山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

真鍋島 石でできた神社

2010-12-31 | 
真鍋島は石の島ではないとはいっても、やっぱり少し石の島なのか
島の東北部に2つある神社はどちらも、石がふんだんに使われています。
頂上へ至る階段もりっぱな石で続いているし
鳥居も石。山里では鳥居が木ってこともよくありますが。
そして何より驚いたのは、手水場の柱も屋根も、頑丈な石でできていることです。
この写真だと右側の、鳥居の手前にあります。
こんなの初めて見ました。

今日の夜あたりから、初詣の人でにぎわうのでしょうか。
私が訪れた日はちょうどお祭りがあったということでした。

真鍋島 柑橘類の防風にカイヅカイブキ

2010-12-30 | 
真鍋島へ行く途中、白石島、北木島の横を通ったのですが、
どちらの島にも、びっしりとカイヅカイブキが生えているのが分かりました。

この2つの島は花崗岩が特産品とのことで、確かに島=岩といった様相。
土なんかない感じです。
たぶんこういう岩の山の岸辺に砂がたまって、そのあたりにかろうじて
人が住み着くことができたのでしょう。

ギリシャのサントリーニ島では岩場を掘って人間が住んでいるようですが。

そういう岩山に、カイヅカイブキは成長できるようです。
細長いきれいな円錐形で、ボールペンのキャップのようで、とても整った形をして
整然と居住まいを正して立っている感じです。

暖地や海辺に多い常緑針葉樹はイヌマキなどがありますが
カイヅカイブキは葉が細かいので感じが違います。
以前に和歌山の海辺に行ったときやはりカイヅカイブキが生えていたので
思い出せたのです。

よく垣根に使われていて、ずらっとならんで長方形の壁状に仕立てられているのですが
ときおり、庭木として、庭の真ん中なんかに立ってたりします。
このように形が整っているので庭木として好まれるのだということが分かりました。


で、真鍋島では、北木島、白石島ほど、遠くから見て目立つほどカイヅカイブキは生えていません。真鍋島は石の産地ではなく、島には「土」がいっぱいあります。
でも、島の東のほうに行くにしたがってカイヅカイブキが見られるようになり
柑橘の畑の防風林にも使われていました。

瀬戸内海の島では、かんきつの防風に杉を使っていることが多いのですが
この島には杉はありませんでした。

かつて春分の日の頃に瀬戸内の島をよく旅していて
杉花粉症でひどい目にあっていたのですが
この島では大丈夫かも。

真鍋島の猫たち かわいすぎ

2010-12-29 | 
うどんやの水色おじさんが奥でうどんを作り始めると、
いつのまにか入り口に集まってじーっと待っている猫たち。
「おじさんが奥に行く=何かくれる」という習慣ができあがってるのだろうか。

水色おじさんはときどき、「しっ、お前たち、あっち行けっ!」って
怒ったふりして言っているのですが、
猫たちの行動を見ていると、それが「ふり」なのは歴然としています。

店の前には空になった猫の御飯皿がしっかり置いてあるし。

ここの猫たちはかわいい顔したのばかりで
シャムの混じったのなんかほんときれいな色をしているし
白黒のは「はっちゃん日記」のはっちゃんみたいなのです。
よくなついてるのもいて
子どもたちが抱いて遊んでたりしました。

おじさんも抱いてた。

黒シャツおじさんが
「一匹持って帰ってくれんかな」と
ポツリ、私に言いました。



1匹といわず、3匹ぐらい持って帰りたいけど……

真鍋島 なかなか出てこない讃岐うどん

2010-12-28 | 
真鍋島に着いたのは2時過ぎていましたが、お昼を食べていなくて
港についてすぐのところに、これ幸いと
竹でできたエイジャンな屋台があり
(「ええじゃん」じゃないです、Asian「アジアの」です)
「讃岐うどん」などといいコトが書いてあります。
このような島で食べ物屋を一度逃したら
夜まで食いはぐれることはこれまでの経験から学んでいるので
すかさず食べることに決定。

