山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

柿以外のこともちゃんとやっています

2021-11-21 | 植物利用

柿以外のこともちゃんとやっています……と言ってみたものの

さて、何かやってただろうか……? 食べることと寝ること以外に……、思い出せない……

やっぱり柿のことしかしていないのだろうか。

とにかく柿がどうかならないか気が気ではなく、焦って早く採り過ぎているようである。

本日、3回目の柿採り。下から見上げると結構赤くなっているように見えて、カラスに取られたらどうしようと心配でたまらないので、どんどん採ってしまったのだけど、採ってみると結構まだ赤みが足りなくて全然おいしくなさそうなのが多い。あやうく全部採るところだったけど思いとどまってよかった。あと残りバケツに1杯以上取れるだろう。

トータルでバケツ7杯ぐらい。過去最高だろうか。ちなみに、実家に別途なっているはずである。

早く採り過ぎた柿は甘味がのっていない。あまり軟らかくなったのは好きではないけど、甘くなければ損した気がする。

採った柿を、誰にどれだけあげようかと考えだすと頭がぐるぐるして、とりあえず、とてもきれいなのとちょっとムラがあるのと、とても人にあげられないかわいそうなのとに選別し、その後無意味に並べたりなどして、時間が過ぎていく。

とにかく先日採った分は箱に詰め込んで友だちに送ってしまい、今日採った分はなるべく熟れたのから近所の人にあげて、熟れてないのはまだしばらく家の涼しいところに保管しておくことにする。さて、保管しておいて、その後どうするのだろう? とても食べきれない。自分用には、カラスか何かがつついた傷のあるのとか、小さくて見た目が悪いのとかが別途山盛りあるので、それでいっぱいいっぱい。

柿の取り扱いで頭を悩ませる。いっぱい採れると仕事が増える。今年は梅が全然採れなかったので仕事が楽だったと思ったら、この柿である。けれど楽しい仕事だ。

鍼の先生から、柿を食べると冷えるので1日に4分の1までにしなさいと言われているが、そんなこと守れるわけがない。2個ぐらい余裕で食べている。


柿採りにいそしむ

2021-11-17 | 植物利用

霜が下り始めたものの、毎日毎日、昼間はよく晴れて風もなく穏やかで、この上ない平和を感じるし、夜は夜で、月が煌々と照り、星もものすごくよく見える。

こんないい日が続くことも珍しい。このような暖かい日には、どこかに歩きに行かなければもったいないのだけど、なり過ぎた柿を放置もできないので、柿採りをする。

2週間前にすでに採り始めてはいた。近所の人が、カラスにとられるからもう採った方がいいぞと言われたのだけど、実際採ってみると甘みが足りなくて、まだ早いようだった。いつ採るべきかとやきもきしていたのだけど、それから2週間経ち、今日でもまた若干早いぐらいである。けど、採ってからも熟してくるのだから、とにかく色の濃いのを採ることにした。

採ってみると、2週間前よりもかなり大きくなっていた。3割ぐらい大きい気がする。そしていまだかつてないほどの豊作で、今日だけでバケツ3杯、まだ採ってないのがおそらくさらにバケツ3杯ほどありそう。近所の人は今日はまた「そんなにあわてなくても大丈夫」などと言ってくれる。

今日採らなかった分は2、3日後に採ることにする。まだちょっと未熟な感じがする。枝にぎっしりついているので、枝がしなって垂れ下がっていて、道行く人が自由に採っていっちゃいそうな感じだ。

カラスは意外に行儀が良く、完熟したのを1個ずつついばんでいるようで、あれこれちょこちょこかじったりはしていないので助かった。それでも、なにものかが突っついたような傷のあるものがたくさんあった。

実家の柿もたくさんなっているのである。見てはいないけど分かる。そして、今日実家の草取りをしてくれているシルバーの人に、どうぞ持って帰ってくださいと伝えたところ、大喜びされて採っていかれたようである。

うちの柿と実家の柿と、生り年が同じなので困る。ずれてくれるとありがたいのだけど、柿はあるときには大量にあるのである。

どちらの柿もすごく甘くて、みんなにあげると大好評である。明日は少しずつ近所の人に配る予定。それもまた結構な手間なのだけど。

 


ムラサキツユクサも野の花みたいに

2021-08-07 | 植物利用

ムラサキツユクサは勢力が強くて、花壇に植えておくとどんどん増えてしまう。しかも結構丈高くなって、重みでばったり倒れてだんだん暑苦しく見えるようになる。

これが意外にも、刈りこむと小さい丈のまま咲く。草丈15㎝ぐらいでもかわいく咲いている。そんな姿を5月から見るのだけど、今もなお咲き続けている。

刈らなければもうあまり咲かなくなる頃なのだけど、8月の今もなお毎朝花開く。そして午後にはしぼんでしまう。

咲く時間が短いのは野草のツユクサも同じ。

ツユクサは別名、月草と言った。室生犀星の詩に出てくる。秋っぽい花。

立秋も過ぎてしまった。夜中になると星がきらめく。旧暦なら七夕の頃だ。

 


