山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

ピンクと白のタデ科の花畑と、巨大トチ材

2015-09-29 | 植物利用

秋のタデ科の花々は、ピンクから白のグラデーションになっていて、私の好きな色。
特にミゾソバのピンク色はハスとよく似ていて、一番好きだと思う。

木曽の山のむらで花畑に出会う。
このあたりのミゾソバはすごく色が濃い。
もう一種、アキノウナギツカミなのか。その白花種なんだろうか。
そこにヨモギやツリフネソウなんかが混じっていた。



空き地にポン、と放置された巨木は、トチの木だろうか。
ここは、もともと木地師の村で、今もその仕事に携わる人がいるらしく、近くには鉢などのろくろ製品のお店が並ぶ。
そういうのに関係した巨木なのだろう。
これから使うのか、もう使わないのか、よく分からない。
それにしても大きな木。



写真/長野県南木曽町にて

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満月散歩 コブナグサの海

2015-09-28 | めぐる季節と自然

今日の月は昨日の月より真丸い。
と思っていたら、スーパームーンだとか。
一昨日より、昨日より、今日のほうが空が澄み渡り、雲一つない。

田んぼの中の道を行くと、刈り跡の田の水たまりに、皓皓と月が写っていた。
恵那山の上に上がった強烈な満月を見ながら、こんなにも美しいものが日常的に見られることに感激する。
街灯もなく、月の光を邪魔するものは何もない。
満月を背に歩けば、自分の影がくっきり見える。

昔の人たちは、月の夜には喜んで旅の時間を延長したり、夜になってから隣の村に出かけたり、いろいろ歩いただろうと思う。そして、こんな月の日に、夜なべで畑仕事をする人だっていたと思う。
こういう月が出ているのに、月を見ないでパソコンやテレビなど見ているのは、豊かになったのか貧しくなったのか、よく分からない。
こんな明るい夜には、泥棒もきっと入らない。仕事は休んでお月見しているか、盗んだお金を数えているだろう。


キンモクセイが匂い始めるのは毎年決まって10月3日、と確信していた。
けれど今年はすでに数日前から匂っている。確信を修正する。年によっては早く咲くらしい。




コブナグサも出穂。数日前、畑に行ったら、突然いっせいに穂を出していた。(上の写真)
コブナグサの海になっている。
同じイネ科の似たような穂を出す草でも、メヒシバが休耕地にいっせいに穂を出していると、かなりゾっとした思いになるけれど、コブナグサは大好きだ。穂が出ていないときでも、葉の感じがかわいい。穂が出ていればまたかわいいし、これが草紅葉になるとまたかわいい。
穂は白いのと赤紫色のがある。草紅葉は大体真黄色だけど少し赤みがかったりもする。八丈カリヤスという別名通り、黄八丈の染料になる草だから、草紅葉の真黄色はダテではないと思いながら見る。

このような雑草を、わぁすてき♪と愛を込めて見ている人がどれほどいるだろうか。
少なくとも田舎では、草も木もまるで汚いもののように目の敵にされていて、それらを刈ったり切ったりする人は称賛される。

そういう私も、ヒメジョオンやヒメムカシヨモギやセイタカアワダチソウを見るといやな気持になる。生い茂る外来種だという理由で。ヒメムカシヨモギなどは、アップで花1輪だけを見るとかわいいけど、全身を見ると風景を汚していると思ってしまう。思いながら、「そんなこと思ってはいけないよ、かわいそうでしょ」と、ヒメムカシヨモギに申し訳なく思う。





写真/上2枚 コブナグサ。間に赤いイヌタデ。隅っこにユウガギク。
   下2枚 コスモスの咲く畑。数日前、長野県阿智村清内路にて


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山麓の花 ツリフネソウとキツリフネ、野菊

2015-09-24 | 植物

久しぶりに山里の花を見ました。
今住んでいるところも都市よりは山里ですが、それほど山奥ではありません。
もう少し背後の山の高いところの山里では、生えている植物がかなり違います。
やはりそこでしか見られない花々があります。

ツリフネソウ(赤紫)とキツリフネ(黄)。
山の麓の水が浸み出ているようなところで、よくこんなふうに混じり合って生えています。
単に色の違う同じ花のようですが、よく見ると花の形が違います。
花の後ろの部分が、紫の方はくるくると曲がり、黄色の方は少しカーブしている程度。
インドネシアでもツリフネソウ科の植物は同じような水気のある場所にあります。
ホウセンカだけは乾いた場所に生えます。



手前の大きな笹の葉のようなのはミョウガの葉です。
背後には白いシシウドかなにかが咲いています。



家の横の空き地には、薄紫の菊。
園芸種のダルマシオンを刈り込んだところ、こんな小さな草丈のまま咲いたようです。
ダルマシオンは丈高くなりますが、これぐらい小さい方がかえってきれいだと思います。



