静岡県には天竜川、大井川、安倍川と大きな川があって、その上流部はどこも険しい山中であり、え?こんなところに?と言いたくなるような山と山のはざまに、ポツリポツリと10軒ほどの集落が隔離されたようにあるのが、国土地理院の地図で分かる。もちろん、グーグルマップでも分かる。空撮で見たらもっとよく分かる。
そういう集落を探すのが好きなのは私だけかと思ったら、ちゃんとテレビ番組で「ポツリと一軒家」なんていうのをやっていたりする。
孤立孤立と災害のたびに言うけれど、そういう集落は元々孤立していたのであり、電気とか車道とかができたら、孤立しているのが異常であることとして語られるようになる。
もっとも本当に完全に孤立していたわけではなく、昔はちゃんと人間が歩いて行き来しており、そこに住む人が農作物を出荷するために下山したり、逆に農作物を買い付ける人が下から上がってきたり、行商の人がいたりしていたのである。今の世の中で言う「孤立」というのは、電気が途切れて車が行けないということを指すようである。電気と車がないと生存できないと信じられている世の中である。
以上は前置きでありまして。
安倍川上流のとんでもない山奥に集落があるのを地図で発見して、
いや、発見したというと偶然見つけたようだが、そういう集落はないかと探した上で目星をつけ、車で登っていった。6月頃のことである。
それはほんとうにとんでもない山奥で、道の下は谷になっており、車で行くのがとても怖い。
こんな怖い思いをしたのは、10年ほど前に奈良県の十津川村に行って以来である。
しかしながら、その奥の里に住んでいる人は慣れているらしく、1台だけすれ違った車のドライバーは高年女性だったが、ぶーうーん、すいーっ、と絶壁のカーブを軽やかにすっ飛ばしていくのであった。
ひぇーっ。怖い。
そしてその山奥の集落にたどり着くと、人影が全くなかった。
集落はきれいに手入れされており、家々の庭も荒れているということはないけど、戸には雨戸が立てられたりして、全く住んでいる気配がない。
その「住んでいる気配のなさ」を感じさせる原因は何よりも、家庭菜園のなさであった。
こんな山間地では夏だったらキュウリやナスやトマトやササゲ豆やゴーヤーやピーマンやジャガイモなどは、必ず作っているものである。とりわけこんな下界から離れたところで暮らそうと思えば、そういう野菜がなければ不便で仕方ない。少なくともネギがなければ生きていけない。電気がなくても不便だが、ネギがないのも困る。ネギがあるだけで豊かな暮らしだと感じられると思う(ちがうか?)。冷蔵庫なんか作動しなくても、すぐそこで収穫できれば冷蔵庫は要らないのである。
その集落は一面が茶畑であった。静岡茶は天竜川と大井川流域だけなのかと思っていたが、安倍川もだと知った。茶畑は茶の収穫を終えて葉が伸び始めているのだった。明らかに、夏も近づく八十八夜頃に茶摘みを、……まあ茶摘みといってもアカネだすきの女の人が細い指で摘むんじゃなくてバリカンでガーッと刈る茶刈りかもしれないが、そういう仕事がされている現役の茶畑だった。ここの家の人たちは、元はここに住んでいたけど、さすがに不便なので下界に下りてしまって、でも茶畑があるので茶の収穫や手入れの仕事のときだけ上がってくるのだろうと思った。すなわちここは集落としてはもう棄てられたところ……? 廃村?
しかし。
もしかするとそもそもここは出作り集落なのかも、と思う。出作りとは、アルプスの少女ハイジの家のように、冬は街に住み、夏だけ山に別荘をつくって住みながらそこで山仕事をするのである。私の住んでいるところの近隣の長野県清内路村では出作りを行なっており出作り小屋があったらしい。
この集落の家は、小屋ではなくちゃんとした立派な家なので、何とも言い難いのだが、出作りでなかったら、もし定住するところだとしたら、どうしてこんな山奥に住み付いたのだろう。その必然性がよく分からない。あまりにも隔離されすぎている。
それを考え始めると、そもそもどうしてこの山奥に茶畑を作ったのだろうと思う。もっと手前に空地(山だけど)はいっぱいあるのだから、そこを切り拓けばよかったのに。
こんな山奥は大抵、平家の落人うんぬんとか言われるけど、そういう話は実感がなさすぎてどうも簡単に信じる気になれない。
静岡県の出作り集落についてネットで調べるも、出てこない。町史とか県史とか論文とか検索しないとだめっぽい。
*正面の山(谷の向こう)の上の方にも、隔離されたような集落があるのが見える。茶畑があるようだ。
写真/2019年 静岡県安倍川上流