◆薬草オトギリソウの仲間は多数ある マムシ酒に入れると

2021-07-13 | 植物利用

サワオトギリ 2021年7月中旬 岐阜県の山地帯

用水のふちにたくさんサワオトギリが咲いてきた。今、野山は春~初夏の花から、夏~秋の花へと、ちょうど切り替え時期にあり、これからの時期を最盛期とする花がどんどん咲き出している。春~初夏の花は暖かい地方から順に咲いてくるのだが、夏~秋の花は涼しい地方から先に咲き出し暖かい地方の方が遅くなるのが面白いところだ。夏至あたりを境に守備する植物がチェンジするのだろうか。

オトギリソウの仲間は葉が水をはじくのが顕著で、このサワオトギリだけでなく普通のオトギリソウも葉の上にコロコロと水滴を載せているのをよく見る。サワオトギリのほかに、オトギリソウ、コケオトギリ、シナノオトギリなどいろいろある。

この写真はサワオトギリだと思う。葉を取ってルーペで見たりして確かめたわけではないが。見た目ではサワオトギリである。オトギリソウの仲間は地域変種が多くて見分けが難しい。が、サワオトギリの地域変種の話は聞いたことがない。見分けの難しさについてはいつか書こうと思う。

オトギリソウ(サワオトギリではない)は日本でも西洋でも薬草として有名で、それはググればたくさん出てくるのでここには多くは書かないが、さまざまな薬効を持っているらしい。誰も書いていなさそうなことをここに書くと(以前にも記事にしたが)、マムシ酒に1本入れるとマムシの臭さが消えるらしい。これは、故村上光太郎先生という薬草の大家がおっしゃっていた。村上先生は全て自分で試しておっしゃっておられる。自分で確認したことだけを口にするという、研究者の鏡である。ほかの記事の寄せ集め・パクリばかりで自分で確認したことは何一つ書いてない最近の多くの(あえて言えばほとんどの)ネット上のまとめサイトとはえらい違いである。ネット上にある「〇〇図鑑」的なサイトや「〇〇おすすめ7選」などのほぼ全てといっていいぐらいのものが実は寄せ集めまとめサイトであり、「~だそうだ」という伝聞体も用いず断定的で、引用元も記しておらず、そのため多くのデタラメがあり、ゆえに書いているのは植物のことなどこれまで全然勉強してないライターであると推定され、これらの目に余る行いについてはいずれ記事にしたいと思っている(今してるな)。私もそういったおすすめ記事をいつか書いてみんなに読んでもらいたいが、自分の体験で知ってるものや、あるいは本で読んだり誰かに聞いたとしてもしっかり自分の中に落ちて消化しているものに自分の意見を加えて書きたいものだ。それでなければ書く意味がない。

と、苦々しさのあまり話が暴走した。もうネット上は無法地帯であり、パクリはデフォルトで行われて悪いとはされていない世界なのだ。これを悪いと思うのは老人なのだろう多分。(話が終わらないくどい老人……)

 

で、オトギリソウが薬草であればサワオトギリも薬草かというと、今手元に薬草図鑑がないのでよく分からない。それこそ自分で服用して体験してみれば分かるというものだ……けど。西洋にはセイヨウオトギリソウというのがあり、これはセントジョーンズワートというハーブとして日本でもよく売られている。京都大原のベニシアさんが大好きなハーブだ。しかしこのセントジョーンズワートは西洋では毒草として扱われるという。毒も薬も表裏一体で、多くの人にいい効果があるものも、人によっては悪い影響が出る。食養生とか健康法とかの流行りのものをむやみに真似しない方がいい。やるときはほんの少し試してみて、良かったら量を増やすことである。

話を戻すと、種が近縁であれば効果は全部同じかというと、そうでもない場合もよくあるので、注意しないといけない。

で、以上の話をまとめると、沢に咲くサワオトギリが水滴を載せてきれいだったということでした。

 

動画で紹介しています

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水の流れる音が心地よい&サワオトギリの花 水滴がきれい

#wild flower #countryside #sound of stream #Hypericum 撮影 Japan 中部地方太...

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山のアスパラ:本名シオデを摘んでおひたしに

2021-06-28 | 植物利用

5月30日にタチシオデを記事にした→「山のアスパラ」と言われるタチシオデは野原に生える

そこで、うちのあたりではタチシオデしか見ないと書いたのだけど、訂正。低い方ではそうなのだけど、標高650mあたりの恵那山麓は、今、シオデだらけ。数日前に数本見つけたのだけど、今日散歩していたら、よく見るとどこもかしこもシオデといっていいぐらい生えている。

茎には小さなつぼみがたくさんついていて、もうすぐ咲きそうなものもある。

タチシオデの花は5月、シオデの花は7月。で、茎が伸びてくる時期も1カ月ずれているわけだ。また、生えているところに差があるのはおそらく標高の差ではなく、自然度の高さの違いによるものだと思う。山麓では草を刈り払った明るい野原にシオデがたくさん生えている。そこにはいろいろなほかのつる草がたくさん生えているが帰化植物はあまりない。下界の草原はセイタカアワダチソウ、ヒメジョオン、ヒメムカシヨモギばかりだったりする。また、山麓のシオデのあるところはチガヤやススキがあまり生えていない。

たくさんあるので、先の軟らかいところを摘んで帰った。これだけあれば摘んだぐらいでなくならないし、先を摘んだ方が下の方からまたたくさんつるが出てくるというものだ。ついに、山菜シオデを摘んで食べるというイベントが実行される。

これまで木曽の民宿で食べたことがあったと思うが、自分で採ったことはなかった。細いつるばかりで、東北の人が見たら笑いそう。ただ、ときどき少し太いのがある。雌雄あるのかな?

