山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

国立公園の湖にパンをまきちらすことについて

2007-02-28 | めぐる季節と自然

 

十和田湖は国立公園の中であり、環境省の管轄する場所である。

一番深いところの水深は300m以上あり、日本でも有数の深い湖である。透明度も非常に高く、ヒメマスなど貴重な動植物が生育する。

かつては白鳥の来る場所ではなかったが、数年来訪れるようになったという。

この美しい湖に、大量のパンがまかれている。特に2月2日から25日までの「十和田湖雪物語」のイベント期間には、非常に多くの罪のない?観光客が訪れ、みなさん白鳥を愛でるために、それとイベントは夜中心で昼間ヒマだもんだから、大喜びしてパンを白鳥に与えている。餌付けされた白鳥は、人が通りかかるだけで寄ってくる。白鳥だけでなくカモの仲間もいる。これだけ大量のパンをまき続ければ当然水質にも影響が及ぶだろう。パンに含まれる添加物もまきちらされる。ますます白鳥が集まるようになれば、それも水質に影響を及ぼすだろう。

十和田湖は昭和30年代から観光が盛んになり、住む人はみな観光に従事している。そこではいまだ旧態依然とした観光スタイルが続いている部分がある。意識の変わらない古い世代に対して、新しい観光を目指して活性化しようとする若手がいる。若手のヒメマス漁師の一人は「白鳥にパンをやるのはよくないと思う」と語った。白鳥の餌付けにも賛否が分かれているようである。

国立公園の湖にパンをまいてもいいのかどうか、環境省はよく考えましょう。


大量の食パンの行く末は

2007-02-28 | めぐる季節と自然

 

十和田湖岸で売られている「白鳥のえさ」は、ビニール袋にたっぷり入った食パンの耳である。そもそもこれは、白鳥のえさではなくて、人間のえさではないのか? ヤマザキパンです。こんな無人えさ売り場が3カ所ぐらいにあった。


十和田湖

2007-02-28 | なんとなく報告

 

24日に会議で東京に行き、その足で青森県の十和田湖に行ってきました。あまりに別世界だったものだから、帰ってからしばし茫然自失。十和田湖は、一種の孤島です。そこに小さな村みたいなものがあります。

ある意味、自分の中での異次元みたいなもの。時間も空間も切り離されたところ。非日常。それが旅ってことなんでしょうか。


祝島のふのり

2007-02-23 | 

ふのりがびっしりついた岩。何人かの島の女の人が、ふのりをとっていた。時期は3月中旬。

春分の日の前後、毎年のように島旅をしていた。そうすると、必ず花粉症が始まる。島のかんきつ畑を歩いていると、くしゃみが出始めるのだ。瀬戸内の島のかんきつ畑は、スギで防風林が作られていることが多い。杉の木を1間間隔ぐらいで植えて垣根のようにしてある。

祝島に行ったときは、島に行く前から、すでにひどい花粉症になっていた。電車の中で大変だった。この時期に旅をするのはやめようと思ったものである。

ふのりってどんな味がするのだろうか。洗濯のり用に煮詰めたふのりは、透明になった。のりはでんぷんなんだから、当然なのかもしれないが。

……でもこの写真を見ていたら、これってふのりとは違う海草だったかしら……とちょっと不安になってきた。いずれにしても、こんな感じである。


花粉症

2007-02-23 | 山里

昨日から花粉症になった。枇杷の葉茶の飲み方が足りないらしい。というか、今年は花粉がひどそう。今日は特にひどかった。

花粉症対策も、毎年同じことをやるとだんだん効かなくなる気がする。でもまだまだ枇杷で粘るつもり。普通のてん茶は猛烈に甘ったるいが、びわの葉はそんなことはない。

今日は15人ぐらい人が集まっているところに行ったが、一人が静かにマスクをしていたぐらいで、ぐしゅぐしゅいっているのは私だけだった。かなしい……。

大変暖かく、昼間はもはや冬ではない感じだが、夜や朝はまだびっしり霜がついてとっても寒い。でも今日は日中車を運転していてクーラーを入れてしまった。近所の早咲きの梅がいつのまにか五部咲きぐらいになっていた。