見るとつい撮ってしまうノコンギク。
野菊と言われるキクの一種で、咲いている場所によって、花の色の濃淡が違います。
私の家の辺りではほとんど白に近い薄紫です。



風に揺れていました。

写真/長野県阿智村清内路

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栃木県の輪中・洪水の横にある暮らし

2015-09-21 | 山里

  *前の記事の続き

先日の鬼怒川決壊をきっかけに取り寄せた『聞き書 栃木県の食事』(農文協)に、水郷地帯の洪水への備えについて書かれてあった。
栃木県のその地帯は、鬼怒川沿いではなく、小さな3つの川にはさまれた生井村という所で、現在の渡良瀬遊水地の隣でもある。渡良瀬遊水地の中にも、かつては谷中村という輪中があったということだ。

以下、生井村について、『聞き書 栃木県の食事』から引用(要約)。渡良瀬川流域の項。
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下都賀郡生井(なまい)村は、栃木県では最も土地が低く、水郷地帯というべきところである。むらは三河川によってたびたび水害に見舞われる。そのため生井村は、たえず洪水の心配をしなければならない。
とくに初夏から秋にかけては、台風による洪水に悩まされる。田畑をはじめ、ときには家畜や家屋までも、濁流の中へ水没してしまうような被害を受けることがある。このような被害を防ぐために、むらのまわりを高い堤防で囲んだ輪中の里になっている。

また、洪水の危険から逃れるための一つの方法として、どこの家でも小高く土盛りした上に水塚(水屋)を建てている。
水塚を建てるところだけでなく、母屋や物置が建つところまでも土盛りする場合が多い。高く土盛りした塚の斜面には、洪水で崩れないように、土止めとして岩舟石で石垣を築いたり、木を植えたり、せきしょうを植えたりする。
輪中では、ちょっとした洪水では冠水の心配はないが、いったん水が入るとなかなかひかない。このような場合を考えて、水塚の中に丈夫な台をつくり、その上に畳、衣類、米俵、味噌樽、漬物樽、乾物類、そのほかの食料品や貴重品などを置いて、常に備えている。

木舟/輪中の里は何日間も水浸しになる。その間、ほかとの行き来は舟にたよらざるをえない。そのためどこの家でも手漕ぎの木舟を持っている。ふだんは納屋や台所の梁下につるし、洪水が予想されると庭先におろし、杭につないで冠水に備える。

輪中の里は、水量豊かな河川に恵まれ、農業以外に船頭や魚とり専業者もいる。
とれる魚は、なまず、ふな、こい、うなぎ、どじょう、雑魚、川えび、たにし、からす貝、しじみなど。
また、思川、巴波(うずま)川は、常には生活に重要な物資輸送の中心になっている。薪、炭、竹、麦類、大豆などが東京や浦安に向かって荷積みされる。
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ここでは、湿地特有の作物として、行李柳、いぐさもある。いぐさはもちろん畳表の良い材料になり、行李柳では行李や弁当箱を作る。


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写真/愛知県高浜市の長田川。川の両岸には家はなく、水田が広がっている。水田の向こうには、特産の瓦の工場などがあり、昔ながらの集落が続く。ここでも、水害に備え堤防のかさ上げ工事を行っている。
今の時期、オギの穂が銀色に光ってきれい。(2014年)

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川にはさまれた場所で暮らす

2015-09-19 | 山里

この写真はインドネシア・スラウェシ島の田んぼ。川に堤防がない。
何年かに一度は氾濫するだろう。堤防がないから決壊もしない。水はじわりじわりとまわりの田んぼへ広がっていくだろう。
家は周りの山の端にあり、浸水する可能性がなくもないが、すぐに山に上がれる場所だ。
どっちにしても、ここらの家は1階部分が居住空間ではない、いわゆる高床なので、そうそう床上浸水にはならない。
稲は何らかの被害を受けるだろうが、米倉も高床だし、家に収納する場合にはやはり2階部分に置いている。
インドネシアには水上住宅もポピュラーだが、水上住宅とまでいかなくても、水の多い地域では、大雨による洪水を単なる水位の上昇としか思っていないのではと思う。


鬼怒川が決壊したと聞いて、すぐに農文協の『聞き書 栃木県の食事』を取り寄せた。
この本には、昭和初期の食事だけでなく暮らし全般が書かれていて、水郷地帯での何らかの暮らしの工夫が分かるのではと思ったからだ。
けれど、よく考えると鬼怒川が決壊したのは茨城県だった。

