山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

ラッキョウとアサツキ、ネギ亜科の秋を謳歌する

2019-10-31 | ネギの仲間 アサツキ・ラッキョウ・ノビル・ヒトモジ…

我が天下が来たといいたげに、元気いっぱいのラッキョウとアサツキ。

写真真ん中辺で横になっているのがラッキョウ。少し青みがかった緑色をしている。

その周りでツンツンと真直ぐに上に向かって伸びているのがアサツキ。ラッキョウに比べて黄色の強い緑色をしている。

 

きれいに草を刈ったところから、9月頃、アサツキはつんつんと新しい芽が伸ばしてきた。こんな時期に?と思ってしまう。

アサツキは春に土からつんつんと現れて旺盛に茂る。春にも芽を出したのに、また秋に芽を出すの?と思う。

夏に刈り込めばまた芽を出すっていうのは、つまりいつだって伸びるということだ。ただし、冬には葉が霜でやられて真っ白になってしまい、休眠する。だから、こんな時期に伸びたってしょうがない気がするのだ。エネルギーの無駄遣いなのではないか。秋の初めに伸びてきたときは、塊茎に蓄えた養分(貯金みたいなもの)を使わなければならない。どうせ枯れるのに、もったいないではないか。ただ、ある程度伸びてしまえば、今度は光合成によって作った養分を根に養分を蓄える段階に入るはずである。そこでできる貯金が、短い期間だけれども、それなりにあるということなのだろうか。そうでないと赤字が続いて、やがて消滅しなければならなくなる。あるいは、春から夏に稼ぐ分が相当大きいということかもしれない。

ススキやセイタカアワダチソウ、その他の宿根草が増えたり減ったりするのはみんなこの収支のバランスによるものだ、理屈上。

ラッキョウも夏に刈られたけれど、また伸びてきた。

ニンニクもタマネギも今が植え時で、ネギは冬に甘みを増す。これから少し光合成して稼いだ分を冬の間に少しずつ根元や塊茎に養分を蓄えていくのだろう。

 

ラッキョウ、アサツキ、ノビルの見分け

 

*写真/2019年10月末

 


クマが家のまわりをうろうろしているかもしれない件

2019-10-30 | めぐる季節と自然

うちはJR駅から1kmもないところにあり、そのJR線は飯田線みたいな今にも切れそうな細い線ではなく、その駅も今は小さく素朴でときどき無人になるがやがてリニア岐阜県駅という巨大駅になろうとしているものであり、次々に新しい建売住宅ができて、地域の人口は増加しており、小中学校はマンモス校であり、近くには40年ぐらい前の新興住宅地が2カ所もあるようなところである。なぜかコンビニと大手スーパーはないが、人はいっぱい住んでいて、そこに雑木林と田んぼと畑が混じり合っているようなところである。

5年ぐらい前から2度ほど、うちの西1.5kmぐらいのところで「クマらしきものが目撃されました」と、市の防災メールが来ていたのだが、どうせ犬かなんかを見間違ったのだろうハハハハハ。と思っていた。私は親指ぐらいの長さの細いものが落ちていると蝶の幼虫に見えてしまうし、私の母は長いヒモが落ちているとヘビに見えてしまう。クマだと思って見れば犬もサルもニホンカモシカも黒い服着た人もクマに見えるに違いないのである。その目撃された場所は、木曽川の崖っぷちにほど近く、あたりはうっそうとした自然林になっている。クマがいそうな雰囲気がある。だから犬もクマに見えてしまうのだろう。

今年に入って、同じような場所で数回「クマらしきもの」の目撃があり、10月22日にうちの西500mほどの「集会所付近で子グマらしき目撃情報」があり、その時点ではまだ「どうせ犬だろう」と思っていた。が、10月28日の夜に東方5kmほどの「自動車学校付近で西へ走る熊」というクマ断定の通知があり、昨日10月29日の夕方には東方1kmの「バス停付近でクマ」とクマ断定の目撃情報があったのである。

よく考えると野生熊より野生犬の方が少ないので、見間違うとするときっとニホンカモシカだと思うのだけど、クマでないとは言い切れない。目撃されている地点とうちは山でつながっていて、中間地点にうちがあり、クマが何頭いるか知らないけど、うちの東から西へ、西から東へとうろうろしている可能性がなくもない。少し上に栗畑がたくさんあるし、我が家の柿もいい具合に熟してきたので、食べにくるかもしれないのである。

郵便屋さんとか水道メーター調べる人とか、大丈夫だろうか。

幸いうちの方のクマは北陸のクマみたいにチンピラ化してないようなので、わざわざ人のいるところに来て襲っていくようなことはないのだが、今年は市内や隣の市で何人かの人が被害に遭っている。この頃は気軽に散歩に行くこともできない。

