山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

初夏の田園の小径の匂い

2015-05-31 | めぐる季節と自然

夕方まで部屋の中にこもっていた。家から一歩も出ないで、机の前で硬直したかのように、
残っていた仕事をやっつける。
完全には終わらないけど、歩かないとボケるっていうし、暑さもやわらいだので、散歩に出た。
完全にあっち側にいっちゃってたみたいな頭が、ようやく現実世界に引き戻され、ようやく普通の暮らしに戻りつつある。

ここ2年ほど、散歩は家の下のほうに向かっていっていた。
下の方には落ち着いたたたずまいの集落があり、田んぼがあり、川がある。

今日は何となく、久しぶりに、家の裏の山を越えた向こうの方にいった。
以前は散歩はそっちばかりだった。
そちらには、ところどころにため池があり、こんもりした林があり、傾斜のある畑があり、
田んぼもある。家はバラバラとある。
御嶽と中央アルプスと恵那山と笠置山が見える。



野山が花に満ちる季節。
田園の小径には、草を刈った匂いがせまってくる。
あちこちのあぜ道や畑の斜面が草刈りされていて
刈ったばかりの新しい草の匂いと、日に干された草の匂いが入り混じる。
それに、スイカズラの花の甘い香り、ノイバラの香り、
そのほか私には気づくことのできないいろいろな花や草や自然の匂いがミックスされて
田園の小径の匂いになっている。



こんな美しい田園が歩けることが、本当に幸せ。
私が外国人のツーリストだったら、写真を撮りまくるだろう。
落ち着いた家、素朴できれいな庭と垣根、田んぼの水うつり、その合間の稲の若い苗、
並んで育つジャガイモと、ネギ。
真っ白な葉裏を見せるホオノキ。赤い実をつけたグミ、ピンクノモチツツジ、柿の若葉。
何もかもが好ましい。
野山は本当に美しい植物に満ちていて、見るものすべてに愛着を感じる。

散歩に出る前は何も期待していなかったけれど
濃密な匂いにすっかりいやされ、心が安らかになった。
ゆったりした気分で帰るとき、月が昇っていた。

口永良部島

2015-05-29 | 山里

海も青い。空も青い。テレビで見る口永良部島。
昨年のちょうど今頃、行って山に登った。
ギリギリ行けてラッキーだったと思う。

そのとき案内してくれた、島のリーダー的な人。
年賀状もくれたのに、名前思い出せなくて
森宮さんじゃないし、森川でも森山でもなくて、えーっと、森がつくんだけど……
と思っていたら、報道ステーションに出てきた。
貴舩(きふね)森さん。
森は名前のほうだった。



貴舩さんの民宿。庭が広いのによく手入れされていて、あじさいがたくさん咲いて海も見える
心地のいい場所。

貴舩さんは今の時代では若手と言える人で
島生まれ島育ちで、一旦都会に出てからUターン。
奥さんと一緒に民宿を開いて、島をよくしようと、本当に頑張っている。
観光客向けに山岳ガイドや島の案内をして観光ウェブサイトも運営している。
貴舩さんがいなければ島の元気は半分以下になりそうな気がした。
口永良部島での楽しかった思い出は貴舩さんの人柄と能力による部分が多い。

ちなみにこのとき15人ぐらいで泊まったのは、貴舩さんの民宿ではない。
役得で自分だけ儲けようなんて思ってない人なのだ。
(っていうか、もしかして15人泊まれなかったかな……?)

このあじさいの庭が、また復旧できますように。
貴舩さんと、口永良部島と、日本中の農山村を応援してます。



あの大きな島に50戸130人しか住んでいないなんて
そのとき聞いたと思うけど忘れていて、今日の報道を聞いて、ずいぶん少ないと思った。
それに対して観光客が19人。平日なのに結構多い。
噴火と隣り合わせで、ずっとこの島で生きてきたということ。
そのココロは。

山の自然も噴火によって様子が変わっただろう。
今はちょうどきれいなツツジが咲く時期。
けれど、自然については、繰り返される噴火によって作られてきた自然でもあるので
何らかの更新が行われたということになる。

御嶽よりははるかに大きな噴火だけれど、怪我をした人がほとんどいなかったのはよかった。




シベリアの刺繍 民博にて

2015-05-28 | 山里

昨日終わったと思った仕事が、終わっていなくて、がっくりしつつ、またやっていた。
今日は本当に終わったと思う。

特定のまとまった仕事の仕上げに入る間、別世界に入っているようでもあり、別人になっているようでもある。
日常を生きていない。食料品を買いに行ったり、郵便局に行ったり、何かの料金を支払いにいったり、家の外に洗濯物を干したりということが、めんどくさくて仕方ない。というより、行動する気になれない。頭がそっちに回らないのだ。
でも食べるものが乏しくなったりするので、仕方なく出かけていく。
一番困るのは豆乳がなくなることだけど、考えてみれば、大豆を貯蔵しておけば、豆をふやかして搾れば作れるのだった。
けれどそれは無調整豆乳というものであって、コーヒーに入れるには向かないだろう。

