2月11、12日に矢森協合宿があった。私は記録係として参加させてもらった。私は森林ボランティア活動にはほとんど「仕事」で参加している。純粋なボランティアではない。ボランティアをしている余裕は私にはない。少なくとも今までは。
矢森協は矢作川水系森林ボランティア連絡協議会という長ったらしい名前で、設立はわずか3年前だが、2005年の森の健康診断の実施もあって、あっというまに全国に名をはせる団体になってしまった。そこにはニワケンの驚異的なプロジェクト推進力と人をひきつけ動かす力があることは間違いない。
今回はトヨタ車体さんからたくさんの補助金が出たため、レッスンプロの講師を6人も招いて技術の見直しと向上が行われた。講師は皆、若手。20代から40代までで、そろいもそろってカッコいい。どういうわけなんだろう。私はそのことを夜の交流会の席で話したが本当に言いたかったのはそのことではなく、そのような若手がうんと年上の団塊世代のボランティアやもっと上の地元山主たちに教えているという構図が、いい感じに思えたということだ。こと林業や人工林の話になると、オチは必ず悲観的になるのがパターン。そんな中で、こんなカッコいい若手が頑張っているというのは、ちょっと明るい光のように感じる。
それでも一時期と比べると、Ⅰターン林業をする若者は減ってきているという。やはり食べられないかららしい。カッコいいだけではやっていけないということである。
こんな話になると、誰も「これだ」という解答は出せない。どうすればうまくいくという正解がない。誰もが模索して、もがいている。
一方で、森林ボランティアにいそしむ人たちを見ると、ご苦労さんだなといつも思う。どうしてこの人たちは森林ボランティアをするのか、と疑問を覚える。疑問というのは、不思議だとか不賛成だということではなく、何が一部の人を森林ボランティアに駆り立てるのか、という疑問である。あくまでもごく一部の人なんだが。
それで交流会などでいろいろな人に「どうして森林ボランティアをやっているの?」と聞いてみたところ、誰もが「面白いから」と答えた。「わたくしは、日本と世界の森林の現状を憂い、CO2を削減し環境を守るために役に立ちたいと思い、森林ボランティアを志しました」と言った人は一人もいなかった。もちろんそういう理由にも裏打ちされてはいると思うが、やはり人を動かす第一の動機は楽しさなのである。もともと環境問題に興味のなかった人も、定年後、「そういう活動もあるのか」と初めて興味をひかれ参加している例もあった。
また、人工林のボランティアは、川の流域の下流に住む人が、自分の使っている水の水源を保全するために上流の森林の整備に参加するという理念が一つあるが、中には自分の流域とは関係のないところでやろうとしている人もいた。
そもそも森林ボランティアがする間伐によって、日本中の森林が保全できたり水源が守れたりするわけではない。よく言われる、「自分の楽しめることが世の中の役にもたつならそれもいいと思って」ということなのである。
しかしながら、本当にごく一部の人であるが、このような活動をしていることにひどく優越感を持ち、していない人を見下している場合がある。私はそういう人たちを「環境活動エリート」とひそかに呼んでいる。森林ボランティアだけでなく、環境保護活動をしている人の中には、「一般人」との間に壁を作っている人がいる。どんな活動でも、閉鎖的、孤立的になれば建設的ではない。
※写真は、抜倒する木にロープをかけるために、ワンタッチラダーというはしごのようなもので木に登るところ。プロの林業ではロープなどかけないが、森林ボランティア活動は効率より安全を重視するため、慣れるまでは必ず行うよう、矢森協では指導している。