山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

冬空

2013-01-25 | めぐる季節と自然

今日の雪は日本海側だけかと思っていたら、こちらでも朝から大粒の硬い雪がバラバラ落ちてきています。時折ザーッと降る。

ここのところ、窓の外をいろいろな小鳥がうろうろしている。メジロだったり。ヒガラだったり。カラ類は群れになって、サツキの茂みの中を飛び回っている。
今日はヒヨドリ。サツキの下に生えているヒメヤブランの実を見つけて、くちばしにはさんで飛んでいく。

サツキの植え込みの向こうには、カイヅカイブキの垣根があって、その向こうにはよく隣のおじさんがいて、盆栽を眺めたり、木の枝にみかんをつけて小鳥をてなづけようとしたりしているのだけど、今日はさすがに外には出てこられません。
隣の家の松ノ木など、とてもいい枝振りで、我が家からながめるのに絶好です。

ヒヨドリじゃないでっかい鳥のつがいが来ました。なんだろう……
ツグミのようです。
捕って食われないように気をつけましょう。


また雪が降ってきました。今度は小さな軽い雪です。
冬ももう峠を越えました。

写真/12月、愛知県設楽町

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暖かい日、一日もうけた

2013-01-21 | めぐる季節と自然

お昼までよく晴れてびっくりするような暖かく穏やかな日。
こんな日はもう3月まで来ないのだと思っていた。
家中窓を開け放って気分よく掃除。久しぶりに家の中の空気が全部入れ替わった感じ。
こういう日に、恵那のほうの山の人は「一日もうけた」という。

一日中庭の落葉を掃いていたいぐらいなのだけど、仕事上そういうわけにも行かないし、お昼のニュースをよく聞けば午後からは雨が降るとか……
(結局17時でも降っていませんが)

それにしてもあったかいというのはいいものです。
家の中から冬を眺めるのは素敵だけど、やはり寒いと活動が鈍る。
春の空気感を思い出した。

先日以来フクロウは来ない。ちょっと寄ってみただけだったのだろうか。

祈りの場(祀りの場というべきか)は西のほう、南のほうにいくとこんなに違うものかと思う。島の小高いところで、海が見える。長崎県小値賀島。

写真/長崎県小値賀島(2005年)
 

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冬のレモン

2013-01-15 | めぐる季節と自然

レモンの色はきれいだ。レモン色。少し青みがかった黄色。

昨日、愛知県の阿久比町に行く機会があった。
訪ねたお宅のお庭に、たわわに、柚子と、甘夏(? 夏みかん?)とレモンがなっていたのでした。

この寒い真冬に豊かに実る果物。
暖かい地方っていいものです。やっぱり。
明らかに食べるものがたくさんあります。

帰りに袋にレモンを入れてくださったのです。
と思ったら、柚子やら違う柑橘も入っていました。
お宅ではキンカンの甘露煮を出してくださったし。
レモンマーマレードが作りたい!

数年前、瀬戸内海の島に行っら、島中でレモンを栽培していた。確か大崎下島。上島だったかも。
春分の日の頃で、青い海をバックにたたわに実る黄色いレモンがきれいだった。
ちょうど収穫期で、書いたかったのだけど、探してもどこにも売っていない。
仕方ないので、出荷のためにずらっとレモンが持ち込まれているところで「買いたい」と言ったら、小売はしてないってことなのか、ただで20個ぐらい分けてくれた。
5個ぐらいでよかったのですが(笑)。でも大喜びで持ち帰りました。
農業者の方って、野菜や果物を扱うときの単位が1桁違う感じです。

ところで、今年はフクロウが来ないと思っていたら、一昨日の夜、この冬初めて到来しました。うれしい。
でもリニアが来たらどっかいっちゃうでしょうか。心配です。まだ先ですが。
先だろうと今だろうと、自然度が減るのはいやです。
フクロウだけでなく、リニアが来たらどっか行っちゃう人間もいそうです。

写真/阿久比のレモンなど

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曇ってきた

2013-01-13 | めぐる季節と自然

びっくりするほど、雲一つない青空の好天が続いた。1週間以上?
珍しいことだ。
それが今日の午後から曇ってきて、今は、いまにも降り出しそうな重い空。
それと同時に、朝からちょっと痛かった頭痛がひどくなってきた。
寝たい~~。

私はあまり低気圧と頭痛の関係は感じないんだけど、やっぱり関係あるのか。
最近、夜仕事を終えた途端頭痛が治る現象も起こっている。
誰でもストレスがかかるとどっかに出ますよね。

ちょっとふらりと出かけてきましょうか。

何の役にも立たない記事……。読んでくれた人、ごめんなさい。
写真/池の氷
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渥美の野菜