ほかの人はどうやって仕事と日常をやりくりしているのだろう。
いい加減いい年なので、うまく切り替えたいと思う。
私は相当不器用というか、変なのだと思っている。


たった今、印刷会社から連絡があり、データがうまく受け付けられたようで、ほっとした。本当にその仕事は終わったのだ。
版下を入稿するときはいつも心臓がバクバク。怖くて仕方ない。印刷物が納品されるまでバクバクは完全には鎮まらずに続く。

5月末までにやらねばならないことがたくさんあって(あと3日しかない!)、のんびりしている場合ではない。
けれど、前半に書いたことと一見矛盾するようだけど、締切間際でもあまり焦らなくなっている。
なんとかなるだろう、と。ずうずうしくなっているのだ。
年をとるってすごいことだと思う。不惑ってこういうこと? 多分ちがうね。


写真は、シベリアのナナイ族 アリャン村の手工芸。2013年作。アイヌの刺繍とよく似ている。アイヌの刺繍はこんなにカラフルではないけど、模様が似ている。バッグの下についた房飾りがかわいい。
国立民族学博物館にて。

国立民族学博物館は写真撮影自由のスゴイところだ。
先日、東南アジア展示がリニューアルオープンしたので見てきた。それについてのコメントは、ない。
いや、あるけど、ここには書けない。
そもそも、東南アジアという広い地域を1つにくくって展示するのは無理がある。せめて、大陸域(タイやミャンマーやベトナム)と、島嶼域(フィリピンやインドネシア)を分けたほうが分かりやすいのでは? そうしないと、なんだか中途半端な寄せ集めみたいだ。
けれど、研究者の先生方がよく考えた上で、一つにくくる理由があるとされたのだから、素人の私がどうのこうの言うべきじゃないんだろう。ただ、あの状況のあの並べ方のあの……
……と、結局書いている笑。いや、ほかにも言いたいことはある。


食文化の中でも失われゆくもの

2015-05-28 | 山里

長期にわたってかかえていた仕事がようやく終了。
絶対この日までに終わらせよう、と思っていた日から1週間も遅れた。
しばらくの間、部屋にカンヅメ状態だったので、やっと自由の身になった気がする。

カンヅメといっても、実際には所用があって、それなりにちょこちょこと出かけているのだけど
精神的にはカンヅメな感じだった。


ところで

2年前から長野県根羽村の食文化にかかわってきた。
そのレシピをまとめながら、いろいろなことに気づき、驚いたこともあった。

昭和30年代までみんながやっていたことが、今やられなくなり、その技術がなくなり、その姿も消えて行っている。たとえば茅葺の屋根ふきとか、循環型(有畜)農業とか、山の資源の利用のこと。
その傾向は食文化にもはっきりと表れているのだけど、今まで食についてはむしろ私は楽観的で、まだまだ大丈夫なような気がしていた。
けれど、決してそうではないことに気づかされた。


写真/長野県の小さな神社のしめ飾り
最近、わらが偽物(プラスティック製)のしめ飾りが増えているのだけど、ここではわらは本物。
一方で、御幣はラミネートしてある。
この近辺の神社ではラミネートしてあるのが多かった。

みんないろいろ考えますね。味気ないという見方もあるけど、わらや御幣がヨレヨレになるのがイヤという気持ちが大きいだろう。

白と黄色のヘビイチゴ

2015-05-22 | 植物

ヘビイチゴといったら赤い実です。
真ん丸の赤い実がぎっしりついて道端に並んでいるのはかわいいものです。
今ちょうどその時期。

先日長野県でひさしぶりにシロバナノヘビイチゴの花を見ました。
オランダイチゴ(食べるいちご)に近いもので、中津川市では長野県寄りの場所で見たことがありますがほとんどありません。長野県のちょっと高原にいくとたくさんあります。
以前に南アルプスの仙丈ケ岳に行く途中で大量に見たのを思い出します。

黄色の普通のヘビイチゴ(だと思う)も隣にありました。
黄色い方は花だけの段階では似たものがちょくちょくあります。
ヤブヘビイチゴやミツバツチグリなど。

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今日は恵那山を超えた長野県の阿智のあたりを車で走っていたら、谷沿いの道に、トチノキの見事な花が咲いていました。トチは花の咲く時点で当たり年とそうでない年があるように見えます。今年は当たり年なんでしょうか。
ホオノキも咲いていたし、ミズキなども見られ、山は白い花のシーズンに突入しています。
緑に洗われるようなさわやかなドライブでした。
小鳥の声を聞きながら山の渓谷沿いの道を歩きたいものです。

