山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

紅葉に埋もれる

2010-11-30 | 山里
このごろ、見たはずのメールがなくなったり、私あてのメールが届かないということがあるので、不審に思われる方は別の方法で連絡をください。


5日ほど家を空けていたら、玄関の前にカエデの落ち葉がふわふわ、どしどしに積もって
我が家は紅葉に埋もれているよう。

ちゃんとした人なら毎日落ち葉をはいて清めるのだろうけど
落ち葉にうもれた感じがうれしかったりして
そのままにしてながめている。

日が当たると色がきれいです。

隣人のやさしさ

2010-11-24 | 山里
前の記事で

隣人と3週間も顔を合わせていなかったわけは……
はずかしながら、うっかりと、地域みんなでやる溝掃除を休んでしまって
大変ご迷惑をかけたものだから
なんだか顔を合わせづらく
なんとなく表に出づらく……

というわけだったのですが

その日、隣人(奥さんのほう)が玄関のベルをプルプルプルーっと押して
やってきて
採れた野菜をどっさりとくれたのでした。
「きのう来たけどいなかったみたいだから」とかなんとか言いながら。
涙、涙です。
もちろんわたしが掃除を休んだことなんて
な~~んとも思っていないご様子。

でもって、
うちとの境界の垣根を刈り込むから、ちょっと庭に入らせてもらうけど
ごめんねーと言って
娘さんとだんなさんと3人がかりでにぎやかに垣根を刈り込み
ついでにうちの庭の草刈りやら枯れ木の片づけやら伸びすぎたピラカンサスの伐採やら
石垣のシダの掃除やらして立ち去り
すっかりうちの庭もこざっぱりとした。
「来たときよりも美しく」って
こういうときの言葉かと。

隣の家の人たちは、ほんと気のいい人たちなんです。

感謝。

野山の植物素材のかご 作品展 阿久比

2010-11-20 | 植物利用
かご作りには、アケビ、ブドウ、フジなどのつるがよく使われますが、
それ以外のものも籠にできます。
あっと驚く材料で作った籠のグループ展が
愛知県知多郡阿久比町で開催されます。

11月25日~29日まで場所は名鉄河和線阿久比駅近く
0569-48-8939アートギャラリーあぐい

私が前回行ったときには、つるのほか、サワグルミ、サクラなどの木の皮、黒米のわらなどを使ったものがありました。
ベーシックな編み方だけでなく、いろいろな工夫がされていました。
どれもとてもおしゃれでした。購入もできると思います。
私の知人が制作に参加しています。
ぜひおでかけください。

秋空広がる 畑日和

2010-11-20 | 山里
今日は一日執筆に励むつもりだったけど、あまりに天気がよく暖かいので、
こんな日にちょっとでも畑の片づけをしておこうと坂折に出かけました。
これだけの暖かいいい日は、今年これで最後かもしれないし
そんな日の紅葉も見納めでしょう。

うちのイチョウはほとんど散ってしまいました。

棚田に向かって車を走らせていると、リュックをしょって
一人とぼとぼと棚田に向かう女子1名。
そういう物好きな人はどんな人かと徐行して観察したら、E子でした。
E子は、半年ほど前に、マムシ酒の原料となる生きたマムシを
不動滝やさいの会で仕入れたつわものです。
今日は仕込んだマムシ酒の回収に来たのだとか。

このブログを「マムシ酒のつくり方」で検索して訪れる人があまりに多いので
先日ちょっと私も調べていたら
マムシを4ヶ月焼酎に漬けて、飲もうと思ったらマムシが飛び出してきて
(つまりまだ生きていて)かまれた
という話を発見。
E子にも注意をうながしておきました。
E子、アリエナイって顔で、笑うのみ。

しかしながらこんなところでE子を拾ったのは渡りに舟
畑をしっかり手伝ってもらい、はかどってラッキーです。
2人でごそごそしていたら、畑の地主のユキコさんもやってきて
なんだか楽しい時間。
今日の収穫は笑っちゃうようなショウガとサツマイモとササゲ豆でした。
(……ような、じゃなくて、実際E子笑ってました。
 『月刊現代農業』を作ってる出版社に勤めているし)
ユキコさんはやさしいので、いいのが採れたね、よかったね、
とまじめな顔して言ってくれます。
たぶん心の中ではクスクスしています。