木曽の方に行くともうみんな、夜は出歩かないとか、昼でも歩かないとか言っている。子どもの頃、熊が出る地域というのを「自然豊かな山里」として憧れをもって見ていたが、そんなのんきなことは言っていられないし、自然が大して豊かでなくてもクマが襲ってくる地域もあるわけで、本当に困ったことである。人間とクマの共存のために、クマは山で過ごしていてほしい。

 

 

*写真/長野県上松町の朴葉を栽培しているところ(2019年)歩いていたら、むらの人に「クマがいるから気をつけろ」と言われた。しょっちゅうクマを見かけるとのこと。最近の野生動物は人間をバカにしているように思えてならない。バカだから仕方ないけど。


安倍川上流のとんでもない山奥の茶畑

2019-10-29 | 山里

静岡県には天竜川、大井川、安倍川と大きな川があって、その上流部はどこも険しい山中であり、え?こんなところに?と言いたくなるような山と山のはざまに、ポツリポツリと10軒ほどの集落が隔離されたようにあるのが、国土地理院の地図で分かる。もちろん、グーグルマップでも分かる。空撮で見たらもっとよく分かる。

そういう集落を探すのが好きなのは私だけかと思ったら、ちゃんとテレビ番組で「ポツリと一軒家」なんていうのをやっていたりする。

孤立孤立と災害のたびに言うけれど、そういう集落は元々孤立していたのであり、電気とか車道とかができたら、孤立しているのが異常であることとして語られるようになる。

もっとも本当に完全に孤立していたわけではなく、昔はちゃんと人間が歩いて行き来しており、そこに住む人が農作物を出荷するために下山したり、逆に農作物を買い付ける人が下から上がってきたり、行商の人がいたりしていたのである。今の世の中で言う「孤立」というのは、電気が途切れて車が行けないということを指すようである。電気と車がないと生存できないと信じられている世の中である。

 

以上は前置きでありまして。

安倍川上流のとんでもない山奥に集落があるのを地図で発見して、

いや、発見したというと偶然見つけたようだが、そういう集落はないかと探した上で目星をつけ、車で登っていった。6月頃のことである。

それはほんとうにとんでもない山奥で、道の下は谷になっており、車で行くのがとても怖い。

こんな怖い思いをしたのは、10年ほど前に奈良県の十津川村に行って以来である。

しかしながら、その奥の里に住んでいる人は慣れているらしく、1台だけすれ違った車のドライバーは高年女性だったが、ぶーうーん、すいーっ、と絶壁のカーブを軽やかにすっ飛ばしていくのであった。

ひぇーっ。怖い。

 

そしてその山奥の集落にたどり着くと、人影が全くなかった。

集落はきれいに手入れされており、家々の庭も荒れているということはないけど、戸には雨戸が立てられたりして、全く住んでいる気配がない。

その「住んでいる気配のなさ」を感じさせる原因は何よりも、家庭菜園のなさであった。

こんな山間地では夏だったらキュウリやナスやトマトやササゲ豆やゴーヤーやピーマンやジャガイモなどは、必ず作っているものである。とりわけこんな下界から離れたところで暮らそうと思えば、そういう野菜がなければ不便で仕方ない。少なくともネギがなければ生きていけない。電気がなくても不便だが、ネギがないのも困る。ネギがあるだけで豊かな暮らしだと感じられると思う(ちがうか?)。冷蔵庫なんか作動しなくても、すぐそこで収穫できれば冷蔵庫は要らないのである。

 

その集落は一面が茶畑であった。静岡茶は天竜川と大井川流域だけなのかと思っていたが、安倍川もだと知った。茶畑は茶の収穫を終えて葉が伸び始めているのだった。明らかに、夏も近づく八十八夜頃に茶摘みを、……まあ茶摘みといってもアカネだすきの女の人が細い指で摘むんじゃなくてバリカンでガーッと刈る茶刈りかもしれないが、そういう仕事がされている現役の茶畑だった。ここの家の人たちは、元はここに住んでいたけど、さすがに不便なので下界に下りてしまって、でも茶畑があるので茶の収穫や手入れの仕事のときだけ上がってくるのだろうと思った。すなわちここは集落としてはもう棄てられたところ……? 廃村?