再び、祝島。練塀が美しい。

2007-02-20 | 

このブログのタイトルの下に、山里、離島、植物うんぬんと書いてあるが、一昨日初めて離島を話題にすることができた。

しかし、離島というと、離れ島、陸からうんと離れた島、つまり、小笠原諸島とか、トカラ列島とか、そんなイメージがあるのだが、今の日本の特に行政では、島は全部離島と言っているような気がする。祝島は船で確か1時間半ぐらいだったように思う。

祝島の人からコメントをもらって、すっかり気をよくして、いろいろ思い出した。懐かしい写真を見てみると、とてもとても、やっぱり、しまっておきたいのだけど、ちょっと見せたい気もする。

祝島の塀は「練り塀」というのでした。建築業界では有名な塀らしい。その土地で必要があって生まれるものはやはり美しく洗練されている。こんな塀で集落が取り囲まれている。石は本当に資源である。木も資源であるが、20年とか50年とか100年、あるいは500年とかで生産できる。しかし、石はとてもそんな単位ではない。数字に弱いのでよく判らないが、何百万年とか、何千万年という単位? 決して人間が生産することができないものである。昔の人は石を本当に上手に使っていたと思う。建築の中の装飾にも。

こんなかわいい塀の間を歩くのは楽しいものだが、そこに住んでいる人はきっとなんとも思わない。塀の横には空き家が何軒もあった。田舎の空き家を見るとすぐにそこに住みたくなるが、住みたい空き家がありすぎて結局決断もできないのである。

祝島のことを書き続けていると軽くしあさってぐらいになってしまいそうなので、続きはまた今度にする。


カラスの群れ

2007-02-20 | 山里

ここ数日、カラスが群れになっている。今日は50羽ぐらいかたまっていた。日に日に数が増えている。繁殖期になると群れになるのか? カラスがこんなに群れているのを近く見たのは初めてである。

耕起した田んぼで、土の中にくちばしをつっこみ何かをついばんでいる。大方、土の中の虫やミミズでも食べているのだろう。そうでないものは、道路でのんびり甲羅干しをしている。あぜ道を歩いているのもいる。田んぼの中を歩いているのもいる。耕した田んぼはでこぼこなので、歩くとひょこひょこ体が揺れて、難儀そうである。

アベマキの木に群れて停まっているときもあった。あの人たちはお互いに顔を見分けることができるんだろうか。鳥もオスがメスに求愛して、気に入るかどうか、いろいろハードルがあるらしいが、人間から見るとどの鳥も大差ないように思える。だから、鳥から見れば人間の男女が選り好みをしあうのも、「大差ないのになー」って感じなのだろう。とにかくカラスの群れを一目見ただけでは、どのカラスも同じに見える。

およそ植物の個体差に比べれば、動物の個体差なんて小さいのではないか。というか、きっと植物を外形で見分けようとすること自体が何かの錯誤なんだろう。形じゃなくてホンシツで見分けないとダメなのね、きっと。

カラスの群れを見るようになってから、スズメの群れを見ない。とっても寂しいものがある。スズメが群れになるのは1月が一番なのだそうだ。カラ類も冬になると群れをなす。雪の日にスズメが電線に勢ぞろいして雪に降られるままになっていたのには驚いた。雪に濡れるのイヤッ、寒い、なんて思わないらしい。

写真は1月の雪の日のスズメの群れ。カラスではない。

 


祝島のびわの葉茶

2007-02-18 | 

2週間ほど前からビワの葉茶を飲んでいる。花粉症対策。

びわの葉茶はてん茶の一種。てん茶が花粉症に効くのは有名で、こだわりの健康食品店で安く売っていたので買って友人にあげたらひどく喜ばれたが、その後、ドラッグストアでいくらでも売っているのを見かけるようになった。でもびわの葉茶はあまり見かけない。てん茶というのはバラ科の植物で作ったお茶のことであり、びわは見かけによらずバラ科なのである。昨年も花粉症の季節をびわの葉茶でのりきった。大した症状も出ないですんだ。

びわの葉を蒸して干せば自分で作れるだろうし、あるいは生でもできなくはないだろうが、私は山口県の祝島から取り寄せている。祝島のびわは無農薬で、高級な果物として出荷されているようだが私は食べたことはない。ここのびわの葉茶は、蒸して干してから「ほうろく」で炒ってあるのが特徴で、大変おいしい。きれいなオレンジ色が出る。

私がここのお茶がひいきなのには、おいしくて無農薬だということのほかにもいろいろな理由がある。まず、祝島が大変美しい島で、かつて訪れたことがあり、親しみがあるということ。島のあちこちでみられる塀は白い漆喰と色とりどりの丸い石でできていて、エーゲ海かなにかのようである。塀だけで十分美しい。