シオデ

一方で、5月末に見つけたタチシオデはどうなったかというと、

タチシオデ

立ってなくはない。シオデの葉の先が細くなるのに対して、タチシオデの葉は楕円である。また、少し白っぽい緑だ。つるは短い。

 

採ってきたシオデはゆでて醤油と花かつおでおひたしにした。少し苦かった。アスパラとはかなり違う味である。

 


和歌山から完熟梅届く 梅ジュースにするには

2021-06-26 | 植物利用

南高梅といえば和歌山県の南部町(みなべちょう)が発祥の地。その隣の印南町(いなみちょう)も大産地。今年は4年ぶりの豊作とのことで、送ってくれた。山間にいっぱい梅畑がある印南町が懐かしい。3年ほど前に仕事で行っていた。

我が地方(岐阜県美濃地方)は不作で、我が家では1個も梅を採らなかった。そんな年に梅が届くのは嬉しい。うちの梅を採ったり洗ったり漬けたりという大仕事がなくて助かったと思っていたけど、和歌山の南高梅のおいしさは格別なので、こんな仕事は大歓迎。

完熟梅というのは家で作ることはできない。梅は熟すと落ちてしまうから、どうしても青い梅を採ることになる。熟した梅を出荷できる産地にはやっぱり技術というかノウハウが蓄積されていて、さすがプロなのだ。梅の畑の下の草をきれいに刈り、その下に細かい網目状のシートを敷き詰める。その上に落ちた完熟梅を拾い集めるのだ。ひしゃくみたいなものですくい上げるので、結構腰が痛くなったりする労働だ。

我が家の梅などは枝が茂りまくってその間をかきわけて採らなければならないし、梅の木の下は草ぼうぼうで蚊がいっぱいだったりして、かなり苦痛な仕事なのだが、和歌山県の産地の梅はきちんと剪定されているし足元も歩きやすくて、誠にいい感じで梅採りができる。

 

完熟梅は梅酒に向くということ。梅ジュースには青梅がいいということなので、私はお酒は弱いのだけど、全部梅酒にすることとして、ホワイトリカーを4本も買ってきた。結構お金がかかる。梅の実に竹串をプチプチ刺すと、青梅と違って軟らかいので簡単に刺せる。そして、青梅よりもずっと甘い香りが満ちて、作業していて癒される。

氷砂糖の袋には、梅1kgに対して氷砂糖800g~1kgと書いてあるのだけど、ホワイトリカーの箱には500g~600gと書いてある。砂糖屋の陰謀だろうか? 必要以上に多く書いてあるのか? 2、3年前に漬けたときは、甘すぎるといやなので少なめにしたら、今度は辛すぎて飲みにくかった。一体どれぐらいが最適なのか。送ってくれた産地の人に聞くと「1kg入れる」ということで、梅1対砂糖1は砂糖屋の陰謀ではなさそうで、私も今年は多めに入れることにした。

青梅じゃなかったので梅ジュースは諦めたのだが、今日になってコウケンテツさんが、「完熟梅で作る梅シロップ」の動画をアップしてくれていた。遅い(怒)。https://youtu.be/TRAwPECFlto

砂糖ではなくハチミツを使い、黒酢を少し入れるそうだ。動画の中でコウさんが実においしそうに飲んでいる(ヤメテ)。来年は自力ででも完熟梅を手に入れて作ってみたい。と思いつつ、3年ほど前に作った梅ジュースを取り出して炭酸で割って飲む。シュワーっと細かいきれいな泡が立っていい感じ。梅ジュースは夏の暑いときの疲労回復によく効く。数年分が残っているのでせっせと飲みたい。

あとは、原液をヨーグルトにかけるのがお気に入り。

梅ジュースづくりで注意すべきは、梅を取り出さないこと。長く漬けると雑味が出るので3カ月だの1年だので梅を取り出した方がいいと言われているけど、取り出すと梅はしわしわになって食べにくくなってしまう。なので、梅は入れっぱなしが良い。その梅を捨てるなどはもったいなさすぎる。

不思議なのは、砂糖漬け(梅ジュース)の梅はジュースが出た後も甘くておいしいのに、梅酒に漬けた梅は「出がらし」になっていておいしくないことだ。この違いは何なのだろう。

 

 

★参考図書(Amazonに移動) 中村成子さんの本はイチオシ

 

 


