山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

坂折棚田の家の回りには食べられる草がいっぱい

2007-04-30 | 山里

 

今日は坂折棚田の家(新名称なごみの家)に行ってきました。屋敷の中にはステキな草花が満載でした。ニリンソウがありました。食べられます! カキドオシ畑になってました。シソ科で香りがよく花がきれいで、お茶にすると糖尿病に利きます。カンゾウがたくさんありました。恵那の人は食べません。酢味噌あえにするとわけぎみたいな感じです。フキもいっぱい生えていました。ユキノシタもありました。皮膚の薬によし、食べてよしです。田んぼにはもちろんセリがありました。

ちっちゃなスルガテンナンショウ(マムシグサの仲間)がありました。ろうそくみたいでかわいいものです。食べられません。キンポウゲも群生して光ってました。毒です!

今年はちょっと無理そうだけど、来年は屋敷の中で野草ごちそう大会あるいは野草定食ができそうです。

写真は、カキドオシ。


河川堤防のセイヨウカラシナ

2007-04-27 | 山里

 

この河川にはセイヨウカラシナはあまり多くありません。

土の肥えたところにまばらに生えているようです。

今、四国の海辺の景色なども、セイヨウカラシナに彩られています。黄色い花は個人的にあまり花壇に植えたくないけど、春の景色の中では、菜の花も水仙もタンポポも、なければ淋しくなります。

   4/24の坂折棚田に菜の花の写真入れました。


れんげと麦の田園

2007-04-27 | 山里

 

今日は愛知県の安城市と碧南市境にある河川に行ってきました。

このあたりは、麦畑がたくさんあります。珍しいです。その間に、れんげ畑がありました。きれいです。春の平和ないい景色です。

昔は私の住んでいた名古屋郊外でもれんげ畑だらけだった。坂の上から見下ろすと一面のれんげ色できれいだった。どうしてれんげを作らなくなったのでしょう。化学肥料で済ませてしまうのか。

田んぼのあとには麦を作りたいけれど、麦をつくるとれんげが作れなくなってしまいます。やっぱりれんげも作りたい。坂折棚田にはれんげ畑がありません。


桜吹雪

2007-04-27 | 植物

自宅の横にはヤマザクラが数本ある。今日はいっとき風が強く、見事な桜吹雪となった。本当に、吹雪のように、花びらが流れ降ってくる。

歌舞伎の桜吹雪は、ヤマザクラなんだろうか、それとも江戸時代ならもうソメイヨシノだったのか、と、窓の外の桜吹雪を見ながら、ふと考えた。

この時期の我が自宅は、一年で最も美しく、日々窓の外の景色に目が離せない。

まずコバノミツバツツジの濃桃色が家の周りをとりかこみ、それから白いボケやらレンギョウやらが咲き乱れ、次に白っぽい山桜と色の濃い花桃が「春色」コントラストを見せてくれる。いつのまにかキリシマツツジも満開になっていた。

その次は、コナラ、アベマキの新緑となる。そしてサツキ。

蚊やらブヨやらが出てくる前のこの時期は、心ゆくまで雑木林の日々が楽しめる。


サンコウチョウ鳴く坂折棚田

2007-04-27 | めぐる季節と自然

一昨日坂折棚田に行ったら、サンコウチョウが鳴いていました。

日本の三鳴鳥といわれています。

サンコウチョウと、ホトトギスと、ミソサザイ。なるほど、異論ありません!(と言い切っていいのか!)

棚田の上の大きな杉の木から声が聞こえてきた。前に、坂折から山ひとつ越えた飯地でも、大きな杉に巣をかけていた。そのときはしばらく杉の木の下で見ていたけど、姿が確認できなかった。尾の長い姿、見てみたい。

サンコウチョウの声は「月日星、ホイホイホイ」と聞きなしされる。これがちょっと珍しく感じる。たとえば、平安文学などで、星が登場するところは、あまり記憶がない。月はたくさんあるけど。日本人はどのように星を愛でてきたのだろうか。七夕だって、中国から来たものがたりをあてはめたもので、本来の日本の民間では、お盆と水にまつわる行事だった。

山里文化研究所は、もうすぐサンコウチョウのさえずりを毎日聞けるようになるかもしれません。


サウス・ダコダのスミレ そしてメリケンカルカヤ

2007-04-27 | 山里

インガルス一家の物語

アメリカのサウス・ダコダのプレーリーの草原にバッファローの輪と呼ばれる丸い窪地があって、そこに一面にスミレが咲いているのです。夜に散歩するとそこから香りがしてきて、主人公は「フェアリーリング」を想像する……。

西部開拓時代のアメリカには、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも続く草原があったということですが、今はその開拓のおかげで小麦畑とかトウモロコシ畑とかになっている。草原は残っているのでしょうか。その草原に生えていたのはメリケンカルカヤなんでしょうか。そう思ってみると、メリケンカルカヤもそれなりに美しく、日本に来て狭いスペース(たとえばほ場整備した田んぼの法面や、河川改修した河川の土手)で生きているのはさぞかし窮屈だろうと同情したりします。そういえばビデオになっているはずだから、今度観察してみよう。できればアメリカに行って確かめたい!