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しかし、仕事がなかなか終わりません。
山に登り始めるとき、頂上が見えて、「あれならお昼ごろには着きそうだな」などと思いながら歩いていくのだけど
歩いても頂上は全然近づいているように見えず、ときに遠ざかっているかのように感じることがある。

しばらく仕事がそんな状態。
そんなに大した仕事ではないのだけど
きつい、ほんと。明日は終わりますように。
考えるとくらくらします。

リス印のベーキングパウダー

2015-05-20 | たべもの・台所

ベーキングパウダーをよく使うので、一般的な高さ10㎝ぐらいの丸い缶入りのだと少なすぎて、使うときついケチってしまうので、大きいのはないかと、買いに行った。

中津川駅の近くの裏道に、業務用の粉や製菓材料を普通の人に売ってくれるお店がある。ここには、国産強力小麦粉のほか、レーズンやナッツ、ショートニングやメイプルシロップ、レンズ豆やひよこ豆を含む各種豆、ラム酒等ケーキ用お酒から、洋菓子包装用のラップや、和菓子を包むための竹の皮など、魅惑の品々が並べられており、ものすご~~~~~くかわいいおばあちゃんが、静かににこにこしながら接客してくれる。

ここならきっと、大袋入りベーキングパウダーあるだろうと。
ありましたよ! 大袋入りではないですが、ボトル入り。
ラベルをよく見ると、450瓦 と書いてある。
瓦=gとは知らなかった。

このレトロなラベルがたまりません!
イギリスかどっかから輸入されてきたのをそのまま日本化した感じの、
昭和というより大正レトロのよう。
そして、きっぱりと潔い赤色がいい。



真ん中のリスさんが、王冠かぶっているのです!
このキョトンとした顔。っていうか、リス+王冠 のそこはこかとないナンセンスさがいい。

リス印だそうです。聞いたことある気もして、ググってみたところ
マーガリンが有名なようです。
その他食品添加物を扱っています。


ベーキングパウダーは食品添加物なので、控えめにしたほうがいいかなと何となく思っていたのですが、
結局は重曹とほぼ同じで、重曹は胃薬にもなっています。
カイロ整体の先生が、胃が悪いときはちょっと重曹をなめればOKと言っていた。
私は胃が弱いので、もう恐れることなくベーキングパウダーを使おうと思います。

450g使い切るのはかなり時間がかかりそうですが、いっぱいあると思うとほっとします。
ちなみに、ケーキなどでは、小麦粉100g(1カップ)に大さじ1/2が標準のようですから。


イカリソウとドーパミン

2015-05-20 | 植物

昨晩はフクロウが今までで一番早い19時半に啼きだしました。
うちの回りでは結構林を伐っているのだけど、かまわず到来しているようです。
リニアが来てもかまわず来てくれるだろうか。それよりそんなに長生きするだろうか、フクロウ。

一昨日は仕事がキツくて大変でした。夜遅く寝たこともあり、久しぶりに爆睡して
はっと気づいてベッドから飛び出したら、

わーらべーはみーたり のーなかーのばーらー

と、大音量で正午を告げる有線が……。
がっくりと肩を落としてしまいますが
頭も体もスッキリ、ドーパミンが適度に放出されてるらしく絶好調の一日でした。
いつもこうだといいのですが。
ただ、ドーパミンが出すぎたのか? 夜になったら5カ月ぶりに頭痛です。


仕事がキツいのには3通りあると思います。
1、難しすぎるかプレッシャーが大きすぎてキツイ。
2、なぜか知らないけどやる気が起こらなくてキツイ。
3、退屈すぎるか無為すぎるか肉体的にキツすぎてかつ量が多くてキツイ。

1も2も3も、甘えでしかないです、ハイ。
昨日の場合は3です。休み休みじゃないとできないのですが、1時間やって1時間休んでるぐらいならまだいい方。最後には5分やって25分休むようなぐったり感。
それで食べても食べてもおなかがすきます。
それは本当に食べ物が足りてないわけではなく、ドーパミンが足りないのです。
何とか、ドーパミン出てくれ~と自分の体に頼みますが、
頼むと出るようなら世の中もっとよくなるわけで。


長野県の高原に咲いていたイカリソウ。二色咲きですごくきれいです。珍しい色だと思ったけど
このあたりにはたくさんありました。特に園芸種ということもないようです。
自然ってどうしてこんなに美しいものを見せてくれるのでしょう。

あ、イカリソウとドーパミンは何の脈絡もありません。


写真/イカリソウ(長野県 5月上旬)