しかし。

もしかするとそもそもここは出作り集落なのかも、と思う。出作りとは、アルプスの少女ハイジの家のように、冬は街に住み、夏だけ山に別荘をつくって住みながらそこで山仕事をするのである。私の住んでいるところの近隣の長野県清内路村では出作りを行なっており出作り小屋があったらしい。

この集落の家は、小屋ではなくちゃんとした立派な家なので、何とも言い難いのだが、出作りでなかったら、もし定住するところだとしたら、どうしてこんな山奥に住み付いたのだろう。その必然性がよく分からない。あまりにも隔離されすぎている。

それを考え始めると、そもそもどうしてこの山奥に茶畑を作ったのだろうと思う。もっと手前に空地(山だけど)はいっぱいあるのだから、そこを切り拓けばよかったのに。

こんな山奥は大抵、平家の落人うんぬんとか言われるけど、そういう話は実感がなさすぎてどうも簡単に信じる気になれない。

 

静岡県の出作り集落についてネットで調べるも、出てこない。町史とか県史とか論文とか検索しないとだめっぽい。

*正面の山(谷の向こう)の上の方にも、隔離されたような集落があるのが見える。茶畑があるようだ。

写真/2019年 静岡県安倍川上流


番茶をつくる

2019-10-26 | 植物利用

 

木箱のことをネットで調べていたら、茶箱のことを調べることになり、結局茶について知ることになった。

番茶という言葉を知ってはいても、それがどういうものなのか、いまいちピンとこなかったのだけど、やっと分かるようになった。

 

和歌山県印南町(いなみちょう)で、普通の家庭で茶を作るところを見せていただいたことがある。

印南町では、街でない限り、どこの家でも庭先で自家用の茶を作っていたという。

今はみんなやめたのだが、山間地で1軒、作っている家を見つけた。(ほかにもあるかもしれない)

茶葉はかなり大きくなったものを採り(5月中下旬ごろ)、それを炒るまでは煎茶と同じだが、

その後、揉まずに干すのである。(揉む家もあるということだが)

ふんわりしている。

 

お茶を出す(淹れる)ときには、昔は茶釜というのがあったが、今はやかんを使う。茶の葉を「ちゃんぶくろ」というかわいい名前の木綿袋に入れて、水を入れたやかんに入れ、熱する。つまり、水から煮出す。やかんに一杯作った茶を置いておき、一日中、家族は好きなときに飲むのである。この煮出したお茶は緑ではなく茶色っぽい。ほうじ茶と似ている。

作った茶を鍋に入れて沸騰させて米を投入すると茶がゆになる。このときの米は水に浸さず、乾燥したままで入れる。書籍によれば、アジア全体で米の炊き方には2系統あり、日本のように鍋の中の水分をすべて使って蒸らすような感じで焚くやり方と、大量の湯の中に米を入れてゆでるやり方があり、後者を「湯取り法」というのだが、茶がゆはこの湯取り法になるようだ。東南アジアの湯取り法はゆでた水を捨てたりするが、茶がゆでは捨てない。

話が米になってしまったが、茶に戻ると、和歌山県印南町の山間地で行われているやり方は、今お店で売っている緑茶(煎茶)が広まる以前に一般的に行なわれていた方法だということ。

それが番茶である。

今はこういう番茶はなかなか手に入らないので、ほうじ茶で代用しているのだと思う。家庭で朝ほうじ茶をたくさん作っておく習慣はそれとなく残っている。また、ほうじ茶で茶がゆを作ることもよく行われている。

印南町のスーパーの棚は、緑茶よりもほうじ茶の占める面積の方がはるかに大きい。

*写真/和歌山県印南町の山間地で作られている番茶(2017年)


あせ寿司のためにダンチクを育てる

2019-10-25 | 植物利用

ダンチクは四国や瀬戸内の海ぎわの崖のようなところにわんさかわんさかと生い茂っている。

私の住んでいる岐阜県の山間地では全く見ないし、愛知県の海辺でも見ない。

愛知県の海辺ではそのようなところに大体メダケが生えている。

 

(ここから、前の前の記事の続き)

和歌山県印南町に行くと、海辺だけでなく、少し山あいでも、川べりや山裾によく生えている。

それらはみんな自生だと思っていたら、山あいや川べりのものは、植えているのだそうだ。

川は私有地ではないのだけど、そこに植えてあるものは所有者が決まっていて、その人が管理しているということだ。

ダンチクをわざわざ植えるのは、その葉で巻いた「あせ寿司」を作るためである。

ダンチクにも個体差があって、葉の幅の広いいいダンチクや、それほどよくないダンチクがある。いいダンチクがあると、その根をもらってきて川べりに植える。成長したら、毎年2月に地上部を刈り込む。そうすると秋には幅の広いいい葉を収穫することができる。それをしないと、だんだんと葉が小さくなっていくそうだ。また、2月以外の時期に刈り込むとなくなってしまうらしい。ということは、生い茂るダンチクに手を焼いている場合には2月以外に刈り込めばいいということになる。そんなに簡単にダンチクがなくなるとは思えないけど、そういう話だ。