集落の裏から島を上がっていくと、石積みが幾重にも重なったあたりにビワ畑が広がっている。

海辺に行くと丸い青灰色の石がみんな同じ方向を向いてころがっている。岩場にはふのりがたくさんはりついている。このふのりを少々いただいて持って帰って、煮て、洗濯のりにしたら、軽くパリっというかサクっというか実にいい具合になった。ふのりは食べることもできる資源である。

また、民宿で初めてカメノテという食べ物と対面。見た目は変な感じだがシャコみたいでおいしい。これはフジツボの仲間で、岩にたくさん張り付いていた。調子に乗って食べていたら気持ち悪くなった。

祝島は上関町に属しており、あたりは瀬戸内海でも有数の美しい海である。海産物も多い。上関町では原発の建設の話が本格的に進んでいる。原発ができれば美しい海は埋め立てられ、なくなってしまう。3年ぐらい前に署名運動をネットでやっていたが、今はどうなったか。

いくつかの島に出掛けたが、島にはいい島とそれほどでもない島がある。それほどでもない島に行くと、すぐに帰りたくなる。いい島に行くと、もう一度行きたくなる。祝島は大変いい島である。それほどでもない島は、何とか再びいい島になってほしいと願うがその方法が分からない。


早春の雨

2007-02-17 | 山里

 

ここのところ寒い日が続いているが、ようやく平年の冬並みという感じ。でも季節はすっかり春に向かっている。18時を過ぎても薄明るいのには驚く。毎日小鳥がつやのある声でさえずり、スズメは追いかけっこをしている。正式には片方が片方を追いかけているだけなので「っこ」ではない。このごろは窓の外で群がってじーっとしていることも減っている。

一昨日は昼からぱさぱさと雪が降ったりとけたり凍ったりして、車のドアが開かなくなった。

昨日はびっくりするぐらい一面に真っ白の樹氷が恵那山やその周りの低い山々を覆っていた。遠くから見てもぴかぴかしてまぶしいような青みがかった純白であった。

今日は一転して雨になった。

加子母では、寒に降った雨によって積もった雪が凍ると、かんじきが使えるようになるので熊打ちにいったのだという。こんな雨のことをいうのだろうか。穴の中で眠っている熊を起こして撃ってしまうのである。そういうやり方はちょっとかわいそうすぎる気がする。そうやって深く考えていくと、どういうやり方でもかわいそうである。でも、人間も熊も命あるものはすべていつか何らかの原因で死ぬのである。死ぬっていうのはやはり痛いし辛いし切ないのである。最近は比較的楽な死に方であると思われるいわゆる「心臓発作」とか「脳卒中」になっても病院に連れて行かれ生き返らされ半身不随などになって再び生き最後にもう一度死に直さないといけないのだからやっかいである。その人が生きながらえたことで周りの人間は寂しさから一時逃れられるので満足するが、本人にしてみるとたまったものじゃないという場合もなきにしもあらずだろう。

 

それはそうと、最近頭痛ばかり。悩み事があると頭痛になるというが、ウソだ。それは頭痛になったことのない人がいうものだと思う。何も心当たりがなくても頭痛にはなる。「自分では気づかないだけで、心の底にはきっと悩みがあるのよ」と人は言うが、そういう重箱の隅をつつくような、もしくは藪をつついてヘビを出すようなことはしたくない。それにしてもしばらく頭痛になっていなかったので助かっていた。以前は、たまに頭痛がしないと、今日はどこか悪いんじゃないかと思ったりした。


植物の名前~オシャクジデンダ

2007-02-17 | 植物

 

オシャクジデンダというシダがある。私が初めてこのシダを認識したのは、恵那山を飯田側に越えたところの神社の大木でだった。このシダは樹上に着生するものである。樹上とはいってもたいてい斜めになった幹の下側にあるので樹上というのはちょっとそぐわない。雨の日は葉が開いてシダらしくしているが、乾いた日には葉が丸まっている、というのが特徴のシダである。もっともここにあったものを手にとってつぶさに調べたわけではないから、よく似た別のシダでないとも限らないが、でも、多分、オシャクジデンダだと思う。

