山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

東海丘陵要素の植物の宝庫を散策

2006-04-25 | 植物
4月23日(日)、恵那市の東濃牧場近くの湿地で自然観察会を実施。仲間のYさんとともに。
ここは、東海丘陵要素の植物の宝庫です。
シデコブシ、ハナノキ、ヒトツバタゴという「東濃三種の神器」が一緒にあり、ミカワバイケイソウが流れにそってざくざく生えています。その様子は、ちょうど涼しい地方の湿地にミズバショウが生えているさまと似ています。
ここは樹林になっていますがどうみても湿地です。金沢大学の植田先生は、東海地方特有の湿地(私は仮に(勝手に)「東海丘陵湿地」と呼ぶことにします)には、樹林をなすものと開放された草原状態のものがあるといわれています(広木詔三編『里山の生態学』より)。なるほど。

ほとんど人に知られていないこの場所。途中にはアケボノスミレなどもあります。
開放草原型の湿地と違い、樹木が生えることによって乾燥化への道をたどっているようにも見えないので、いつまでも残るといいなぁ。貴重な自然資源です。

今、東濃の山々では、あちこちでハナノキが赤くなっています。遠くからみるとよく分かります。これから本当に美しい季節です。


続きの話や写真はまた今度。

裏山に生かされる暮らしの再生

2006-04-22 | 山里
昨日、ある山里の人たちから活性化の相談がありました。
その事業についてはさておき……

雑木林の手入れと人工林の手入れ、どちらが急務か、必要かについて、語ることはナンセンスです。目的が違いますから。
雑木林は手入れするために手入れするものではないのです。
利用することが大切です。
雑木林という言葉自体、地域的なもので、多くの地域では借り物ではないでしょううか。
必要なのは、裏山とかかわる暮らしのあり方を再生することです。
それは人が自然に生かされてきたことを再確認する作業でもあります。

里山という言葉には、コミュニティーで有する山、というニュアンスも含まれているように感じます。
裏山は、一戸一戸の家が日常的に利用している山です。そこから水を得ていることもあるでしょう。

裏山から得るものは、山菜、木の実、食用の獣、道具材、家具材、薬、たきぎ、染料など、衣食住すべてにわたっています。少しずつでいいので、切れてしまった関係をつなぎ直していくこと。農、林別々ではなく、すべてバランスよく取り入れ、仕事しながらやっていく中には、季節のめぐり、1年の循環の中で網のように結び付けられた自然と人の関係があります。

そこから切れてしまった人間は、不自然です。
自然に生きることのなかに安らぎがあるのだと思います。

それは手入れではありません。森林を手入れするとか整備するという考え自体が最近のものではないでしょうか。
裏山に生かされて暮らすこと、それは同時に裏山を愛でることでもあるでしょう。


今、非常に個人的で情緒的な表現しかできず残念ですが、とにかく、そんな話で盛り上がりました。

桃源郷のような今日の山里

2006-04-18 | 山里
岐阜県中津川市の山里文化研究所から、仕事の紹介をしながら、山里にかかわる話題を提供していきます。よろしくお願いします。
なお、ホームページもあります http://www.yamazato4.com/ 

今日の東濃(岐阜県美濃地方の東部)の美しさは格別でした。桜が満開で、水仙も咲き乱れています。都会の密集した桜もそれはそれで見事ですが、山里のあちこちに点在する桜には、そこに住む人たちの土地に根付いた暮らしを感じます。その土地をより美しい里にして快適に暮らしたいという愛郷心のようなものです。
今日はお天気もよく、あちこちでお年寄りの方たちが土を耕したり雑草をとって花壇や畑の手入れをしていました。
仕事ででかけましたが、このようなきれいな風景が見られて、よい一日でした。

KIYOFUJi Natsuko,
Yamazatobunka Kenkyusyo

Nakatsugawa-city,
Gifu Pref.,
Japan