2013-01-10 | あちこちの特産品

今日のニュースは野菜の高騰のことをしきりに伝えている。
知らなかった。
今うちには野菜がありすぎるほどあって、必死というと変だけど、毎日ふんだんに、一生懸命懸命たべている最中。
白菜大玉2個、キャベツ大玉3個、大根3本、ほうれんそう、きぬさや、里芋いっぱい、ねぎいっぱい、かぶ、にんじん、みかん、などなど、などなど。
みんな近所の人や、渥美の親戚にもらったもの。

愛知県の篠島と渥美半島は、舟で行くと近くて、昔は定期船が通い、篠島では渥美から食料品を買っていた。その、渥美から来る食べものが何でもおいしくて、野菜はもちろん、おまんじゅうすらおいしかった、という話を、篠島の人に聞いた。

ほんとうに、渥美の野菜は何もかも甘くておいしい。
カブはリンゴかと思うぐらい甘くて、切って生のままちょっとかじってみると止まらなくて、そのままデザートのように食べてしまう。煮るのが惜しい。

また、ほうれんそうの甘いことと言ったら。これが野菜なんだろうかと思うほどの甘さです。
絹さやもしかり。そもそも、わが中津川の家の周りではすべての植物がちじこまってかじかんでいるにもかかわらず、渥美ではこの時期に路地で立派な絹さやが採れるということに驚いてしまう。

里芋は、ふにゅぅ~、むにゅ~、とろ~、として、口の中で溶けるようなおいしさ。

キャベツはこの時期、「硬いの」と「軟らかいの」と両方もらいました。軟らかいのは春キャベツだと思います。

そういうわけで野菜は買わずに済んでいる……でも、かぼちゃなど買ってしまったのですが……お金を使わないで済むし、おいしいし。ありがたいことです。

お正月に渥美に行ったら、親戚の人たちはもう仕事していた。休みはないのです。本当に仕事が好きで、女の人でもキャベツをトラックに積みおろしして、せっせせっせと働いています。
そして、換金作物はキャベツと花ですが、家で食べる(および、親戚に配る)野菜をほとんどすべて自給していて、その様子がいとも簡単そう。簡単ではないはず。能力と努力に頭が下がります。いつまでこの恩恵にあやかれるのだろう。農家の親戚はあったほうがいい!

写真/恵那市山岡の糸寒天干し。夜明け前。空気が青い。
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寒天干し

2013-01-09 | めぐる季節と自然

雲一つない青空。昨日も天気がよかった。ここ数日好天。
朝はとても寒く霜が真っ白に降りているけど
午後の明るさには驚く。3時過ぎ、日差しが白々として
光はすっかり春のきざし。

旧暦でも春は立春(2月4日)からだから、1月上旬の今は、冬ど真ん中なのだけど
夜明けも早くなってきている。

うちの東の窓に日が当たり始めるのは7時半か8時ごろだから
それまでは明るくても雨戸を閉めている。熱が逃げるので。
雨戸を木のものに変えたので、ストレスがなくなった。以前はアルミで
ぎらぎらして、家の中から見た感じがいやだった。日が差してきて雨戸を開けると
植木が真っ白になっている。

こんな寒い気候を利用して、寒天は作られる。
てんぐさは暖かい海にあるのに、それから作る寒天は寒い地方でできるのだから
面白い。もっとも、それは乾物としての寒天のことであって、乾物にしないで直接食べる寒天は、お湯で煮るだけでフリーズドライする必要がないから、どこの地方でだってできる。

雪国では冬に湿気が多いので、普通に風で乾かす乾物は作りにくい。そのため塩蔵が発達するが、乾かす場合には、フリーズドライの技を使えば乾かすことができる。

写真/恵那市山岡町の糸寒天干し

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凍る毎日

2013-01-07 | めぐる季節と自然

今日は新暦で数えれば七草。けどこの画像は何の関係もありません。
子どものころ母が作ってくれた七草粥が忘れられない。
毎年というわけではなかった。ただ一度、ものすごくおいしかったときがあった。

土鍋でおかゆを炊き、最後に小さく切ったお餅と七草を入れたもので
おかゆのとろーっとまろやかなとろみと、お餅のとろーっとやわらかなとろみが
絶妙なのだった。

あの七草粥、もう一度食べたい。それに母はあのようにおいしいものをどうして毎年作ってくれなかったのだろう。

お粥というのは奥が深くて、ただ水を多くすればいいというものではない。水とお米がうまく溶け合わないといけない。
最近は電気炊飯器にお粥モードがあるから簡単かもしれないけど(ほとんど使ったことがない)、土鍋で炊いたお粥はやっぱりおいしい気がする。


1週間も家を空けて、帰って来た昨日、家そのものが凍っている感じだった。
水道はもちろん凍っているし。ストーブをいくら焚いても全然気温が上がらず苦労した。
南国の高原に行きたい。とにかくこの寒いのはいやです。
写真もここのところ全然撮らず、昔の写真を引っ張り出している始末。
冬でも写材は必ずあるはずなのですが。