インガルス一家はミネソタ州のプラム・クリークというとことに住んでいたとき、河畔でプラムやらベリーやらをいっぱい採って食べてた……

その描写が本当においしそうで。


中野方音頭

2007-04-24 | 山里

坂折棚田のある恵那市中野方の唄。作詞者がわかっているから、古謡ではない。こんな唄を聞いたら、みんな行きたくなるだろう。

安江 潮 作詞

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麦は穂に出た ゲンゲは咲いた ヒトツバタゴも咲いたげな

ヒトツバタゴの花咲くころは なぜか心もうきうきと

ミヤマツツジが品(しな)よく咲いて 百丈岩間にヒカリゴケ

村は茶どころ 山ふところに お茶の香りと 茶つみ唄

あすは天気かお笠置山に 白い朴葉の葉が光る

月が出た出た お笠置山に 丸いごへたのよな月が

今年や豊作 そよ吹く風に めれたばやしが乗ってくる

山で山栗 川ばたグルミ 里のカヤの実 つるし柿

春日権現 若宮愛宕 たんぼ八幡 不動滝

物見岩から南を見れば 美濃と三河と木曽川と

 


いろいろな長の方と忙しく……

2007-04-24 | 山里

本日は、坂折棚田保存会長やら、東海農政局長やら、元加子母村長やらとお会いして、いろいろお話を伺い、忙しいながらのんびりした日だった。内勤で仕事に追われているよりは、移動時間が長い今日のような日の方が、はるかにゆっくりできる。

坂折棚田はところどころに水を張り始めた。合間に菜の花が咲いている。地面が次第に鏡に変わっていく。全面鏡なのも美しいが、ところどころに鏡があるのも、また、乙なもの。

棚田は次第に鮮やかな色に満ち始め、夏に向かっていく。


スミレは満開

2007-04-24 | 植物

スミレが満開です。何の飾りもつかない、「スミレ」です。

私はタチツボスミレより紫色の濃いこのスミレの方が好きです。

昨日、自宅から事務所へ行く途中の原っぱに、スミレが足の踏み場もないぐらい、一面に咲きそろっているのを見つけた。一面にとはいってもそれなりにまばらではあるが。

10日ぐらい前は、ニオイタチツボスミレ、タチツボスミレ、マキノスミレなどが満開だった。今はスミレが一番いい時期。

さらに遅れて白いツボスミレが咲いてくる。そうなると、そろそろ田植え。セリは固くて食べられなくなる。

スミレを摘んで花束にした。子どもの頃からの憧れの花束。

ローラ・インガルス・ワイルダーの大草原の小さな家シリーズの後ろの方の本で、スミレが野原いっぱいににおっている場面がある。これはどんなスミレだったのだろう。この紫のスミレではない。

日本はスミレ王国。世界で一番スミレの種類の多い国。こんな国に生まれて幸せ。


親切の押し売りが多すぎる、迷惑な植栽事業

2007-04-20 | めぐる季節と自然

ショッキングなことを知った。

日本産の「モンゴリナラ」がモンゴルに植栽された。2004年。

愛知万博のプレ事業として「モンゴリナラの里帰り」と称する植栽イベント。

モンゴリナラはミズナラの仲間で、出自も諸説あり分類も定まらず、いまだ名前すら確定していない宙ぶらりんの植物。東濃地方から愛知県瀬戸や藤岡に生育。愛知万博長久手会場にも群生している。瀬戸会場から長久手会場へのゴンドラに乗って下を見ると、一面モンゴリナラだった。

ほかに東北地方や中国地方にもあるが、東濃・愛知のものとは違う種だとされている。もともとミズナラは中国大陸のモンゴリナラから派生したとのこと。

東濃・愛知のモンゴリナラが、中国大陸のものと同じ種であるのか、別のものであるのかも確定していない。ミズナラが氷河期を越えて遺存し亜種になったものだというのは名大の広木詔三先生の推測。