棚田はすっかりお米も刈り取られて整然と掃除されているかのような光景でした。
そして、ユキコさんの菜園は相変わらず広くて豊かです。

帰り際にもう一人の棚田の知人のマチコさんやそのだんなさんにも会えたし
隣の家の人が野菜を持ってきてくれるし
(棚田とは関係ないです、ハイ。隣に住んでいながら、3週間ぶりぐらいで顔を見た)
今日は人とのつながりのありがたさをしみじみと感じる一日でありました。

  なんかほんとの日記風な今日のブログでした。



山里のやさしい人たち

2010-11-20 | 山里
10日ほどぐずぐずうつうつしていたら、いつの間にか外は冬支度の景色。
紅葉したドウダンツツジやイチョウも散り始めています。
今年も玄関には赤い灯りがついたように紅葉を透かした光が入ってきています。
家の周りの空気全部が赤く染まっているようです。
桜の木は完全に葉を落として白い枝を光らせ
逆光の赤い並木と銀色のススキが一緒にゆれていたりすると
それはもうきれいなものです。

こういう風景、季節の劇的な移り変わりを
南国の人たちは知ることがないのでしょうね。
日本はほんとに美しい国です。


一昨日は久しぶりに中野方のナオシさんユキコさんと会う。
どうしてあんなにやさしい人たちなのでしょう。
これといった事件があるわけでもないのに、そのやさしさに触れると
なんだか涙っぽくなってしまう(年ですねぇ……)。

今の私、あるいは若めの人はみな、お年寄りに支えられて生きているのだと思います。
都市の人が、食料や水や空気といったことで山里の人に支えられているように。
もちろん年金を払っているのは若めの人であり、
もらっているのはお年寄りの人たちですが
あの人たちがいなくなったら、私は何を食べて生きていけばいいのだろうと思ってしまう。
そして、精神的にも、あのようなやさしさで包んでくれる人たちがいるのだろうか。

ナオシさんの作ったお米とヒラタケをもらい、
ユキコさんの作った大根とカブと里芋をもらって
帰ってきました。
ナオシさんはいつまでお米を作ってくれるのだろう。

ユキコさんは、「来年は私の作ったものをあげるから」と言う。私が自分の食料を作るために畑をしていると信じています。「ときどき私の畑を手伝いにいらっしゃい、それでいいから」と。立場逆ではないのか。
いい年をして、お年寄りに依存して生きている自分が情けなくなります。


山里の聞き書きと予備知識

2010-11-10 | 山里
寒い日でした。
今頃きっと恵那山の頂に雪が降っているだろうと思います。
当然のように10月に入ってから毎日ばんばんストーブを焚いています。
遠い昔の人たちは、麻やカジの着物しかなくて、冬はそれを何枚も重ね
寒さのあまり泣き叫ぶ人もいるほど
寒い暮らしをしていたとか。
今の自分はシアワセだなぁと思います。
このぜいたくをいつまで続けられるんだろう。


山里の聞き書きという活動をしています。
それを多くの人に体験してもらおうと、普及する活動も最近させていただけるようになりました。
山里の人と、今の若い人・都会の人と、ギャップがあるから話が聴きやすい、ということをよく言うけれど、ギャップがなければ聞けないというわけではありません。
ギャップがありすぎ、全く知らない分野の話は、あまりうまく聞けないものです。
事前に予習をすると、話が聞きにくくなるのか、という質問を受けました。
以下はそれに対する私の答えです。

-- --
前もって資料を読み込むのはいいことだと思います。
「道端通りすがり聞き書き」ではありませんので
おのずと、ある程度の予備知識を持ったり準備をしていくことは
前提になります。
演出した新鮮さをつくらなくても
どこかに必ず新鮮な部分は出てきますから大丈夫です。

言葉が聞き取りにくいとき
知っている言葉だと、分かったりします。
聞き取れないと、突っ込みどころを逃すこともあります。

資料を読んだとしても、どこまで読み取れるかは人それぞれです
この資料を読んで、ふーん……と思うだけの人もあれば
○○の材料が多いな、なぜだろう、と思いをめぐらし
そこから暮らしのありかたを想像し、
聞き取りでそこを深めて新たな発見をする人もあります(ないかしら)。
そんなときの新たな発見には、初めて聞く話への驚きとは違う質の
「ああ、そうだったんだ~……」という
頭の中の霧が晴れるような感動があるものです。


それから、もっというと、
今から20年以上前の山里の食べものの資料なら
その当時のアンテナにひっかかったものが資料になっている。
当時の、そして編集者の価値観というフィルターがかかっているわけです。
それを参考にして
今の皆さんのアンテナにひっかかる新たな食べものを発掘するのも楽しいものです
そういう意味では、すでに出ている資料にいかに支配されずに
自分なりの聞き取りができるかという
資料とのたたかいであるともいえます。
(たたかいに負けそうな人にとっては確かに危険なモノにはなります)