真っ赤な実に白い小さな泡が入っているようなグミ

2021-06-23 | 植物利用

朝、散歩に行こうと玄関を開けたら地面に赤いものが1つ。

誰がこんなところにミニトマトを置いたの? と不思議に思って、ふと上を見上げたら

グミがたくさんぶらさがっていました。

今日まで全然気づかなかった。花にすら。グミの木があるなあとは思っていたのだけど。

不思議なのは、すべての実が同じようになっていること。まだ青いのとか、小さいのとかはなくて、全部熟し具合が同じなのです。

そうして考えてみると、梅なんかも比較的同時に熟す。まあ4、5日のずれはあるかもしれないけど、1日のうちに全部梅採りができる。キイチゴ(モミジイチゴ)は順次実っていく。日ごとに次々と実が熟していく。だから1本の木から一度にたくさんは採れないけど、長期間なっている。

これは花が順次咲いていくことときっと関係しているのだろうと思うが、

花の時期について考えると、桜などは1週間ぐらいのうちに全部の花が咲く。梅は寒い年なら2週間ぐらいかかって次々咲いていく。

梅については、花の時期のずれが大きくても、実る時期のずれはあまり大きくないということだ。

 

グミの実、透明がかった赤色の中に、白い細かい泡がはじけているように見える。サイダーみたいに。こんなに美しいものだったとは。

食べてみたところ、ちょっと酸っぱいけどおいしい。今日のデザートはこれで決まり。高いところのははしごがないと採れない。ちょっとすずなりとは言い難いけど、これだけあれば十分。

グミのジャムってできるのかな。できないということはないだろうけど、あまり聞かない。もしすずなりになる年があったら、ジャムにしなければ食べきれないだろう。


ドクダミで作る虫刺されの薬

2021-06-21 | 植物利用

夏至。

感慨深い。

一年で感慨深いのは冬至、夏至、春分、秋分だ。中でも夏至と秋分には寂しさが伴う。

夏至というのは一年で一番日が長い日であり、この日から日が短くなるわけで、もっと重要視されて大きなイベントがあってもよさそうなのだけど、特に節句の行事もないし、冬至のようにかぼちゃを食べろだのゆず湯に入れだの言われないし、その意義の割りにはなぜかスルーされている気がする。どうしてなんだろう。

冬至についてよく言われるのは、クリスマスとほぼ同じ時期だということだ。日本の正月もほぼ同じ時期なのだが、日本は本来旧暦(太陰暦)だったから、伝統的にそれほど大事にされていたとは思えない。ただ、冬至の行事ということではないが、信州遠山郷の霜月祭りや椎葉村の神楽などは、冬至の時期に行なわれていて、特に椎葉村の神楽などは太陽の再生を祝っているように見えた。かつて元日に三重県の神島で行われていたゲーター祭はまさに太陽の再生の祭りと言われていたけど、あれは旧暦のときはいつやっていたものなのだろうか。

いや、今日は冬至ではなく夏至なので、冬至のことなど語らなくてもよい。

というわけで、夏至を祝って、ドクダミの焼酎漬けを作ってみた。虫刺されに効くらしい。ネット上にたくさん情報が出ている。それと、その液体を水で薄めてグリセリンなど入れると化粧水になるということ。ドクダミ化粧水は前に長野県根羽村の80代の方にいただいたことがある。日焼け止めにもなるとその人は言っていた。実際その人はすごく肌がきれいだった。

花だけでなく葉もたくさん使っていいはずなのだが、花だけでもいいらしい。ということで、ネットに出ている者は花を集めているものが多い。見た目がきれいだからだろう。

ドクダミの花は本当にきれいだ。清楚で、端正で、上品だ。きれいすぎて摘むのが惜しかった。けれどもまだまだたくさんつぼみがついていたので、摘ませてもらった。

どこにでも生えるドクダミだ。根でしか増えないものだと思っていたけど、種でも結構増えているようだ。

 

ドクダミの花の咲いている動画あります(酒漬けのつくり方ではありません)

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薬効いっぱいの白い清楚な花が梅雨空のもと群れ咲いています

ドクダミ Houttuynia cordata ドクダミ属ドクダミ科 撮影地 Japan 中部地方 撮影時期 2021年6月 ♪BGM 作...

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今が旬。キイチゴ刈りは放棄別荘地が狙い目。見つけ方・見分け方

2021-05-31 | 植物利用

今朝のキイチゴは甘くておいしかった。

キイチゴ(モミジイチゴ)は日当たりのいい場所にある。林縁、林の横の道端、宅地として開発されたけど10年ぐらい放置されて草むらになっているようなところにある。わりと人間がアプローチしやすい場所。つまり、見つけやすい。山の奥深くの薄暗いようなところにはない。

キイチゴはこんな道端にある

(モミジイチゴ)Rubus palmatus

アスファルトの横など、乾いたところにある。アスファルトの横は夏も照り返しがあって、植物の地上部もかなり乾燥するだろうと思う。とにかく暑くて熱いところで自信満々で生きている。

