今日は朝から何週間ぶりかで陽が射して
いい天気の一日かと思ったら、夕方から季節はずれの夕立。雷が激しく鳴った。
ここのところ毎日今にも降りそうで、結局降っていないので、
庭の木々は久しぶりに潤っている。
昼間暑いとホトトギスが啼かない。でも雨の後、また啼き出した。
今年のホトトギスはかなりの長逗留。夏までずっといるのだろうか。
昨晩もそうだけど、ときどき啼かない夜がある。
高原へ旅立ってしまったのかと思う。でも朝になるとまた啼いていたり。
昨晩は夜中に啼きだした。
昨日は不思議なことに、夜カエルの声もしていなかった。
鳴かない日は、全員そろって鳴かないのだ。
どういう申し合わせになっているのだろう。
天気の関係?
名古屋の私の実家は、大通りに面しているわけでもないので、
家の横を車が通らない。
すると夜中、音が何にもしないのだ。
眠れない夜に、何も音がしない、その空虚さ。
ホトトギスが恋しかった。
中津川なら、夜中にはカエルやらホトトギスやらがにぎやかにおしゃべりしてくれるので
眠れないときはそんな声を聴いているだけで、結構なぐさめられているのだと気づく。
都会の空気は、空っぽなのだ。
音だけではない。
山里のこの時期、雨でしっとしりた木々は、「緑の気」を発散させているように感じる。
体が緑を、あるいは気を吸収している感じがするのだ。
空気の中にあるみずみずしいもの。それが肌を通して私の中に入ってくる。
けれども、都会の空気は空っぽ。
数値的に言えば、この時期の名古屋やら都会の空気は乾いているのかもしれない。
木々は葉から水分を蒸散させている。
木がないところではその水分が空気中にないのだから。
実際に乾いていることを肌で感じるのだ。
雑木林の横の家、まわりが木々でいっぱいの山間地では
やっぱり空気のなかにあるものが、都会とは全然違うのだ。
音、におい、気、水分、などなどが。
この時期、ほんとうに日本の山里にいられることが有り難い。
日本は本来ほんとうに美しく素敵なところだと思う。
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いい天気の一日かと思ったら、夕方から季節はずれの夕立。雷が激しく鳴った。
ここのところ毎日今にも降りそうで、結局降っていないので、
庭の木々は久しぶりに潤っている。
昼間暑いとホトトギスが啼かない。でも雨の後、また啼き出した。
今年のホトトギスはかなりの長逗留。夏までずっといるのだろうか。
昨晩もそうだけど、ときどき啼かない夜がある。
高原へ旅立ってしまったのかと思う。でも朝になるとまた啼いていたり。
昨晩は夜中に啼きだした。
昨日は不思議なことに、夜カエルの声もしていなかった。
鳴かない日は、全員そろって鳴かないのだ。
どういう申し合わせになっているのだろう。
天気の関係?
名古屋の私の実家は、大通りに面しているわけでもないので、
家の横を車が通らない。
すると夜中、音が何にもしないのだ。
眠れない夜に、何も音がしない、その空虚さ。
ホトトギスが恋しかった。
中津川なら、夜中にはカエルやらホトトギスやらがにぎやかにおしゃべりしてくれるので
眠れないときはそんな声を聴いているだけで、結構なぐさめられているのだと気づく。
都会の空気は、空っぽなのだ。
音だけではない。
山里のこの時期、雨でしっとしりた木々は、「緑の気」を発散させているように感じる。
体が緑を、あるいは気を吸収している感じがするのだ。
空気の中にあるみずみずしいもの。それが肌を通して私の中に入ってくる。
けれども、都会の空気は空っぽ。
数値的に言えば、この時期の名古屋やら都会の空気は乾いているのかもしれない。
木々は葉から水分を蒸散させている。
木がないところではその水分が空気中にないのだから。
実際に乾いていることを肌で感じるのだ。
雑木林の横の家、まわりが木々でいっぱいの山間地では
やっぱり空気のなかにあるものが、都会とは全然違うのだ。
音、におい、気、水分、などなどが。
この時期、ほんとうに日本の山里にいられることが有り難い。
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