これをはっきりさせるには、モンゴルを含む中国大陸に行ってつぶさに比べたりしないといけない。とにかくまだ研究途中である。

まあ、「はっきりさせないといけない」のかどうかはなんともいいようがないが。日本のモンゴリナラをモンゴルに持っていったりすれば、種の同定はでたらめになってしまう。このプロジェクトに植物や生態系の専門家はかかわらなかったのだろうか。

このような話が美談として語られるの、いい加減にやめてほしい。東濃の鉱物質・貧栄養の湿地にミズバショウを植え込むのは笑い話としても。ウミガメの卵を「保護」して孵化させ放流したり、ニシキゴイの稚魚を川に放流したり、遠く離れた川のメダカを放流したり。テレビはそういうのをうれしそうに放映しないでほしい。

木を植えたり魚を放流している人(子ども)はみんな罪の意識は無い。それも気の毒である。

 

 


『火のある暮らしのはじめ方』農文協の本

2007-04-19 | 山里

『火のある暮らしのはじめ方』農文協
刊行されました。僭越ながら、私が一部すその方で執筆させていただきました(愛知県の三州足助屋敷や愛知県豊田市旭町のうなぎ屋さんを取材)。
縄文の暮らしや植物利用、古代楽器など人と自然のかかわりの研究で先進的な関根秀樹さん(お会いしたことがありますが、すごい方です)、燃料革命(昭和35年ごろ)以前の日本の民俗をきめ細やかに映像記録し続けた姫田忠義さん、『薪割り礼讃』を著した森林インストラクター深澤光さんなどが執筆されています。薪炭を使う暮らしの事例が写真満載でたくさん載っています。表紙は足助屋敷のかまどです。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b/250-6444095-1013045?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%89%CE%82%CC%82%A0%82%E9%95%E9%82%E7%82%B5%82%CC%82%CD%82%B6%82%DF%95%FB&Go.x=11&Go.y=10

 


必ず撮りたくなる美しい茶畑

2007-04-19 | 山里

 

この前を通りかかると、写真を撮らずにいられない茶畑。

でもこういう構図で撮るのは初めてだなぁと、感慨深く対面した。

私の大好きなこの集落を訪れたのは、いつぶりか、よく覚えていない。ちょうど2年前に、お茶と少しのお米をもらいに来た。遠いところへ行く人に持っていってもらうためだった。お茶の好きな人だった。その人も愛した集落だった。それ以来1度ぐらい来たのかどうか。

久しぶりに来たら、やっぱり大好きな集落だった。そこにいると、心が落ち着き、温まり、幸せな気持ちになる。

この美しさと安らぎを作っているのは、ここに暮らし、耕し、働いている人たちである。私たちは、山里の人が営々と築き上げた風景を何の対価も支払わずに享受できるのである。こんなありがたいことがあるだろうか。

美しいことには、必ず何かの真実が隠れているのだと思う。

真善美といったのはソクラテスだったと思う。

 


日本の山里は健在

2007-04-19 | 山里

 

これは中国ではありません。日本の恵那市の山里です。

この左側に柴犬もいるのです。

背後に放置された田んぼがあります。だからやっぱり日本です。

 


菜の花がちょっと彩る山の田んぼ

2007-04-19 | 山里

 

水を張る前の田んぼのひととき。もうすぐカエルの声がやかましく聞こえてくるでしょう。

安部首相が「美しい国づくり元年」だと言ったときには驚いた。NHKは4年ぐらい前から、日本の美しさの番組を放映している。NHKの時代の先取りセンスはやはりすごいと思う。わが山里文化研究所のキャッチフレーズは「山里の美しさに見いだし、かかわる」である。キャッチと名前に負けないようにしなくては。山里文化研究所の時代が到来したのだから(なんちゃって!)


棚田の石かけにはさまざまな生活の工夫が

2007-04-19 | 山里

 

ちょっと分かりにくいが、この石かけには、石で階段が組み込まれている。写真では下から上に向かって、階段になっていて、上の田んぼに上れるようになっている。要するに、長い石を石かけの中に組み込んでいる。

こんなところに、設計書が書かれたわけではない石かけの、作った人による生活実感のこもった工夫が感じられる。どんな人が作ったんだろう、と考えるのも楽しい。

こんなの建築家?土木屋さん?に設計してもらったら、高くつくのかしら。

田んぼの石かけは、水路にもつながり、石でできた水路は、ところどころで暗渠を造ったり、恵那あたりでは石かけのところどころに洞穴があって、そこで物を燃やせるようになっている。一家に一つは洞穴があるという感じ。

田んぼの石は開拓の人たちを悩ませたはずだが、こうして資源にもなっている。