イチゴと呼ばれるものは日当たりのいいところに生えるものが多い。フユイチゴなんかは森の中の暗湿ったところにも多く生えているが、あまりに日照が少ないところでは実もあまりついていない。

 

モミジイチゴ以外の日本の野生イチゴはみんなほぼ赤色なんだけどこれだけがオレンジ色。

そもそもキイチゴは、広い意味では木に生るイチゴということだろうが、狭い意味ではこのモミジイチゴを指す。オレンジ色のこういうベリーが生るものは日本ではほかにはなく(今のところ図鑑には載っていない)、酷似した植物はないので、「間違えたらどうしよう。毒だったらどうしよう」などと心配する必要はない。パッと見でこういうオレンジの実はモミジイチゴである。

 

 

葉がモミジ(カエデ)のように分裂するのでモミジイチゴと名付けられたと思うが、葉の幅が細くて分裂しないものもあって、ナガバモミジイチゴと呼ばれる。食べるという目的なら、同じだと思ってよい。

葉の下にぶら下がっているオレンジの宝石みたいな実を、そっと指でつまんで、そっと引っ張ると、ポロっと取れる。あくまで、そっと。

中に虫がいないかよく見て、そのまま口に入れればOK。

ちなみに私は虫に出会ったことはない。それほど高確率でいるわけでもないので怖がらなくてよい。

さらにちなみに、ヤマモモにおいては高確率でいるらしい(イチゴとは関係ない)。

 

木によって、いっぱいなっているものもあれば、あんまりなのもある。いっぱいなっているのを見つけたらラッキー。また、たいていは1本だけでなく、まわりにたくさんある。近辺をよく探すと良い。

トゲがあるので、キイチゴ畑の中にずかずか入っていかないように。痛い。

こういうものがたくさんあるとタヌキとかは草むらに入りにくいだろうと思うけど、キイチゴのトゲは小さいので、タヌキの毛は通さないかもしれない。

 

今日はいい木を見つけて、食べつくそうかと思ったけど、3個食べたところでブヨが寄ってきたので退散した。こんな乾いたところにブヨがいるなんて驚きだ。ブヨは普通水気のあるところにいる。5日ほど前に小川の横で襲撃され、今年の初ブヨ被害となった。以来、スカートは履いていない。ブヨは長いスカートであっても中に潜り込んでくる。潜るのが好きだと思う。

野山に行くときはやはり全身を覆った方が良い。それも、薄手のブラウスとかTシャツじゃなくて、厚い生地のものが良い。薄手だと上からドクガの粉が降ってきたとき中に入ってしまう。とはいうものの、気軽に野山に行きたくなってつい行ってしまうのが人の常だろう。

話がそれたが、今がキイチゴの時期(岐阜県の標高600mあたり)。食べたければ急いだ方がいい。

 

木いちご動画あります

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山麓朝散歩 赤い木いちご、オレンジの木いちご、どっちがおいしいでしょう

2021年6月5日 #ノアザミ #ニガイチゴ #モミジイチゴ  morning walk #countryside in Japan ...

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林道の両側に木いちごがいっぱいで散歩しても前に進めません

2021年6月中旬撮影 中部地方 #モミジイチゴ #Rubus #Plants in Japanase mountainside ...

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山麓朝散歩 マタタビとキイチゴを採って友達と猫に送るミッション

ホタルブクロ #マタタビ #イワガラミ ヤマアジサイ #モミジイチゴ 撮影地 Japan 中部地方 撮影時期 2021年6月下旬 10621...

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梅不作

2020-06-22 | 植物利用

6月15日に梅を収穫。

かなり落ちてしまったと思っていたけど、まったく落ちてはおらず、もう少し熟してもいいぐらいだったけど、枝を動かすといくつか落ちるものもあるので、ジャストな日だったといえるだろう。

今年は梅が不作なのだが、和歌山県の南高梅本場の知人も不作だと言っていた。そのため高いのだけど、売る梅がないと。ただ、不作だといっても、微妙な場所の違いや木の違いによってたくさん採れるところもあるようなので、和歌山の南高梅産地でも採れているところはあるかもしれない。

うちでは木1本で大きいバケツに7分目で、5.5kgだった。毎年これぐらいあればちょうどいいと思う。

1カ月前の予想通り、梅の木の下の草刈りして準備などしていなかったから、梅採りはやはり梅の下の整備から始まった。そして、伸び放題の梅の枝を切る。剪定は秋か冬にした方がいいが、ここ数年は梅を採るときに枝を切って剪定したことにしてしまう。まったく、横着である。

梅の木の下に生えているのはミョウガとフキで、一時期ミョウガが旺盛になったが、今年はフキの勢いの方が強い。それなりに勢力争いがあるようだが、どちらにしても茂りすぎているので鎌で刈ってしまう。そのような有用植物を刈ってはいけない気がして、以前はそれらを踏まないように梅採りしていたが、結局踏みしだかれて見るも無残になってしまうので、ある程度刈り取った方がいいということになった。