店の前で暇そうにかつフレンドリーに笑いかけてくれる黒いシャツのおじさんに
「うどんが食べたいのですけど」と言うと
もっと暇そうにぶらぶらしている水色のシャツのおじさんに「お客さんだよ」と。

水色おじさんは、「あんた、うどん作って食べるのに30分はかかるよ? 船間に合うの?」と。
30分は長いなぁと思うけど乗りかかったふねなので
「今来たばかりだから、かかってもいいです」
水色おじさんは「ふーん、そうか」といいつつ
私にねほりはほり話しかけたり
猫とたわむれたり、通りかかったおばさんと話したりして
いつまでたっても仕事にとりかからない。
こっちは島滞在時間3時間しかないのだから、とにかく早くお昼をかっこんで
花畑を探しに行きたいのに。時間があれば木造中学校とかも見たいのに。
いい加減いらいらして、なんと言ってうどんキャンセルして立ち去ろうかと考えていると
黒シャツおじさんが、
「早くうどん作ってやれよ」と水色おじさんに警告。

黒シャツおじさんは地元の人ではなく釣り人かなんかみたいなのです。

水色おじさんはようやく重い腰をあげて、のろのろとうどんを作り始めました。
エイジャン屋台はかき氷を食べる場所で、その横にちゃんと部屋になった店もあるのですが
中は暗くて狭くて散らかってて暑いし、
外の空気のいいところ(つまり屋台)で食べたいと強く主張したのですが
おじさん許してくれなかった。無理やり部屋の中に入れられました。
なぜだろうなぜかしら。

要するにこのおじさん、仕事したくなかったんだろうなぁ。
本当は大阪で寿司屋をしていたそうです。
ふーーむ。

おじさん仕事したくないとしても、こういう場所にうどん屋さんがあるのは
観光客にとっては確かに助かります。
島に戻ってきたら、まわりのみんなから、
うどん屋があったほうがいいからやれ、といわれて始めたそうです。

店の前のバケツに寒菊が入っているのも真鍋島ならではですね。

真鍋島 畑をめぐる小途

2010-12-27 | 
真鍋島には畑をめぐる細道が縦横無尽に通っています。
中にはくずれかけたものや、ほとんど人が通った気配のないものもありましたが
大方は歩くことができます。
人ひとり通れるだけのかわいらしい道です。

軽トラなんかもちろん通れませんから
こんなところで収穫したかんきつやらじゃがいもやら大根やらを運ぶのは大変だろうと思います。
でも散歩するには最適。
3月中下旬なら最高の気分だと思います。

じゃがいもはこんな時期なのにまだ成長途中でした。
大根もたくさんありました。
あちこちの島に行くと、どこでもたいてい、お漬物には大根(たくあん)が出ます(たくあんしか出ないことがよくあります)。
島という土壌や風土に大根はよく合うのでしょうか。
というか、大根しか合わないのでしょうか。

正直、わたしあまりたくあん好きでないので、うれしくないんだけど。
あの歯ごたえがなんとも挑戦的ではないですか。
余談でした。

かつては盛大にさつまいもを育てていたそうです。
港の資料館に行ったら、手回しの芋切り機がありました。
さつまいもをスライスして乾燥させて保存していたのでしょう。
(要するに切干芋ですが)

九州の小値賀島で見た、電動の「文明式芋切機」は、
手回しの芋切機から発想されたのだと分かりました。

小値賀島 かんころ(さつまいも)

真鍋島 日持ちのする寒菊

2010-12-26 | 
真鍋島の寒菊栽培が廃れたのは15年ぐらい前だと。
畑の手入れをしていた女性に聞きました。
沖縄などから安い菊が入ってきて、真鍋島の菊が価格競争に負けたらしいです。
それからはっさく(甘夏? 夏みかん?)などの柑橘栽培に変えたところもあるけど、それも今はほとんどやっていません。