-- --
書くことについては、内田樹さんがブログによく書かれていて
聞き書きへの示唆を常に含んでいて、注目しています。
昨日も興味深い記事でした。

遭難とガイド その2

2010-11-05 | なんとなく報告
山岳ツアーは、海外旅行ツアーのような感じで、山に登りたい人が、道案内やさまざまな指導をしてもらって山を楽しむサービスのついたツアーとして
20年ぐらい前からできたらしい。

当然この時代、そういうものはできるだろう。
私も森林インストラクターとして、森林をガイドする仕事をしていた。
そのノリはよく分かる。

参加者は、お金を払ってサービスを受けるのだから
命を守る部分までそのサービスに含まれていると
思ってしまうことになるだろう。
おそらくそのあたりに、かなり無理があるのだと思う。
命を守る仕事に、値段なんかつけることは難しいだろう。
つけるとしたら、ものすごく高いものになるのでは。
そうすればツアー自体が成り立たない。
だから本来登山は、「ツアーを買う」のではなく
信頼しあった人と、お金で結ばれない関係で行くべきだろう。

また、ツアーに申し込むということは、チケットの手配、宿の手配、道順を調べ、工程を考える手間が省ける。これには本来相当の時間がかかるはずである。旅の計画ほどしんどいものはない。
大きなメリットがあるのだから、参加者はそれ相応の支払いをするのは当然である。

ガイドは登山を快適にする案内人であって、
最終的に自分の命は自分で守る、責任を持つという気概がなければ
山岳ツアーには参加しない方がいいだろう。
ガイドも人間であって、体調を悪くすれば判断力もなくなる。
さっきまで健康だった人が脳梗塞で倒れるということだってあるのだから。

トムラウシ山事故の参加者の中には
ガイド並みかそれ以上に良い役割を果たした人がいた。
いざというときには、誰が守る人、誰が守られる人、とか
サービスをする人、受ける人という壁をなくして
みんなで対等に協力しあう気持ちがなければ
みんながだめになってしまうということが
本からは読み取れた。

どこかの公園を歩くぐらいならいいが
登山という危険な場においては
参加者も自分の命を人にお任せで出かけてはいけない
ということを、多くの人が知る必要がある。

遭難とガイド

2010-11-03 | なんとなく報告
ブログを書かない癖がすっかり身についてしまった。
10月の記事はなんと2本。過去最悪ではないか。
決して眠っていたわけではなく、名古屋ではCOP10が駆け抜け、
連日その関連記事やフォーラムを追うのに忙しかったし
島根や岡山の山中に聞き書きを伝道に行ったりなどと
右往左往していた。

トムラウシ山の遭難はなぜ起こったか
という本がやっと図書館からやってきて
遭難の経緯とガイドの証言を読んだ。
誰がどう悪いなどということは一言では言えないが
このツアーを催行したアミューズ社のガイドが、
2004年頃には日当1万5千円で雇われていたことを知り
驚く。
(トムラウシの遭難が起こったのは2008年であり、そのときの日当については書かれていないが、それほど大きく違うとは思わない。このツアーではガイド3人と参加者15人、計18人のうち8人が亡くなった)
一桁違わないか。
人命を守ることが最大の目的であるガイドに、それはないでしょう。
もちろん電車やバスを運転することにも人命はかかっているけれど
山岳ガイドというのは現場でのすばやい総合的判断力が求められる、専門的知識を有する難しい仕事だと思う。現場の状況は毎回違う。
恐らく下見や準備をする業務には謝金は支払われていない。
なぜなら、そのときの主ガイドで責任者だった人(亡くなった)は、
トムラウシ山に行ったことが一度もなかったからだ。
下見の日当と経費が払われていれば、当然ガイドは義務としてそれを行ったであろう。
同行していたもう1人のガイドはさすがに行ったことがあった。

現場に一度も行ったことのない人がなぜガイドができるのか不思議でならない。
というか、ガイドとは現場案内人であると思うのだけど。

さらに、現場に持ち込まれたテント(使われることはなかった)は、同社の別のツアーからぬれたまま現地に直送されていて、
ツアーが始まって山に登った1日目に、山で干して、点検を行ったという。
ありえない。ダメなテントだったらどうするつもりなのか。

お金がすべてではないが、そのような雇われ方なら、仕事を軽く見てしまうこともあるだろう。会社がガイドにそれほど重要度を感じていないということの現われだと思われても仕方ない。