そうして、草を刈り、枝を切り、梅をもぎとると疲れ果てるのだが、何とか梅を洗って竹串でぷちぷちぷちぷち刺したあたりで力尽き、結局梅は冷凍した。冷凍庫が満杯になってしまった。

一昨日、冷凍庫から2キロ取り出して、氷砂糖で漬けたところである。知人から智頭町の有名なタルマーリーのパンが大量に届き、それを冷凍するのに梅を出さざるを得なかったのである。

そもそも梅酒や梅ジュースは保存食なのだから、電気を使って冷凍などしないで、どんどん漬けていくのが正しい。しかし、冷凍してから梅ジュースにするのは、液が早く上がってくるので、やはりうまくいく。

 

写真は、よその家の小屋。

 


イタリアンパセリが密密

2020-05-28 | 植物利用

ポットに3粒イタリアンパセリの種を蒔いたら10日ほど経っても芽が出てこないので、種が古くて発芽率が悪いせいだと思い、追加でバババババッと蒔いておいたら、みんな出てきました。どうしてくれるのよ。

確か数年前にやったときもそんな感じだったような。発芽適温が結構高いのか? セリ科で直根なので移植できないとか言われているけど、小さいうちなら問題なくできます。しかしこんなに全部は要らないなあ。移植するのもめんどくさい。

イタパセの株は結構大きくなり、夏にはわさわさ茂るので、1株あれば十分。縮れたパセリは結構苦くて薬味にしかならないけど、イタパセは炒め物にしたりして、普通の葉物野菜として食べられる。真夏のお助け野菜です。本来のパセリはこのまっすぐのイタパセで、縮れたものは後でできたと聞いていますが、日本では初めに縮れた方がポピュラーになったのはどうしてなのでしょうか。

ベトナム人のクーちゃん(仮名)の畑にはありとあらゆるといってもいいぐらい、いろいろな香り野菜が植えてあります。パクチーはもちろんのこと、イタリアンパセリ、レモングラス、なんか知らないけど葉の細いパイナップルみたいなの、なんか知らないけどタデ科の葉っぱ、シソ、セリ、などなど。うちの下の市民ふれあい農園を借りて、2キロぐらいの道を自転車で通ってくるのだけど、野菜作りが好きというだけでなく、そういったものが日本で手に入りにくいから作ってるということもあるのかもと思う。

昨日は帰るときに手に赤ジソの葉を持っていた。赤シソといっても、こぼれ種でできた、青ジソと赤ジソの雑種みたいなの。日本人は赤ジソなど梅干しやジュースづくりに使うだけでむしゃむしゃ食べたりはしないけど、彼女は料理すると言っていた。

セリなどは採ってきたものを発泡スチロールのトロ箱に入れて水耕栽培している。そうするとセリの葉が巨大化する。その葉っぱは鍋物にしたりいろいろに料理して食べるというので、ネットで見てみたら、セリはベトナム野菜の王者みたいなものなのだった。日本ではおひたしぐらいで食べるだけなのに。私も来年からはセリをどんどん食べようと思う。

セリはふれあい農園のふちにも生えている。クーちゃんはそこにしゃがんで「これ食べれますよぉ」って言うんで「うん、知ってるよ」と言うと、「日本人は畑で採れるものしか食べない。野に生えているものは食べない。どうしてですか」と不思議がっている。考えてみると、タラの芽やコシアブラやワラビは人気あるけど、セリをむきになって採っている日本人をあまり見ない。

クーちゃんの畑には、ほかにも、空心菜、ズッキーニ、スイカ、小松菜、トウモロコシ、キュウリ、パパイヤまである。「パパイヤは全然大きくなりません」と恥ずかしがっている。2畝(60坪=200㎡)の畑を毎日鍬を持って耕しており、誰よりも熱心だ。すごいなあ。そのうち農業法人でも始めるんじゃないかと思うことがあるけど、旦那さんは企業のエンジニアなので、農業者にはならないだろう。それにしても、あんなに作るなんて、単に食糧自給のためではなく、やっぱり畑が好きなのだろう。

さてと。密密のイタパセどうしようかなぁ。


密植する人々

2020-05-13 | 植物利用

密である。

豆が密である。

一体どうしてこんなに密植するのか。豆を蒔くなら2、3粒を一緒に。それを30㎝ぐらい離して。それが日本人の常識。だと思う。

しかし、所はラオスである。ラオス人は種がもったいないとか、種代がかさむとか考えないらしい。経済感覚がないのだろうか? そもそもこんなに芽が出てきたら、間引きするのも大変だ。いや、しかし、もしかして間引き菜的に食べるためにこんなに蒔いているのだろうか。この豆の葉自体が野菜なんだろうか。

で気がついた。豆苗だよこれは。日本で数年前からスーパーに並んでいるパック入りの豆苗。そのメーカーはもやしのトップシェアを誇る我が町のサラダコスモだ。もやしの発想からその会社が豆苗を考えたのかと思っていたけど、豆苗の発祥の地はラオスだったのか。

スーパーで売っているパックの豆苗は、根をとっておいて水をやるとまた芽が出てきて食べられる。我が家でもそうして育てて一昨日切って食べたのだけど、この時点で収穫すると、買ってきたものより軟らかくておいしい。