けれども真鍋島の寒菊は日持ちがいいことで喜ばれているそうです。
昔お正月前に花屋さんで菊を買ったら、2カ月ぐらいしてもまだピンピンしていて
やや困ってしまったことを思い出しました(真鍋島の菊かどうかは知らないけど)。
いくらなんでも違う花に変えたいと思うのだけど
まだまだ元気だものだから、ずっと飾っていた。
もともと菊は日持ちのいい花ですが、
真鍋島の人はそれを誇りに栽培していたようです。

資料をあたると、観賞用の菊ではなく、除虫菊をたくさん育てていたとも書かれています。今日本で除虫菊を仕事として育てているところはないと聞いています。
蚊取り線香は除虫成分を人工的に作ったものだし、
まれに自然のものがあっても、中国からの輸入らしいです。
なので、除虫菊畑というのを一度見てみたいと思います。

真鍋島 寒菊畑の夢の跡

2010-12-25 | 
昔は海岸ぎわから島のてっぺんまで、寒菊畑に覆われていたそうです。
今は大部分がやぶ(木)になっていたり、ススキやセイタカアワダチソウが生い茂っています。その中に、寒菊を育てるときに使った鉄パイプがたくさん残っています。寒冷紗をかけるのに使ったのかと思います。

残っている小さな畑には豆類や甘夏のような柑橘が植えられていました。
柑橘のオレンジ色もかわいいものです。
やぶの間の細道を歩いていくと、ところどころに水仙が青々と生えていました。
寒咲きのものはすでにつぼみ、春咲きのものも20センチぐらいに育っています。
そんなところに、かつて人が働き暮らしていた気配を感じます。

やぶを切り開く音がして、行ってみると、30代ぐらいの女性が一人で、
ススキや低木に周りを覆われてしまったはっさく(甘夏?)の畑の手入れをしていました。
もう柑橘も出荷したりはしていないそうですが、
荒れてしまったのを見るに見かねてやっているそうです。
えらいなぁ。
はっさくなのか甘夏なのか夏みかんなのか、その人も知らないのですって。
話しかけたら、とっても気さくにいろいろ話してくれました。
この島の人、オープンです。

島の尾根からは、岡山県側の島々と、愛媛県側の島々と、
ぐるりといろんな島を見ることができます。

クリスマスですって?

2010-12-25 | なんとなく報告
朝起きたら、雪化粧していた。
白クリスマス。

毎年のようにクリスマスになじめないとブログに書いているような気がするけれど
考えてみればその傾向は年とともにひどくなっている。
子どもの頃はケーキ食べたさに、クリスマスはそれなりにうれしかった。
当時ケーキなどというものは、誕生日とクリスマスにしか食べられなかったから。

当時のケーキはバタークリームのものが主体で
(冷蔵庫が普及してなかった時代を引きずっていたのだろうか)
そのクリームがとてもまずくて
一口食べてはいやになっていたのだけど
それが分かっていても、華やかなケーキがやっぱりほしくて
父が会社帰りにケーキを買って持って帰ってくるのが待ち遠しくてならなかった。

子どもっていいなぁ
そんなことにときめけて。

まあ、大人になって、ケーキも珍しくないし
そのせいか食べたいとも思わないし
やっぱりこれは
飽食時代、飽物時代ゆえでしょうか。
娯楽もありすぎるほどあるし。

物があふれかえって、最近ではいかにモノを減らすかという本が
やたら売れているようです。
そんな本買ったらまたモノが増えるのに。
でもちょっと読んでみたい(笑)。
物を捨てるってのは、結局「自分さがし」なのよねえ。
自分にとって大事なものをいかに見つけ出し
過去といかに訣別するかってことなんだから。