この名前は図鑑で調べた。一文字ずつたどらなければ読めない、珍妙な名前だった。その後、デンダというのはシダを指すことを知った。オシャクジというのは、ヤマケイの本によれば「このしだが初めて採られた木曽の社貢寺(しゃぐじ)にちなんで名づけられたという」とある。それで、木曽の地図で社貢寺という寺を探してみたが、見つからなかった。私がそのシダを見つけたのは木曽ではないが木曽の裏側である。

大体、植物の名の由来というのは、本当でないことが語られていることも多い。ズダヤクシュというかわいい花を咲かせる草がある。ズダとは木曽地方で喘息をいいその薬種だ、という話が多くの図鑑に書いてある。これは恐らく最初に牧野富太郎が図鑑に書き、それをみんなが子引き孫引きして広まったものだと思う。なぜなら木曽地方のあちこちで「ズダ」って知ってるかと聞いても誰も知っているとは言わないからだ。本当かどうか分からないことが広まると、すぐに真似だとばれてしまう。だからオシャクジなんて寺が木曽にあるかどうかも怪しいもんだと思っていた。

その疑問が昨日氷解した(厳密には氷解していない)。旧加子母村の昔の話を集めた本で知った。加子母には「おしゃもじさん」という祠が昔あった。これは「石神祠」(しゃぐうじ)とか「尺文字」とか書き、太閤検地で使ったものさしをまつったもので、各地にあるという。呼び方も、おしゃごじさん、おしゃぐいさん、などがあるらしい。岐阜県各務原市蘇原には神護司(しゃごじ)神社があるという。オシャグジデンダもきっとそのオシャグジだろう。寺だとばかり思っていたが、神社や祠である。オシャグジというのが木曽の特定の祠を指しているのか、神社などに多くあるからそういわれるのかも分からない。また、木曽にオシャグジという寺がないという確かな証拠もないので、まだまだ油断はできない。

それでもこのシダの名前にこれまでよりもっと親しみがもてそうだ。


矢森協合宿・森林ボランティア

2007-02-15 | 森林環境教育

 

2月11、12日に矢森協合宿があった。私は記録係として参加させてもらった。私は森林ボランティア活動にはほとんど「仕事」で参加している。純粋なボランティアではない。ボランティアをしている余裕は私にはない。少なくとも今までは。

矢森協は矢作川水系森林ボランティア連絡協議会という長ったらしい名前で、設立はわずか3年前だが、2005年の森の健康診断の実施もあって、あっというまに全国に名をはせる団体になってしまった。そこにはニワケンの驚異的なプロジェクト推進力と人をひきつけ動かす力があることは間違いない。

今回はトヨタ車体さんからたくさんの補助金が出たため、レッスンプロの講師を6人も招いて技術の見直しと向上が行われた。講師は皆、若手。20代から40代までで、そろいもそろってカッコいい。どういうわけなんだろう。私はそのことを夜の交流会の席で話したが本当に言いたかったのはそのことではなく、そのような若手がうんと年上の団塊世代のボランティアやもっと上の地元山主たちに教えているという構図が、いい感じに思えたということだ。こと林業や人工林の話になると、オチは必ず悲観的になるのがパターン。そんな中で、こんなカッコいい若手が頑張っているというのは、ちょっと明るい光のように感じる。

それでも一時期と比べると、Ⅰターン林業をする若者は減ってきているという。やはり食べられないかららしい。カッコいいだけではやっていけないということである。

こんな話になると、誰も「これだ」という解答は出せない。どうすればうまくいくという正解がない。誰もが模索して、もがいている。

一方で、森林ボランティアにいそしむ人たちを見ると、ご苦労さんだなといつも思う。どうしてこの人たちは森林ボランティアをするのか、と疑問を覚える。疑問というのは、不思議だとか不賛成だということではなく、何が一部の人を森林ボランティアに駆り立てるのか、という疑問である。あくまでもごく一部の人なんだが。

それで交流会などでいろいろな人に「どうして森林ボランティアをやっているの?」と聞いてみたところ、誰もが「面白いから」と答えた。「わたくしは、日本と世界の森林の現状を憂い、CO2を削減し環境を守るために役に立ちたいと思い、森林ボランティアを志しました」と言った人は一人もいなかった。もちろんそういう理由にも裏打ちされてはいると思うが、やはり人を動かす第一の動機は楽しさなのである。もともと環境問題に興味のなかった人も、定年後、「そういう活動もあるのか」と初めて興味をひかれ参加している例もあった。