よそのダンチクをもらうときには、「おくれよー」と声をかけてから伐らせてもらうのがマナーである。

海辺の地方ではいたるところにダンチクが生えているので、勝手に採ってはいけないなどとは考えもしないで、好きなように採る。自分の家のダンチクなど決まっていない。

山手にいくほどダンチクの葉は幅が狭くなっていき、隣の龍神村との境の辺りではもう寿司にダンチクは使うことなく、芭蕉の葉を使っている。葉蘭を使う家もあるらしい。山手ではダンチクは見向きもされず放置されている。

ダンチクを梅畑の隅などに植えている家もあり、その精神は、私の地方で朴の木を必ず屋敷や畑に植えるのと似ている。朴の木が家にあるということで主婦は安心するし嬉しくもなるのだ。

 

ダンチクは1本伐れば葉が10枚ぐらい収穫できる。あせ寿司1本に大体5枚の葉を使うので、ダンチク1本で2本のあせ寿司が作れる。あせ寿司100本作ろうと思うとダンチクを50本伐らなければならない。結構大変な仕事になる。伐ってきて放置するとすぐしおれるので、水に浸けておいたり、葉を切り取ってから冷蔵庫に入れておく。

 

 △茎が中空になっている。段竹の名の通り、竹に似ている。しかし、このたけのこを採って食べたりはしないという。

*写真/2019年10月 和歌山県印南町にて

 

 


椿の葉を神に供えること

2019-10-24 | 植物利用

天皇皇后の即位の儀式のTVを見ていたら、25年ぐらい前の結婚の儀の際の、神様にお供えした供物の映像があった。

米や柿、りんごなどの食べ物と並んで、一番手前(神様からは遠い側)に、なぜか椿の葉。

3列×3列にきれいに並べて、それを数枚重ねて枡に入っていて、葉はすべて裏向きであった。

椿の葉は食べ物ではないし、特別に一番手前にあるということは何らかの意味があるのだろうけど、一体なんなのだろう。

ネット上で「椿 神事」のようなワードで検索すると、いろいろと出てきて

結婚の儀に限らず、通常の神事や神棚の神様に供えるのに、榊でなく椿を使ったりもするということが分かった。

しかしその場合に供えるというのは、生枝を立てて挿すということだろうと思う。

天皇皇后(当時皇太子ご夫妻)の結婚の儀の映像では、生枝ではなく1枚ずつ切り取られた葉が枡の中に並んでいるのである。

祭りのときに舞いを舞う人などが、神様に息がかからないように榊の葉を口にくわえたりすることがあるが

そのような用途で使うのだろうか?

宮内庁に聞いてみたいが、ホームページにはお問い合わせ窓口がないので、まあ電話で聞けばいいのかもしれないがそこまでするのもちょっと遠慮がある。

 

関連して、こうせん(関西でははったい粉という、大麦を炒って粉にしたもの)を食べるとき、シイの葉や椿の葉ですくって食べたという例を聞いたのを思い出した。

とにかく椿が気になる。

 


ダンチクで包む、和歌山県のあせ寿司

2019-10-20 | 植物利用

イネ科のダンチクのことを「あせ」というのはどうしてなのか。

和歌山県の印南町に行ってあせ寿司づくりを見せてもらったのだけど、そこの人たちも知らないと言う。

印南町だけでなく和歌山県全体で「あせ」というらしく、あせで巻くあせ寿司(サバ寿司)は農文協の「聞き書和歌山の食事」にも載っている。

アシに似ているので、何か関係があるのか?

小さいのがアシで、大型のがアセ?

「違うと思うわ」と印南町の人は言う。

 

印南町のあせ寿司は、サバ寿司をダンチクの葉で巻いて押したもの。

あせの葉を触ってみると、両面とも毛がなくてつるつるしている。そして、両面ほぼ同じ色である。葉脈をよく見ないと、裏か表か分からない。

ススキにしてもササにしても大抵は葉裏が白い。

植物の葉裏が白い場合、毛が生えていることによる場合が多い。朴の葉なんか、微細な毛がみっしり生えている。

 

で、あせ寿司づくりを見学したり、作らせてもらったりしました。

下の写真の箱は、あせ寿司が7本×5段入るもので、こういった箱は各家が大工さんに作ってもらうそうです。ヒノキのようです。

100本ぐらい入る箱もあるというし、もっと小型の8本(4本×2段)のものもあったりします。

印南町では大工さんのニーズがあります……。

 

 

*写真/和歌山県印南町にて 2019年10月