でも日本にも本当にクリスマスの本来のキリスト教的意味を理解して
大切にしている人たちがいて
そのことは決して否定しはしない。いいことだと思います。


そして今気づいたけれど、私は
「ここは日本だから」「もうすぐお正月だから」といって
プレゼントがもらえなかった思い出こそを
とてもいいこととして大切にし、また誇りにもしているということである。
その中に両親の身の丈に合ったつつましさや堅実さや健気さや
暮らしへのまなざしとやさしい心を感じているのである。
そんな両親の断固とした態度こそが、私へのプレゼントであったように思う。

真鍋島 海を望む寒菊畑

2010-12-24 | 
そもそも、数ある瀬戸内の島の中で、真鍋島を選んだのは、寒菊畑が見たかったから。
15年ぐらい前(!)のSIMADAS(日本中の島のデータ本)には、島を覆う花畑が白黒ですが載っています。
日本中どこでも農業は廃れているし、ネットで見る最近の真鍋島情報でも菊のことには触れていないのが多いので、期待はしていませんでしたが、その廃れ具合だけでも見られればと。

島を海から見た状況では、まったく菊の色は見当たりません。
港について、讃岐うどんを食べると
島一番の名所「瀬戸内少年野球団」のロケ地の学校も町並みも見ないで
足は一目散に山の上に。
ただひたすら菊畑を求めました。

少しだけ残っていました。
まだつぼみのが多かった。
お正月用にタイミングを合わせて出荷するのでしょう。

とにかく、SIMADASの目次の島の名前に
また一つマルがつけられたことがうれしい!

(続く)

12月の絹さやえんどう 真鍋島

2010-12-23 | 
花が咲いているだけで驚きなのに、平気でなっている絹さやえんどう。
私の住んでいるところなら、5月にならないとこの状態にはならない。
12月ですよ!?

真冬の絹さやなんて、ハウスじゃなきゃできない、NOT ECO と思っていたけど
そうでもないことを知る。
とはいっても、いまスーパーでは絹さや見かけませんが。


一方で、今書いている聞き書きは、長野県木祖村という高冷地での白菜づくりのこと。
木祖村では露地植えで7~10月に白菜が収穫できるのです。
白菜というのはロゼット(冬越し用の葉)ですから、普通は秋とか冬に収穫されることが予定されている植物です。

12月のスイートピー 真鍋島

2010-12-22 | 
12月だというのに、咲いているスイートピー(?)。

真鍋島の畑には、豆類がいっぱい植えられています。
さやえんどう、そらまめと並んであちこちで育てられているこの花。
スイートピーだとすると、切花用だろうから、ネットを立てて絡ませたりしなきゃ、と思うけど、地を這っていた。
春になったらネットを立てて大きくするのだろうか。
けれども、こんな時期にうらうらと花を咲かせていることに感激してしまいます。

この日の朝、鳥取県境、蒜山高原に近い新庄村で、朝は真っ白な霜で、ストーブがんがん焚いていたのに、お昼にはこのような暖かい土地に立っているなんて
ほんとびっくりです。
セーターの上にもこもこしたダウンなど着こんで行ったけど
綿シャツ1枚で大丈夫なほどでした。

やっぱり暖かいほうが、暮らしやすいと思います。
なにかと得な気がします。
それなのに、どうして極地のあたりなどに住んでいる人がいるのか
不思議です。

真鍋島

2010-12-21 | 
仕事で岡山の山の中の村へ行った帰りに、真鍋島へ行ってきました。
「瀬戸内少年野球団」の映画の舞台となった島です。
笠岡港から船で1時間10分、高速船なら40分ぐらいで、船の便も1日5、6本ある便利な島。愛知県なら篠島、日間賀島並みに住み易そうな位置にあります。

この日はいい天気で、帰りの船からは、西には夕暮れのやわらかくくすんだ茜色に染まる海、東には海に映る煌々とした月の光を見ることができました。
海に映る月はほんとうにいいものです。そういう美しいものを毎日見ていたいと思う。

