山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

木と木材WS

2008-01-27 | 森林環境教育
26日の木と木材WSは、チラシを見て建築の話だと思った人も多かったかもしれないけれど、実は環境問題のWSだった。
木を使うことを通して、地球環境を少しでも悪くしないような社会のしくみを作ろうと、悪戦苦闘、日々自分で考え、自分の足で歩み続けている人ばかりだった。
講師は、コーディネーターとして岐阜県立森林文化アカデミーの原島さん、金子木材建築の金子社長、KTS(工務店)の堀尾さん、奥矢作森林塾代表理事の大島さん、林業家の安江さん。原島さんにコーディネーターをお願いしたのは大正解だった。コーディネーターは重要だということがよく分かった。
こんなに役者がそろって人が集まらないわけがない。

一日中、熱い語りが続けられた。
何かの分野の専門家になれるということはすばらしい。
参加者の皆さんもそのことを感じとられたようだった。
講師の方々と、スタッフをしてくれた仲間達と、熱心に聴講・参加してくれた参加者の皆さんには、本当に本当に、心からお礼をいいたい。

終わってからの交流会には、参加者54名のうち29名も参加された。ここでも熱すぎる語り合いが続けられていた。
宴会係のニワケンが休みなので安江さんに仕切ってもらった。
飲めないキコリンが乾杯の音頭をとったのにはひそかに笑えた。

みんな帰ってから、酔っ払って上機嫌の夕立山森林塾世話人の柘植さんが、奥さんの車を待つ間、夕立山森林塾のキコリンと佐藤さんと中神代表と私とカウンターに座っていたら「ちーと飲めや」という話になり、しばらく上機嫌の話をした。
この日の成功を祝いながら、何だか「みんな仲良く酔っ払い」みたいで、ほのぼのとした。

夕立山森林塾では年末ごろから何かと波乱もあったので、みんなが復活してうれしい。

行事いろいろ終わり 木材シンポ、子どもの森健

2008-01-27 | なんとなく報告
1月26日に木と木材のいい使われ方を見学するワークショップ主催、今日27日はニワケンのESDシンポでの発表があり、それぞれ無事に終わってやれやれ。
木と木材のWSはものすごい盛り上がりで、主催者冥利に尽きた。
新人の安藤君は初めての大仕事で、初めてとは思えない気配りを見せてくれ、大活躍した。

子どもの森の健康診断の教材作成を引き受けていて、1年がかりの仕事が収束。
今日はニワケンがそれを軽くプレゼンするので、準備が大変だった。
印刷物勝負の仕事なのに、プリンタが次々と、3台すべて使えなくなり、仕事にならなくなった。
おかげでちょっとしたプリントアウトも外注、パソコン環境の違いや送信ミスでコストと時間が大幅にかかってしまった。
まあ、そういうこともあるでしょう。それでも何とかしのいでしまったから。

26日の準備は安藤君が夜遅くまでかかって細かいことをみんなやってくれたので、私は隣で今日の印刷物などの準備をすることができた。それでもプリンタトラブルのせいもあってあまり眠るヒマがなかった。
そうはいうものの、プリンタが使えないために減った仕事もあり。

なので、とにかく眠い。今も眠い。
きのうのWSはかなり眠っていた……。
特に金子さんの低エネルギー住宅は暖かくて居心地がよくて。
最後のキーポイントでの床に座る座談会では、隅っこにいって横になってしまおうと何度も思った。
話は参加者の皆さんが十分聞いてくれたし……。

今日は中部大学のニワケンシンポから帰って、5時ごろ事務所に着き片付けなどしているうちに9時になってしまった。予定していた仕事は全く手につかず。
というわけで今週もまたタタカイの日々かしら。

木と木材の幸せな旅 ワークショップを行いました

2008-01-27 | 山里
昨日、「木と木材の幸せな旅~東濃~」という見学会&座談会を行いました。
大型バスほぼ満席の54名の参加で、皆様に喜んでいただけたと思います。
取材記録を夕立山森林塾会員の長山伸作さんがアップしてくださいました。
ぜひご覧ください。

http://www.s-naga.jp/wood/w-pag/61ena.html

mixi
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4751315

炭焼き 窯の口を閉じる

2008-01-25 | 山里
今日、木曜日の午後1時、窯の口を閉じた。
朝10時ごろにはかなり煙が少なくなって、それからみるみる煙が薄くなっていった。

窯から炭を出すのは2月2日。
地元で面倒をみてくれた直さんも強二さんも、出したらすぐに、次を焼きたそうである。
一旦温まった窯は次回は楽にできる。「炭窯は使えば使うほどいい」と強二さん。
なので、2日はある材を入れて2回目を焼くことになりそう。

今回の炭焼きは、名人強二さんに、経験はあるけど復習したい直さんが弟子のように習う形になった。
直さんはどんなことでも一生懸命とりくみ学ぶ人なのだということがわかった。