どうやらラオスの人たちは、豆を豆としてではなく、その葉を野菜として普通に食べているらしいのだった。

ラオスでは種が安いのかと思ったら、市場で見ると結構高い。さすがに1袋に50㏄ぐらい(多分300~400個)入っているけど、高いには高い。それでも種をたくさん蒔いて芽を食べたいようだ。

空心菜も同じである(上の写真)。1か所に3粒ぐらいまとめて、こんなにたくさん蒔いている。ざっと見て150個ぐらいは蒔いただろう。空心菜はつるがとてもよく伸びて大きな株になり、困るほど四方八方に伸びるつる(茎)の先をいくらでも収穫できる。この面積なら2本あれば充分だ。なのにこんなに蒔くのである。これも間引きして食べるのだろう。繰り返すが、種代がかかりすぎる。大きくなるまで待てないのだろうか。

ラオスの東隣にはベトナムがある。うちの前の市民農園を借りているベトナム人一家があるのだけど、やはりこんなふうに空心菜を蒔いていた。今度、なんで芽が食べたいのか聞いてみようと思う。多分、彼らにとっては当たり前すぎて、うまく答えられないんだろう。

*写真/ラオス北部・ポンサーリー県の市民農園(2018年)

 


ニラとスイセン、毒草の見分けについて

2019-11-27 | 植物利用

どこかの青果店でスイセンの葉をニラとして販売した件。

その青果店に行ってみたいものだ。単純に興味がある。どんなものを売っている店なのか。何か珍しいものが並んでいるのではないかと。

道端に生えているものを採取して売るなど、チャレンジャーである。道端のワラビやミツバやサンショやコシアブラやウドやタラノメや、ウコギやツリガネニンジンやギボウシや、アサツキやノビルやフキやタンポポの葉やナズナの葉や春の七草や、カキドオシやゲンノショウコやカワラケツメイやセンブリや、桑の実やアケビやサルナシの実やグミやキイチゴやナツハゼやシャシャンボや、山栗やトチの実やクルミやシイの実を採取して売ったからと言って、それ自体は悪いことではないと思う。いや、むしろ私的には好ましいことである。(所有権の問題は別である。)(ちなみにミツバとキツネノボタンは間違えやすいので注意が必要)

しかしながら、青果店というプロとして営業する以上は、商品知識はきちんと持っていなくてはいけない。毒草を売っていいわけはない。スイセンはヒガンバナ亜科の毒草。食べると嘔吐に止まらず大変ひどい状態になることもあるらしい。(ヒガンバナも毒である)

ガーデニングでスイセンになじんでいる人ならすぐ分かるが、スイセンの葉はちぎると透明のゲル状の液が出てくる。ニラではそういうことはない。ニラはちぎると強い「ニラの匂い」がするので、採取したときにすぐニラだと思うはずで、ニラだと思わない場合はニラではないのである。

多くの品種のスイセンはニラよりはずっと大型で葉も厚く、ニラとはかなり違うので、以前はニラとスイセンを間違えるなんてありえないと思っていたが、最近はそう思わない。スイセンの園芸品種は多種多様で、いろいろなものがどんどんつくられているので、小型の、ニラみたいなものも見ることがあるからである。

なので、ネットでスイセンの写真を検索したりしてニラと比べて見分けようとすること自体、やらない方がいい。写真で見ても分からない。間違いの元なのでやめた方がいい。

もし採取して食べようと思うなら、写真でニラを同定するのではなく、においをかぐことが必須である。

そして、どんな野草でも、最初にちょっとだけ食べてみて(毒見)、なんともなければたくさん食べるという段階を踏まなければならない。(逆は真ではない。なんともないからといって無毒だとは断言できない)

また、野草で、ちょっと噛んでみて苦いものは食べてはいけない。それにはアルカロイドが含まれている場合が多い。有毒のキンポウゲ科やトリカブトなどである。前述のキツネノボタンもキンポウゲ科。それらを適量(微量)服用して薬にする場合もあるが、しろうとのやることではない。苦くてもさほど毒でないものもあるが(タンポポなど)、分からない場合は、念のため、苦ければやめるということである。タンポポの苦みはあの白い液体に含まれるシュウ酸であり、食べ過ぎると体に良くない。そもそも苦味というものは毒であることを知らせるための味だとよく言われる。ちぎると黄土色の液が出るのはたいていケシ科で、それも有毒である。

さらに、薬用効果についていえば、ほかのみんなにとって体にいいからといって、自分にもいいということにはならないので、むやみに人の真似をしたり、テレビやネットで「みんなが」言っていることを自分に適用したりしないことである。ちなみに私は「玄米を食べないように」と鍼の先生から言われている。玄米は胃に負担がかかるので胃の弱い人は食べない方がいいのである。


番茶をつくる

2019-10-26 | 植物利用

 

木箱のことをネットで調べていたら、茶箱のことを調べることになり、結局茶について知ることになった。

番茶という言葉を知ってはいても、それがどういうものなのか、いまいちピンとこなかったのだけど、やっと分かるようになった。

 