ふらふらと島を歩き回りすぎて帰りの船に遅れないようバタバタ歩いていたら、
自転車の後ろに乗せてくれた兄さんがいました。
都会で働いていたけど、会社を辞めて島に帰ってきたばかりだそうです。
この島の人はみんな格別にフレンドリーです。

私は「旅人」の立場を取り戻すと一気に生気を吹き返します。
われながらおかしい(笑)。

かんぴょう と とうがん

2010-12-20 | 植物
ちょっと古い写真ですが
長野県木祖村の野菜直売所「愛菜(あいさい)」に並んでいたかんぴょう。
木祖村ではたいていの家で、自家用のかんぴょうを作っています。
巻き寿司に入れるかんぴょうは、この細長く大きな瓜を、細くスライスして干したものだけど、とうがんのように生のままおつゆに入れたり、ゆでて生姜醤油であえたりサラダにもするそうです。
おつゆに入れると、すごくおいしい。
とうがんそっくりです。

かんぴょうというのは、夕顔と同じ植物。白い花が咲きます。
では、かんぴょうととうがんはどう違うのか。
とうがんはこの写真のよりも横幅がある、つまり俵型をしている
というのが私の認識。別の植物である、はずである。が自説でした。

いろいろと謎が深まっていたのですが
先日料理研究家の中村成子さんという方にお会いして、
疑問が解消されました。

かんぴょうととうがんは、根本的には同じものである。
かんぴょう=とうがん=夕顔。
ただし、慣例として、中国から最近やってきたかんぴょうを、とうがんと呼んでいて、
日本に古くからあるかんぴょうを、かんぴょうと呼んでいる。

日本に古くからあるかんぴょうも、多分中国のほうから元々はやってきたものなのでしょうが。
とうがんって、冬瓜と書くけれど、実は唐瓜だったのかも。

栃木で作っているかんぴょうは、こんな細長いのではなくて、かぼちゃみたいに横幅の広い瓜だと思うのだけど。かんぴょうはいろいろな形のものがあるらしい。


ちなみにこのかんぴょうは100円でした。お値打ちでした。

それから、今やっている聞き書きで、木祖村に宇都宮の業者がやってきてどうのこうの、という話が出てきていて
もしかしてその人が種をもってきたのかしら、などと思ったり。
まあ、かんぴょうは山里のいろいろなところで作っているものですけどね。

東山公園の雑木林

2010-12-19 | めぐる季節と自然
東山公園のてっぺんのあたりの雑木林でも
こんなに落ち葉のじゅうたんが広がっていました。
12月8日です。
ほんとに典型的な東部丘陵の二次林ですね。

園内の、人がいっぱい歩く通路は、いつも誰かが掃き清めているけれど
ここは履かずに落ち葉の道になっています。
万葉の散歩道です。

先日インドネシア・ジャワ島のボゴールからCOP10関係で日本に来ていた人に
ボゴール植物園と東山植物園とどっちが広いかと聞かれ、
もちろんボゴール、と言ったのだけど
実際どうなのかしら
調べてみなくては。
東山、結構広いです。

でもボゴールは、植物の説明看板がなかなかしっかりしています。

白菜を干す

2010-12-18 | 山里
白菜を干してから浅漬けにする、というのにはまってしまいまして。
野菜は冷蔵庫の中で殺してしまうより、干して甘みを出したほうがいいものもあるようです。
大根なんかも、むやみに冷蔵庫に入れず、干してしなしなにしたりしています。
普通の人がみたらただのしなびた大根ですね。

白菜は干してから細かく切って3時間ぐらい、ユズと鷹の爪と一緒に漬ければ
本当に甘くてうまみがあっておいしいものです。

初冬の日差しの中で白菜が干されている光景は
なかなか心休まるものです。

気が付くと、12月も早、半分以上過ぎています。