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ホトトギスとっくに到来

2015-05-18 | めぐる季節と自然

1週間ほど前、今年初めてホトトギスの声を聞きました。
例年よりうんと早いのです。
何か理由があるのか。

ときどき昼間も啼きますが、夕暮れ時の18時半ごろ、決まって啼きます。

毎年同じのが来ているのでしょうか。
つがいで一緒に来るのでしょうか。


今年はフクロウもしきりに啼きます。
ここ2年ほど、来たのか来てないのか分からないぐらいの
素早い通過だったのだと思うけれど
今年は滞在しています。
それにしても啼きだしたのは1カ月ほど前からです。
毎晩、19時半から20時の間に啼き始めます。

ホトトギスもフウロウも、
聞きなれると、ちょっとうるさい……
私の気がなにかしら焦っているからそう感じるのでしょうか。
でも来ないと絶対寂しいのです。うるさくてもいいから啼いてほしい。

もう何年も、ツツドリを聞かなくなりました。
以前は毎年来ていたのですが。
そういえばカッコウが来た年もあったっけ。
先日たまたま見ていた韓ドラの背景で、ヨタカが啼いていた。
子どものころよく聞いた声。

全部セットで来てほしい。
夜明けと夕方はホトトギス、昼間はカッコウ、夜中はヨタカと、3交代制でお願いします。

それにノジコとアオジも来てほしい。コマドリとミソサザイまでは望みません。

渓谷にコマドリの声を聴きにいきたくなりました。


写真/石積みの水路とワサビ(5月上旬 長野県)
ワサビの葉は端正なので生えているときれいで、石積みにもよく似合います。


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今を生きる

2015-05-18 | なんとなく報告

ネットのニュースを見ていて、おもしろい記事を見つけた。
「夢を持つのは悲劇的な生き方」 タモリの人生論

言葉は違うけど、同じ趣旨のことを、哲学者の内山節さんが言っている。
もしかすると、同じじゃないのかもしれないけど
私の理解の中では、ほぼ同じである。

内山さんと同じことを言うなんて、タモリってやっぱりすごいな、と思った。
(タモリさんに失礼ですよね、ごめんなさい)

内山さんは、「私には野望などありません」と言われる。
野望などもつのはある意味アメリカナイズされている。
その本意は本を読まれたらいいと思う。
大事なのは今日を自分なりによりよく生きるということなのだ。
そういう生き方を本来日本人はしてきたと。

浅田真央ちゃんの去就が世間を騒がせているようだ。
休養中だった昨年度のアイスショーで見せた輝きはものすごかった。光源のよう。感動的だった。
競技とは全く違うもの。
この輝きをもってすれば、ものすごく多くの人に幸せを届けられるだろうと思った。
彼女がこんなに光を放っていられるなら、アイスショーだけでやっていくのもいいだろうと思った。
まさに、そのときの彼女は「今を生き」ていたから、あの輝きが出せたのだと思う。
彼女は一瞬一瞬、自分自身のためにあり、滑るために滑り、喜びが満ちあふれていた。
そのことがどんなに大きな力を持ち、人に喜びを与え得るかということを知った。

どっちの道をとってもいいから、笑顔でいてほしい。
今の日本で彼女をしのぐアイドルは芸能界にもいないだろう。私ももちろん大好き。
みんな真央ちゃんの幸せを願っているだろう。

突然ですが、真央ちゃんと、内山さんと、タモリのお話でした。

写真/山の麓の畑の端を流れる小川が好き(長野県にて)

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キビタキ到来

2015-05-01 | めぐる季節と自然
今年もキビタキがやってきた。キビタキはかなり正確に同じ時期にやってくる。GWの始まりを告げる鳥になっている。5月のきらめく光にキビタキの鋭いソプラノのような声はよく似合う。

朝窓を開けて隣の林を見るのが楽しみだ。
この家の窓は外の景色をきれいに切り取る。さまざまな緑が見える。
けれど、あまりにも急速に緑の色が変わっていき、1日たりとも「昨日の色をもう一度見直す」ということはできない。今日の色は今日しか見ることができない。

大きな木を伐ったのでそのことは残念だけど、大好きなアズキナシの白い花が、今年はよく見えるようになった。
敷地の端に自生しているコバノガマズミも、今年は特に見事に咲いている。これも、上におおいかぶさっていたコナラの大木を伐ったせいだろう。
写真は4月29日の様子。





コナラはこんなに黄緑色になって(手前の木はベニドウダンだけど)、数日前には白やらベージュやら黄緑やらのさまざまな色を織りなしていた雑木林は、ほとんど一色になってしまっている。

わずか1週間前の4月22日は、まだこんな春の色。



コナラ。



コバノガマズミ。

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