また、人工林のボランティアは、川の流域の下流に住む人が、自分の使っている水の水源を保全するために上流の森林の整備に参加するという理念が一つあるが、中には自分の流域とは関係のないところでやろうとしている人もいた。

そもそも森林ボランティアがする間伐によって、日本中の森林が保全できたり水源が守れたりするわけではない。よく言われる、「自分の楽しめることが世の中の役にもたつならそれもいいと思って」ということなのである。

しかしながら、本当にごく一部の人であるが、このような活動をしていることにひどく優越感を持ち、していない人を見下している場合がある。私はそういう人たちを「環境活動エリート」とひそかに呼んでいる。森林ボランティアだけでなく、環境保護活動をしている人の中には、「一般人」との間に壁を作っている人がいる。どんな活動でも、閉鎖的、孤立的になれば建設的ではない。

※写真は、抜倒する木にロープをかけるために、ワンタッチラダーというはしごのようなもので木に登るところ。プロの林業ではロープなどかけないが、森林ボランティア活動は効率より安全を重視するため、慣れるまでは必ず行うよう、矢森協では指導している。


街の植物観察

2007-02-14 | 植物

 

今日は月1回の街の植物観察の日でした。この講座は毎月第2水曜日に名古屋栄で行っています。

天気予報は嵐、まだ雨は降っていませんでしたが、どんよりと重い雲が垂れ込め、なんとなくこんな日は外を歩いても楽しくなさそうだったので、今日は1年の復習をすることにしました。4月から観察して見つかった草をすべて読み合わせし、科に分けて書き出し、何月に見られたかを線引き。

23科64種の草がありました。うち、外来種が約半数です。思ったより外来種が多くないという印象です。日本にある種類でもヨモギのように、外国から入ってきたヨモギだと思われるものもありました。

圧倒的多数を占めるのはキク科で18種。次がイネ科の9種、続いてナデシコ科とゴマノハグサ科が並んで4種です。

灼熱の夏よりもむしろ冬を好んで生きているものもありました。タネツケバナやナデシコ科のツメクサ、ノミノフスマ、オランダミミナグサ、ハコベなどです。

月別に見ると、5~6月は種類が非常に多く、8月ごろからぐっと少なくなってきます。今の時期は草の数はそこそこ多くても、種類はうんと少なくなります。イネ科の草は7月8月に急激に種類が多くなります。

生徒の皆さんは、ノートをひっくり返し、名前を見て思い出せないものは図鑑をひいて調べました。私が伝えた名前を聞き間違いしているのも多くあり、傑作だったのはアメリカフウロ→アメリカフード。マクドナルドじゃないんだから、と爆笑です。やはり自分で調べるとよく頭に入るなあという感想でした。

また、ある生徒さんは、図鑑の総当り戦を行ってました。分からない植物を、図鑑を1ページ1ページめくりながら調べる方法です。これは、一見時間がかかって遠回りのようですが、実は最も早く覚えられるやり方です。その理由が近頃分かりました。植物の名前を覚えようとするとき、最も覚えられないのは人に聞く方法。茂木健一郎の「ひらめき脳」という本によると、人間はひらめいたときにそのことが記憶に深く刻まれるようにできているのだとか。人に聞くと何のひらめきもありませんが、図鑑を順に見ていく場合、めざす植物が見つかったときの「あっこれだ!!!」というひらめき、一瞬にして頭の中に光がさすような、霧がパッと晴れるような感覚があります。そこにはこたえがたい喜びがあります。ひらめきがおこったとき、ドーパミンが分泌され、人は喜びを感じるそうです。その喜びによってナニヤラが強化されるそうです。まさにそのとおりです。図鑑総当たり戦にはそんなひらめきがあるので、それで調べたことは忘れないのです。

今日は講座の前に、名古屋市中事務所にも行ってきました。講座をセントラルパークで行うことについての相談です。NHKビルの前のオアシス21は名古屋市がある会社に管理を委託しており、警備がものすごく厳しく、歯がたたないのですが、セントラルパークは柔軟で(というかそれが普通だと思うけど)、講座を続けることができることになりました。オアシスでは、雑草もまいているというホントかウソか分からない話があり、それでも「何のたねをまいているんですか、その草は抜きません」などと切り返そうかなどと作戦を立ててはいたのです。

厳しい警備により街の安全が保たれていることに感謝しますが、公園は市民が楽しく遊べる場であってほしいと思います。それがなければ何のために安全を保っているのか分かりません。