和歌山県印南町(いなみちょう)で、普通の家庭で茶を作るところを見せていただいたことがある。

印南町では、街でない限り、どこの家でも庭先で自家用の茶を作っていたという。

今はみんなやめたのだが、山間地で1軒、作っている家を見つけた。(ほかにもあるかもしれない)

茶葉はかなり大きくなったものを採り(5月中下旬ごろ)、それを炒るまでは煎茶と同じだが、

その後、揉まずに干すのである。(揉む家もあるということだが)

ふんわりしている。

 

お茶を出す(淹れる)ときには、昔は茶釜というのがあったが、今はやかんを使う。茶の葉を「ちゃんぶくろ」というかわいい名前の木綿袋に入れて、水を入れたやかんに入れ、熱する。つまり、水から煮出す。やかんに一杯作った茶を置いておき、一日中、家族は好きなときに飲むのである。この煮出したお茶は緑ではなく茶色っぽい。ほうじ茶と似ている。

作った茶を鍋に入れて沸騰させて米を投入すると茶がゆになる。このときの米は水に浸さず、乾燥したままで入れる。書籍によれば、アジア全体で米の炊き方には2系統あり、日本のように鍋の中の水分をすべて使って蒸らすような感じで焚くやり方と、大量の湯の中に米を入れてゆでるやり方があり、後者を「湯取り法」というのだが、茶がゆはこの湯取り法になるようだ。東南アジアの湯取り法はゆでた水を捨てたりするが、茶がゆでは捨てない。

話が米になってしまったが、茶に戻ると、和歌山県印南町の山間地で行われているやり方は、今お店で売っている緑茶(煎茶)が広まる以前に一般的に行なわれていた方法だということ。

それが番茶である。

今はこういう番茶はなかなか手に入らないので、ほうじ茶で代用しているのだと思う。家庭で朝ほうじ茶をたくさん作っておく習慣はそれとなく残っている。また、ほうじ茶で茶がゆを作ることもよく行われている。

印南町のスーパーの棚は、緑茶よりもほうじ茶の占める面積の方がはるかに大きい。

*写真/和歌山県印南町の山間地で作られている番茶(2017年)


あせ寿司のためにダンチクを育てる

2019-10-25 | 植物利用

ダンチクは四国や瀬戸内の海ぎわの崖のようなところにわんさかわんさかと生い茂っている。

私の住んでいる岐阜県の山間地では全く見ないし、愛知県の海辺でも見ない。

愛知県の海辺ではそのようなところに大体メダケが生えている。

 

(ここから、前の前の記事の続き)

和歌山県印南町に行くと、海辺だけでなく、少し山あいでも、川べりや山裾によく生えている。

それらはみんな自生だと思っていたら、山あいや川べりのものは、植えているのだそうだ。

川は私有地ではないのだけど、そこに植えてあるものは所有者が決まっていて、その人が管理しているということだ。

ダンチクをわざわざ植えるのは、その葉で巻いた「あせ寿司」を作るためである。

ダンチクにも個体差があって、葉の幅の広いいいダンチクや、それほどよくないダンチクがある。いいダンチクがあると、その根をもらってきて川べりに植える。成長したら、毎年2月に地上部を刈り込む。そうすると秋には幅の広いいい葉を収穫することができる。それをしないと、だんだんと葉が小さくなっていくそうだ。また、2月以外の時期に刈り込むとなくなってしまうらしい。ということは、生い茂るダンチクに手を焼いている場合には2月以外に刈り込めばいいということになる。そんなに簡単にダンチクがなくなるとは思えないけど、そういう話だ。

よそのダンチクをもらうときには、「おくれよー」と声をかけてから伐らせてもらうのがマナーである。

海辺の地方ではいたるところにダンチクが生えているので、勝手に採ってはいけないなどとは考えもしないで、好きなように採る。自分の家のダンチクなど決まっていない。

山手にいくほどダンチクの葉は幅が狭くなっていき、隣の龍神村との境の辺りではもう寿司にダンチクは使うことなく、芭蕉の葉を使っている。葉蘭を使う家もあるらしい。山手ではダンチクは見向きもされず放置されている。

ダンチクを梅畑の隅などに植えている家もあり、その精神は、私の地方で朴の木を必ず屋敷や畑に植えるのと似ている。朴の木が家にあるということで主婦は安心するし嬉しくもなるのだ。

 

ダンチクは1本伐れば葉が10枚ぐらい収穫できる。あせ寿司1本に大体5枚の葉を使うので、ダンチク1本で2本のあせ寿司が作れる。あせ寿司100本作ろうと思うとダンチクを50本伐らなければならない。結構大変な仕事になる。伐ってきて放置するとすぐしおれるので、水に浸けておいたり、葉を切り取ってから冷蔵庫に入れておく。

 

 △茎が中空になっている。段竹の名の通り、竹に似ている。しかし、このたけのこを採って食べたりはしないという。

*写真/2019年10月 和歌山県印南町にて