10時に一旦名人達と別れた後、ちづ子さんというおばあさんに、前にお味噌をもらったお礼のおまんじゅうを持ってたずねた。お味噌のお礼をしていないことがずっと気になっていた。
2日前にも伺いコーヒーをごちそうになった。
今日もすぐに帰るつもりだったが、上がっていけと言われ、またコーヒーをいただいた。熱心に言われたら帰るわけにもいかない。
せっかくのお話を聞く機会だから。
ヒマな人だと思われているだろう。決してヒマではない。
事実昨日は2時間しか寝ることができなかったのだから。

お味噌のお礼は、そのとき私をそこへ連れて行った河合先生が、とっくの昔にしてくれているとのこと。
私はそのことを全く知らなかった。どこで人に助けられているか解らない。

「お米作っとったら食べていけん」
という嘆きが、さりげなく出てきた。
なんという矛盾した、そして真に迫った言葉。
それが今の日本の農山村の現状。

昔のりんごの話も聞いた。切なかった。
眠いので今日はこのあたりで。

坂折でいろいろな人と話・窯の口を閉じるのは木曜日

2008-01-23 | なんとなく報告
毎日、今日は雪になるかと思うが、全くその気配がない。
10年ぐらい前には雪ばかり降って、冬は本当に寒かったのに、
中津川の冬とは思えない。都会のようだ。
寒いのは嫌いなのでいいのだけれど……

朝坂折に行ったら、窯の口に割り木を並べて「ふた」がしてあって、
幅2センチ、長さ15センチぐらいの横に細長い口だけになっていた
そこから細く薄い煙がかすかにただよい、煙突からは白い煙が出ていた。
煙は昨日とは違うけれどもすえたようなつんとした匂いがした。

お寺の河合先生が来られたので四方山話をしながら、ヒマなので縄をなった。
継ぎ目がとても難しい。
でもそれなりに長い縄がなえた。

その後棚田保存会の田口さんが来られ、坂折棚田についてしばらく話。

そして棚田の一番上の大曲の家のちづこさんに、聞き書きの取材相手を頼みに行った。コーヒーを出してくれた。
ちづこさんの家の前はいつもきれいにはききよめられている。
とても記憶力のよいご夫婦で、前に私がお味噌をいただいたことをはっきり覚えていらっしゃった。
いろいろな話を、次から次へとしてくれた。

帰りぎわに炭焼きの柘植さんが来られて、窯をみて「いいなっ……!」とオッケー出しして帰って行かれた。
窯の口を閉じるのは、最初の見込みより1日遅れ、木曜日になりそうとのこと。

今日は直さんに会えなかったなぁ……

いろいろな人とかかわりができ、皆さんがいろいろと口をきいてくださる。ありがたい。仲間こそが財産。お金や小さな仕事より、はるかに大きな収穫を生む。
先日の炭焼きも、東京で用ができていけなかった最初の2日、そして風邪や疲れで遅刻してしまった19日、私に代わって(しかも私以上に有能に)役割を快く果たしてくれる人がいてくれた。そんな甘えられる仲間がいることに感謝する。


わが研究所にも新しいスタッフ安藤君が来てくれるようになり、
11月からのショーコさんもやっと落ち着いて経理など覚えてくれつつあり
何だか急に活気付き、私もやれやれと何だか解放された気分。
これでだんだん楽になって、次の仕事をしていけるのかと思うと
非常にうれしく、気持ちに余裕ができた。
お金は苦しくなるが、きっと何とかなるはずである(楽観!)

スタッフというのは「出会い」である。フィーリングである。
細かいいろいろなリクツはあまり関係ない。
多分、スタッフだけでなく、何事もそうなのだろう。

毎年、今年こそは仕事がなくなり、ヒマになり、充電に励むか廃業するかだと予定するのだが、裏切られ、仕事に追われる。
完全に、一人では回らなくなった。
ありがたいこと。天と、そして回りの人、助けてくれる人たちに感謝してやまない。

炭焼きが続いています

2008-01-21 | 山里
今日も坂折棚田の炭焼きを見に行った。朝8時、鈴村直さんはすでに来て火の調節をしていた。
9時に安藤君も合流。名人の柘植強二さんも来られて、ずっと加減していた。
思っていたより火がうまく「つい」てなかったので、昨日小さくした口を大きくして酸素を送る穴を開け、まきをどんどんくべた。火が弱いのでヒノキの葉を入れて炊きつけた。
昨日はただの蒸気だった煙がほんとの煙になりつんとしたにおいがしてきた。
蒸気は煙突から出てすぐに消えてしまうが、「煙」はだんだん薄くなりながらどこまでも漂っていくことを教えてもらった。
しばらくしたら「飾り」という炭材の上に載せている材に火が回った。
煙が黄色くなり勢いよく出てきた。
それはひとときで、また煙は白くなった。
私はお昼で帰ったけど、安藤君は夕方まで見ていてくれて、夕方までそんな感じだったようだ。