写真/早朝の池の氷

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ネイティブな言葉の力 なまりうた

2013-01-03 | 山里

年末年始に家にいると、どうもうだうだ、だらだらと夜更かしをする傾向にある。
元日の夜も、テレビ朝日で全日本まなりうたコンテストというのをやっていて
ついつい最後まで見てしまった。
この番組、何年か続いているらしいけど、今年たまたまテレビをつけて知った。
よく知られたポピュラーミュージックを、方言で歌うもの。

聴く前からある程度予想したことではあったけど、
方言で歌われるそれらの歌は、面白いを通り越して、本当に伝わってくるものがあった。
標準語では伝わらない、生の感情、思いがそこにあった。
しかしその地方の人が自分の言葉で歌うからいいのであって、東京の人が山形弁で歌っても真似事で終わってしまうだろう。

青森代表の人の、一青ヨウのハナミズキには涙。テレビで歌を聴いて泣けることなんてないのだけど(多分いつもテレビで歌を聴くときは片手間なのでそこまで真剣になれていない)、心の奥にストレートに突き刺さってくるのだ。
決勝での山形の女の子のもよかった。

こういう歌を聴いていると、標準語というのがいかに人造語であるかがよく分かる。
誰の言葉でもない、作られた言葉。デスとかマスというのは一体どこから来た言葉なのだろう。勉強不足で、私にはいまだに謎である。軍隊で使われていたことは間違いないと思うが、それ以前に日本の学校教育で使われていたのだろうか? いったいどこの地方にその語源があるのだろう。とにかく割合新しい時代に公用語として使うよう作為的に推奨されたものであると思う。
それを日常生活の中にもってくると空虚になる。
地方に行って、デスとかマスをつけて話すのが丁寧だとか礼儀だとか思っていると
落とし穴にはまる。それは相手との間に壁をつくりバリアを張ってしまう言葉になっていることがあるのだ。

山里の人の話を聴いて「読める話」に仕上げて本にする活動をしている。
このとき、方言が多すぎると読みづらくて読者に伝わらないものになってしまう。
ではなぜ標準語に全部直してしまわないか。それは、標準語でその人の言葉じゃないもので書いてしまうと、意味は分かりやすいが、魂が抜けてしまうのだ。ぐっと伝わってくる実感がなくなってしまう。

作品を仕上げるとき方言をどれだけ残すのかの「さじかげん」は難しい。対象とする読者層にもよる。書く人の筆力によるところも大きい。方言を残せばいいというものでもない。伝わらなければ仕方がない。
けれど、人の発する言葉には魂がこもっている。その魂をどれだけ温存したまま書けるかということである。

全日本なまりうたコンテスト、いい番組だ。この番組を考え出した人もすごい。
全国のこういう歌を集めてCDを作ってほしい。
そして、日本の地域語がいつまでも残って使われていくことを願う。

写真/シマカンギク(だと思う) 長崎県小値賀島(2005年)

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卯の花とホトトギスのこと

2013-01-02 | めぐる季節と自然

あけましておめでとうございます。

季節はずれの話題ですが。
ゴハンを食べながら父と話していて、どういう話の流れだったか、突然父が言い出した。

「ホトトギスが垣根に来て啼くなんて嘘だと思ってたけど、菅江真澄遊覧記に書いてあるんだな。菅江真澄が東北を歩いていたとき、そういう光景を見たんだそうだ。東北の田舎ではそういうこともあるんだな」

「夏は来ぬ」の歌詞、「卯の花のにおう垣根にホトトギス早も来啼きて」が妙だということは、このブログにしつこく書いている。
けれど、このことを父と話したことなんて一度もなかった。
それなのに、全く同じことを気にして、それを突然話題にするなんて……。

親子だから? あんまりそう考えたくない。
私は父に似たくなかったし、真似したくもなかったのだけど、なぜかやっていることは父に似ている。
ホトトギスにこだわる遺伝子が組み込まれちゃってるのだろうか。

まあそれでも、「え~、そんなことあり得るの?」「信じられんけどあるんだな」「うるさいじゃない」「でもいい声だな」と同じ話題で盛り上がれる同志がいるのは、なかなかうれしいものでした。
同じことを考えていても、菅江真澄遊覧記を読んでいるだけ、父に勝負ありです。

ホトトギスは今頃熱帯の方でお正月を迎えているでしょうか。それとも亜熱帯?
寒くなくていいなぁ。

 これに関するこれまでの記事
  卯の花の季節(2012年)
  ホトトギス、ウグイス、スイカズラ、コジュケイ(2010年)
  6月の白い花 卯の花のにおう垣根にホトトギス早も来(2010年)


写真/赤カブの葉を取った部分(色加工済み)
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