写真は、夏の講座の様子。


シジュウカラ初鳴き

2007-02-10 | めぐる季節と自然

シジュウカラがさえずっている。今年初めて。それも1羽じゃなく2~3羽いて、さえずり合戦をしている。刺激されたのかヒヨドリとカラスも鳴いている。春が来た。今日はスズメたちはどこかへお出かけ。

とにかくこんな時期でもストーブなしですごせるなんて驚異的。

スズメの本をアマゾンで買って読んでみた。思ったのとは違う子ども向けの本で、知りたいことは載っていなかったがいろいろわかったこともある。何より早く読めた。スズメはここ30~40年で世界中で激減しているらしい。そういわれてみるとそうだ。子どもの頃は、毎年のように新学期にあわせて鬼瓦のすきまにスズメが出入りして、ときどきヒナが墜落していたりした。毎朝チュンチュンいうスズメの声が聞こえた。庭にたくさん群がっていた。今はそれほど見かけない。田んぼでお米をよばれてるスズメも、それほど多くはないようだ。

住宅の屋根などに隙間が少なくなったり、えさとなる虫が減ったりと、いろいろ原因があるらしい。新潟の鳥追い歌には、スズメとサギとトキがお米の害鳥だとして追い払う歌があると知った。スズメもトキのように絶滅したりしないことを願う。

 


木の文化が根付く町

2007-02-09 | 山里

 

先日友人が遊びに来て、最後に地元の居酒屋に行った。カウンターで10席もない、自宅の横に建てた小さなプレハブ小屋の、70歳にさしかかりそうなご夫婦がやっている店。看板もペンキで手書きしてある手作りの店。周りには雑木林がいっぱいある。メニューも少なく、地元の常連さんが一日の仕事を終えたお祝いにヤキソバなどを食べながら一杯だけ飲むような店。

そこで私たちは木と建築の話をしていた。昔から高級な日本の仏壇はインドの方の木で作っていたことなど。客はほかに誰もいなかった。いい大工さんは木の10年先を見て設計しているということから、いい設計をしようと思ったらもうからないとか、そんなことから話が進み、だから入札はよくないんだよね、そうだそうだ、などとくだをまいていたら、お店のおじさんがカウンターの向こうからうずうずした感じで話に加わってきた。聞けば、おじさんは地元の材木屋に勤めていたのだという。「行政の年度単位の発注が日本の木の文化をダメにしている」とおじさんは言った。


こんな田舎の小さなお店のおじさんがこんな言葉を平然と話す中津川はすごい。木にかかわる人の層の厚さ、裾野の広がある。この町の底力を見た気がした。もっともっと木の文化にみんなが誇りを持ってほしい。


昼間は春のよう

2007-02-07 | 植物

本当に暖かい。オオイヌノフグリが満開といっていいぐらいに咲いている。

この花は元日から咲いていた。でもそれは暖冬に限らない。帰化植物の中には、真冬でも陽だまりを見つけて咲いているものがたくさんある。代表はセイヨウタンポポ。真夏はちょっときびしいけど、大体一年中咲いている。日本のタンポポは春しか咲かない。だからもあってセイヨウタンポポがどんどん増える。

気象庁ではタンポポの開花日を観測しているらしい。今年は1月5日ごろだったか、初観測されました、と報道していた。どうしてそんな観測をするのか。セイヨウタンポポなら1年中咲いているのだから、意味がない。セイヨウタンポポと日本のタンポポを区別しずに、たんなるタンポポの開花日としているのだから、気象庁さんも無意味なことには気づいているだろう。

話を戻すと、オオイヌノフグリはどんな年でも、冬でも咲いているのだが、やはりこんなに早くこんなにたくさん咲くのは、暖かいからだ。きのうは何とかいう(名前度忘れ)スミレを食べるチョウの幼虫が道路を横断していた。これで田んぼに水を張ればカエルが鳴き出すかも。

毎日天気もいいので、昼間歩いていると、花が咲き、生暖かい風が吹き、本当に春みたい。夕方は最近ではすっかり明るいので、3月終わりぐらいかと思う錯覚を覚える。間違ってサクラが満開になったりしないでほしい。それはあり得ないけど、お楽しみがあまりに早く来てしまうのは非常にさみしいものがある。春を迎えるためには、やはり心構えが要る。毎年春が来るのが怖い。