火がつくというのがどういうことか、言葉で聞いても全然分からなかったけれど、見れば納得できる。
分からないことというのは、分かるまでは決して分からないものだ。

合間はヒマなので、昔の鳥屋の話を直さんから聞いていた。
でも鳥屋よりも、直さんがニワトリの事業を立ち上げて懸命に闘ったり派手に遊んだりした話の方が面白かった。
直さんはただの田舎の「いいおじさん」ではないと思っていたが、やはりそうだったか、という感じ。オトコギがあるのである。

直さんのファンは多い。直ファンクラブを作れば相当の加入者ができそうだ。

一方の柘植強二さんも、炭窯に向っているときは怖いぐらい無口で厳しい顔をしているけれど、今日火がついてからはほっとされたのか、突然やさしいおじいちゃんに返信してしまった。
山の中にアマゴの池と、しいたけほだぎ千本があり、仕事したくないときは缶ビールを持ってそこですごしているそうだ。ぜひ遊びに来いといってくれた。
強二さんの奥さんはわら細工の名人だそうだ。

山にはタレントが実に多いのである。
一人一芸、みんな何かを持っている。

薪割りに夢中

2008-01-20 | 山里
24歳の安藤君が薪割りに励んでいます。いい音がします。
でも鈴村直さんやすみさんが割ると、本当に気持ちのいいスコンという音がします。

アベマキはまだまだあるので、2月2日は、薪割り大会を行います。
2月2日は、炭を出し、みんなで分け、薪割り大会も行い、その後、炭の品質試験をイノシシの肉やお餅を使って行う予定です。

アベマキを軽トラで運んできました

2008-01-20 | 山里
炭窯のところまでアベマキを運んできました。2回に分けて運びました。
立派なアベマキが山に捨てられなくてよかった。
アベマキの大木がなくなったことは少し残念な気がしますが、いずれカシノナガキクイムシにやられるかもしれないことを思うと、よかったということになります。

アベマキを薪に

2008-01-20 | 山里
今日はまた炭窯に薪を足して燃やし続けながら、山に行って残されていたアベマキの幹を拾ってきました。
アベマキは年輪を見たら40年で、二股の木ですがその両方が40年です。
かなり太い良い木でしたが、ヒノキ林の邪魔になることもあり、切りました。
もちろん切り捨てておいてはもったいないので、何とか運び出して、割って、1年乾かせば薪として売れるのではという考えです。
もちろん毎日借り出されていて山主でもある鈴村さんに還元されなければなりません。
生だと重すぎて、40センチぐらいに玉切りしても、下の方の太いところは運べませんでした。杉野さんと鈴村さんが、ときどきチェーンソーも駆使しながら、よきと楔で運べる大きさに割りました。

山の中の細道は、運搬機を使って運びます。
私も運搬機の使い方を覚えました。便利なものです。

たきものづくり

2008-01-20 | 山里
3月1、2日にかまどでご飯を炊く予定になっているので、そのときに使うたきものを作りに行きました。先週炭材を取ったところなので、枝がたくさん落ちています。「すがい」で「そこねる」(たばねる)ときは、枝の束をひざで強くふみつけながらしばります。枝には弾力があるので、そこねた後、弾力で戻り、その力で締め付けることができるのだとわかりました。
鈴村さんは上手なものですが、私は1束目はうまくできませんでした。

この山に入るために、鈴村さんは道も付けてそこにある木を切り払ってくれていました。本当に何から何まで、鈴村さんのお膳立てでお世話になっています。恐縮です。
自分の力のなさと、山人の力強さと懐の広さを感じます。

鈴村さんを毎週土日ごとに引っ張りまわし、平日も準備作業などやってくれているようで、何とお礼を言っていいのやら。

すがい作りに挑戦

2008-01-20 | 山里
すがい作りに挑戦する参加者の皆さん。
山里の人はこれは50代以上ぐらいの人なら誰でも知っているものですが
ご参加の皆さんは誰も知りませんでした。

みんなが悪戦苦闘する様子を、土地の人たちはニコニコ(にやにや?)しながら、あたたかい冷やかしの声援を送ってくれました。

わらをなうのは難しいようですが、3回目ぐらいでかなりすらすらできるようになる、というのが私の経験です。
一人、どうしてもうまくできない方がありましたが、左利きだったのでした。どうしても手が逆に動いてしまいました。

「すがい」作り

2008-01-20 | 山里
昨日は、炭材を窯に入れ、かまの口に薪を入れて火をたきつけました。その後、時間があったので、「すがい」を作ってたきものづくりをしました。
写真は鈴村直さんがすがい作りを教えてくれるところ。わらで簡単になわをない、2本を結びつけて長くします。

炭焼き~坂折棚田

2008-01-20 | 山里
今日も坂折棚田で炭焼きの続き。
写真は昨日のようす。
炭窯は洒落ではないけどスミさんという人の持ち物。
中もドーム型になっています。

昔はビール瓶ぐらいの太さの木を炭にしていたとよく聞きますが
最近は木も大きくなり、太い木を切って、薪割り機で割りました。
奥矢作森林塾の杉野さんが薪割り機を持ってきてくれたり
いろいろ協力してくれました