『茨城県の食事』はすでに持っているので調べてみると、水郷地帯の洪水への備えのことは一言も書かれていなかった。
鬼怒川が決壊するなどと言う恐れは誰ももっていないかのようだった。
書かれていないだけで、何らかあっただろうとは思うのだけど、常総市も、その合併前の水海道市も、水害に苦しめられてきたというような情報は見つからなかった。

今回洪水になった鬼怒川と小貝川にはさまれた場所は、テレビで見ると新しい家ばかりなので、昔からの集落ではないのだろうかと思った。昔は危険だった地区でも、最近になって住宅地が造られるということはよくある。昨年の広島県のように。
が、グーグルアースで見てみると、2本の川のそれぞれ少し内側に、旧道らしき曲がった道があり、そのまわりに家が建ち並んでいる。神社もところどころにある。
それらはきっと昔から開けた集落なのだと思う。その人たちは水害についてどういう心構えを持っていたのか聞いてみたい。
本当に昔から決壊などありえないこととして暮らすことができていた場所なのだろうか。

   続く(予定)

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川が造る平らな場所

2015-09-18 | 山里

茨城、栃木、宮城で川が氾濫し大変なことになっていた。
が、3日ほど前からニュースは安保法案に塗り替えられた。
こんなに反対の人がたくさんいるのに、どうして前の選挙では自民党が圧勝したんだろう?
不可解ニッポン。
安保法案反対の人は選挙に行かなかったということなのか。


川の両岸には平地ができる。
山から土砂が流れ込む。
川が土砂を運んでくる。
そして大雨で氾濫を繰り返し、山と山のはざまに平らな土地をつくる。
平らな場所は、洪水が起こるという宿命を背負っている。
あるいはときに水たまりのようになる。

日本では(ほかの国でも)その宿命に逆らい安全に米を作るために堤防を築いたり、導水路を造ったり、さまざまな工夫をしてきた。
偉大な仕事を成し遂げてきたけれど、最近の気象の激しさを見ると、これから先はどんなに強く高い堤防を作っても、過激な雨とのイタチごっこになりそうな気がする。

こういうところに住む動機というのは、きっと本来は、米作りに便利だから、あるいは漁業や水運で川を利用するためだっただろう。
茨城の洪水がかなりひいた現在の状況を見ると、そのすさまじさに驚く。
一人暮らしの人は片づけもままならないだろう。

写真/山形県飯豊(2015年6月)

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イタリアの急傾斜地アマルフィーも

2015-09-06 | 山里

*この写真は飯田市です。

前の記事で、長野県遠山郷の下栗という急傾斜地の集落の2つのタイプの道について書いた。
昨日、イタリア人の建築家マッテオ・ダリオ・パオルッチ氏が、世界遺産であり文化的景観でもあるアマルフィー海岸の集落について、下栗と同じ状況を紹介されたので、驚いた。
どこの国の急傾斜地でも同じ状況があるのかもしれない。ただ、そのことをあえて取り上げておられるということが、ちょっと嬉しかった。

パオルッチ先生の講演要旨に以下のようなことが書いてある。

屋敷と耕地には道の系がある。
その1つは、自動車が入る前にはそこそこの勾配の道にわだちがついた、比較的距離の長いもので、屋敷と屋敷を結ぶ、運搬車用の道だった。
もう1つは、急勾配のルートをとり、多くは小さな踏み段がある、上の段や屋敷に直行するようなものである。

この講演は9月5日、飯田市歴史研究所の研究集会で行われたもので、上の文は飯田市歴史研究所発行の配布資料を参照したものである。


写真は、長野県飯田市。「丘の上」と呼ばれる北西側の高いところから見下ろした盆地。
空撮で見ると、南アルプスと中央アルプスにはさまれた、一筋の溝のような本当に細長い窪地があり、その南の方に飯田市の旧飯田市地区は位置する。市の大きさからして伊那地方の中心であり、市民の文化レベルが異常に高い感じのする町。歴史研究所も市の機関である。

飯田は私にとってはずっと、霧の町だった。
中津川から東京に行くとき高速バスで通るとほとんどいつも霧が重くたれこめている。
逆に、霧を見て、ああ飯田か、と思う。
これだけはっきり窪んでいれば水蒸気が沈み込むのも無理もない気がする。

最近よく飯田に行くようになって、霧が晴れるように町の全貌が見えてきた。
盆地の中央を流れる天竜川が、両側の山脈に向かって河岸段丘をいく段にも造り、車で走っていると、坂を上がったり下りたり。それにつれて、次から次へと物語が展開されるように「地形の実感」が迫ってくる。それを確かめながら走るのが楽しい。


写真/長野県飯田市の旧飯田市部分

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