピンク色なので、この白色の花で、茎の赤とのコントラストが目立ったので気づいたのかもしれません。

食べるソバは茎も葉も真っ赤になり
昔、写真の先生がずいぶんご執心でその美しい写真を撮っておられたのが思い出深いのですが、
このミゾソバには驚いて、花束を作りました。
持って帰って家の中にに飾っていますが、水あげがあまりよくありません。

ミゾソバのピンクの花が大好きですが、茎が赤いと白花もいいものです。

Tana Toraja ブタを飼う柵

2008-10-27 | インドネシア
前回の記事のパピオンですが、何度も食べる機会がありました。

タナ・トラジャに着いた日、この名物料理を絶対食べねばならない!と、それを出しているレストラン(Pia's & Popies)に直行し、メニューを見るまでもなく迷わず注文し、ノルマを果たしたのですが、翌日でかけたお葬式でちゃんと出てきました。ちなみにトラジャのお葬式は観光資源にもなっていて、観光客参加自由なのです。

結局レストランで高いお金を払って食べる必要は全然なかった。そもそも、パピオンはレストランで食べるより野外で食べる方が似合うものなのです。

※Pia's & Popiesはすばらしいレストランで、これをけなしているわけでは全然ありません。このお店はランテパオという街で一番おいしいという定評がありました。多分そのとおりだろうと思います。
ちなみにここはホテルでもあり、私がずっといたところです。値段と中身のバランス的に最高なんじゃないかと思ってます。

今日の写真は、ブタ小屋です。
その柵は、もちろん竹で作られています。
ブタ小屋全然臭くなく、とおりかかっても気づかないほどでした。街の中、ちょっと大通りをはずれると、あちこちにこれがあります。

タナ・トラジャはお葬式が盛んで(へんな言い方ですが)、「香典」はブタなのでブタの需要が高いのです。それでブタを飼うのはとてもいいビジネスだということ。あるガイドは、ガイドをする傍らブタが飼えれば生活が楽になるのに、でも土地がないので飼えないと言っていました。彼の試算を聞くと、確かにもうかりそうです。

そういうわけで、みんなちょっとした土地があればブタを飼うって感じです。

で、タナ・トラジャの朝はブタのギャーギャー騒ぐ声で始まります。
別の町にいったとき、ブタの鳴き声で起こされないので驚いたものです。
女の人たちは、道端や畑でサツマイモの葉を摘むのが日課です。ブタのえさです。

Tana Toraja 竹筒で料理する~パピオン

2008-10-24 | インドネシア
スラウェシ島、タナ・トラジャ地方の代表料理№1、パピオン。
竹筒の中に豚肉や水牛の肉、ときに鶏肉と、マヤナというシソの仲間と、ココナツミルクをなんかを入れて蒸し焼きにする料理です。筒の上はバナナの葉でふたをします。
もちろん焚き火で加熱しますが、その燃料にも竹がふんだんに使われます。竹は油を多くもっているので盛大に燃えます。

レストランで注文したら、この竹筒1本分が1人分として出てきて、それは大変な量でありまして(絶対2人分だと思った)、私は少しつついただけで降参しました。

中身が肉じゃなくて魚とかちがう野菜というのも作ってほしい……

これは日本でもやれます!
実際、日本でもやったことあります。アウトドアでは定番ものともいえる。
お米を入れて炊いたり、卵焼きを作ったり。
その場合は竹を横にしてました。
なので、縦、というのが新鮮でした。

そして、これはお葬式とか結婚式とか、そういうハレのときのごちそうのようです。

Tana Toraja 竹で供物のブタを運ぶ

2008-10-23 | インドネシア
しばらく、ヒマがあったら、タナ・トラジャを中心としたスラウェシの竹利用を掲載します。

前の記事の続きです。

お葬式に運び込まれたブタ。ランテと呼ばれる式場の中や裏のあちこちに、こんなふうにブタが寝かされています。
まもなく生き物から「豚肉」になります。

一応いけにえって呼ばれているようなので、きっと彼らのステージは上がるんだと思いますが、お葬式の雰囲気からは、聖なるいけにえっていうのではなく、景気良く「と殺」され大喜びでガツガツ食われる、って感じでした。


市場で買われて運ばれてくるときもこんな感じで縛られています。
一見おとなしくしているようですが、ちょっとつついたりすれば、ものすごい勢いで鳴き叫びます。

ちなみに、スラウェシでも、白豚より黒豚の方が高価だそうです。水牛は逆です。白豚はほとんど見ませんでした。


お葬式ではブタも盛大に消費されますが、竹も盛大に消費されます。
タナ・トラジャからお葬式がなくなったら、竹林が拡大するかもしれません。
もっとも、ここの竹は株になっていて、広大な竹林というものは存在しません。どのような拡大の仕方をするのか、私には今のところよく分かりません。

Tana Toraja 竹の国 タナ・トラジャ

2008-10-22 | インドネシア
インドネシア、スラウェシ島タナ・トラジャは竹の国です。
生活の中に竹があふれています。
とにかく、竹、竹、竹!です。

トラジャ人は稲作民族ですが、わらは全部田んぼに入れて肥料にするか少し水牛に食べさせるだけで、日本人のように大切に縄をなったりものを縛るのに使ったりはしません。
代わりに竹を使います。

私がこの地方で強い印象をもった3つのうちの1つが、竹の利用でした。

帰ってきて、『竹の民俗史』という、持っているだけで読んでなかった本を見ると、竹利用の代表的民族の一つとして、ちゃんとトラジャ族のことが書いてありました。その本に選ばれた2つのうちの一つなんだからたいしたものです。

この写真は、ランブーソロという村行事的なお葬式で、供物の豚が運び込まれるところ。

シロモジの実

2008-10-14 | 植物
柿其渓谷で、水際をふと見るとまん丸の玉と白い「皮」が大量に。
シロモジの実です。シロモジの実はよく目立つので、木に着いているのはよく見かけますが、こんなふうにいっせいに落ちるとは。

シロモジの実は中に白い脂が詰まっていて、昔はこれを灯りの油として利用したところがあるらしいのです。
2つに割って説明すると、「シアバターみたい!」と言ってくれた参加者がありうれしくなりました。
シアバターはシアバターノキというシアバターを採る木から採れる油で、よくチョコレートの包装紙に材料名の一つとして書かれています。
肌につける脂でもあり、アロマセラピーのベースオイルとしてよく使われています。

シロモジの実の脂をそんなふうに使えないものかと思いました。
シロモジバターにクロモジの精油を混ぜるとか。


ところで、講座の皆さんは、木の実を見るとすぐに「これ食べれるの?」と聞きます。かわいいです。
話をしていても、「この葉は食べられるもので……」という言葉が耳に入るや否や、みんな一斉にシーンとして目をらんらんとさせています。
単純です。

人間ってやっぱり食べ物に弱いし、食べ物のあるプログラムは魅力的で人気があります。

Sulawesi  スラウェシアサガオ

2008-10-14 | インドネシア
スラウェシ島の道端でたくさん見られた野生のアサガオです。
台北にも同じようなのが咲いていました。

日本みたいに園芸植物になってアサガオ棚を作ってたりはしないし
日本みたいに大輪のきれいなのが育てられていたりはせず
このアサガオしかありませんでした。

その代わり、カンクン(空心菜)が田んぼのふちで咲いていました。
アサガオそっくりでした。
カンクンがこの仲間とは全然知らず驚きました。

渓谷のダイモンジソウ

2008-10-11 | 植物
講座で柿其渓谷へ。
水しぶき、というより水もやがかかるようなところで、真っ白なダイモンジソウが咲いていました。。深まる秋の中で研ぎ澄まされているようでした。

本日は雨の予定だったのですが晴れに転じました。よかった。
水の色が光できれいに見えました。

講座の後、お通夜があって、その後少し用があって事務所に帰ってきた。
人が死ぬというのは、それが知っている人でなくても涙を誘われます。それは、遺族の方の気持ちを思うから。一方で死んでいく人はどういう気持ちだったのでしょう。
病気で、まだまだ生きたいのになくなっていく人は無念だろうと思うけれど
自分に置き換えると、生きているということは誠に楽ではないことで、死んでしまったほうがはるかに楽だからなるべく早く死ねたらいいと思っているのだし、つまりは修業のために生かされているのだと思ってあきらめて生きているということである。そういう意味で、死ぬということは楽になれるということで、遺族は悲しいけれども本人にとっては安楽なゴールであり、ただただ「お疲れ様でした!」とゴールを祝ってあげたくなる、といったら、不謹慎だと怒られるのでしょうねぇ。
そういいながら自分が死ぬと決まったらじたばたするのだろうか。
まだまだ生きたいと思える人はエライと思う。

今日はどんどん冷え込んでいます。
明日の朝はものすごく冷え込むらしい……
一気に紅葉が深まるでしょう。