山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

春の例大祭

2015-04-29 | 山里

川の横の稲荷神社で例大祭がありました。
大きな杉が2本と、桜が数本あります。

4月6日の記事 桜のころ


宮司さんが来て祝詞を上げ、地区の役員など30~40人集まりました。
天気も良くうららかでいい感じ。暑かったですが。
お菓子がもらえるので子どもがけっこう来ていました。

4つの地区がまつっている神社で、各地区からお神酒とお餅が奉納されています。俵の中身はお餅。
このあと餅投げがありました。

22年もここに住んでいるのに、初めて行ったお祭りです。
日本らしくていいものです。
もうひとつの大きな神社では秋のお祭りがあります。

この神社は田んぼの神様であり商売繁盛の神様だそうです。
しかし石の上にあるのでお不動さんのようです。

毎日まわりの景色の色が変わります。
春先の白っぽい感じから桜とコバノミツバツツジの一面ピンクになり
今は若葉の色が日々緑濃くなっていきます。
あざやかな黄緑いろで、光を反射するのでまぶしさを感じます。
この時期、ほんとうにここに住んでいる幸せを感じます。

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

白くて狭くてきれいな石積みの道

2015-04-17 | 

これぐらいの道幅だと歩くのが快適だと思います。
しかも両側に木があって、籠っている感じがいい。空が狭いほうが個人的には好きです。あまり広いと落ち着きません。



ここは空は広いですが、道がとてもきれいです。こんな亜熱帯でよくこんなに草一本生えない状態を保てるものだと感心します。土質の関係もあるのでしょうか。
多分珊瑚の風化したものなどが混じっていて(推測ですが)、道が白っぽいのも特徴です。
水はけもよさそうです。


昨日は久しぶりに雨が降らず助かりました。雨好きの私ですが、連日雨だとさすがに布団がジメジメして寝るとき苦痛です。
それでも雨が降るとその音を楽しんでいます。本当は雨自体には音はなく、雨が木の葉や屋根を打つ音です。そう考えると、世界各地で雨の音は違うということになります。いろいろな雨の音を聞いてみたいものです。

写真/沖縄県黒島(2004年頃)

ブログランキング参加中
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 緑の暮らしへにほんブログ村

珊瑚の石垣とブーゲンビリア

2015-04-14 | 

沖縄県黒島(だと思う)。
どこを歩いてもきれいな集落だった。
石垣の角を曲がると、また別のきれいな石垣から花々がのぞく。
道はきれいに掃かれていた。
2004年


ブログランキング参加中にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 緑の暮らしへ 田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

チューリップの色が変わる

2015-04-13 | 植物

昨年、チューリップの色が年々変わっていくことについて、記事を書いた。→昨年の記事
昨年はちょっと濃いめのピンク色の花が咲いていた。

それが今年、明らかな赤。(冒頭の写真は関係ないです……。失礼。)
花の形も変わっている。昨年は丸みを帯びているけど、今年は先がとがった感じ。2、3日中に写真撮って載せます。

こんなに明らかに変わるとはびっくり。植えたのは、ピンクダイヤモンドを中心に、アンジェリケなど、ピンク色のチューリップの取り合わせである。
今年は全部同じ花なので、どれか一種のみ生き残ったのか、全部同じように先祖がえりしたかだ。

チューリップは連作しているとだんだん咲かなくなってしまうので、昨年掘り上げて植え替えしなきゃ、と思っていたけど、思うだけで、ずぼらなので、そんなことはしない。連作しずに植え替えるともっと違う状況になるのだろうか。

うちの裏の畑には隣の花好きの奥さんが作っているチューリップがあって、毎年赤、白、黄の鮮やかな色のチューリップが元気よく咲く。場所が変わらないところを見ると、植え替えはしていないと思う。
これらのチューリップは植えっぱなしのため原種に近い状態に戻って行ったのか、あるいは元からこういう色だったのか聞いてみたい。

そして、うちの花壇のチューリップが来年どんな色になるか、楽しみだ。



写真はチューリップとは関係なく、秋の徳島県上勝町で。
ここにも花好きのおばあちゃんがいて、庭や畑や小道のあちこちに花を植えていた。木には2つのやかんをぶら下げてここにも花。ちょっとお洒落。でも植えた御本人はきっとそういう効果を狙ってこうしたわけではないと思う。


ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ



白梅咲く石垣 徳島県

2015-04-12 | 山里

しばらく日本の村風景を。

徳島県の山間地。たぶん剣町あたり。
山間に3、4軒ぐらいがかたまって、ぽつり、ぽつりとあるようなところ。
本当に急傾斜地で、道から家に上がっていく道も、車で行くのは怖いぐらい。
近くには店も全く見られない。
そのあたりのあちこちが、消滅間もないだろうと思われた。
若ければ山奥暮らしもいいけれど、ちょっと年をとれば不安。
けれど昔はみんなそれを普通のこととして暮らしていたのだ。

日々家のまわりを手入れしなければ、あっというまに家屋敷も山に戻ってしまうだろう。
そういう山奥の、自然とともにある静かな暮らしには憧れるけど、残念ながら私には無理だと思う。
また、12軒ぐらいで協力し合っていられればいいけど、1軒減り、2軒減り、ということになれば、残る人たちの生活も立ちいかなくなっていくだろう。いくら通信や電気や車があっても。

こんな厳しいことを書こうと思っていたわけではなかった。
ただ、山間地でこうして美しく暮らしている人たちがいるということ。


写真/徳島県(2014年) View in a village in Tokushima-Pre.,Japan

ブログランキング参加中
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 緑の暮らしへにほんブログ村


高遠の桜は遠し

2015-04-11 | めぐる季節と自然

茨城県の海岸でイルカ150頭。
絶命したイルカは埋められたとか。
なんで埋めますかね……。
日本は平和で、平和すぎて大丈夫かなと思う。


写真は数年前のもの。4月中ごろ。長野県高遠はコヒガンザクラの名所で、東海地方では知らない人はないぐらい。
城跡に一面に桜が植えられていて、桜の海のよう。観光客もそれなりにたくさんいる。
高校生の頃、母が職場の慰安旅行で行って、見事だったと本当に感激して帰ってきた。
あんなに感激した母はほかに思い出せないぐらい、嬉しそうだった。
それから何十年もして、やっと行くことができた。

春の一日、ぶらぶら歩くにはうってつけ。花見しなきゃ、日本人だから。


ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ




生きている裏界線 生きていない裏界線

2015-04-10 | 山里

長野県飯田のまちの裏界線(前の記事参照)をあちこち歩いてみて、意外と使われていないなと感じた。
裏小路ってもっと人が日常的に歩いていそうな気がする。
そもそも、飯田のまちには裏界線でなくても人影がほとんどない。みんな車を利用していて、歩くということがないのだ。これは飯田に限ったことではない。うんと山間地に行くと、車どころか、とにかく人がいない。
人間もっと歩かなければだめだと思う。知人がアメリカの田舎町に滞在していたとき、買い物に行こうと歩いていると警察に呼び止められ、危険だから車に乗るようにと言われたそうだ。怖い世の中である。

話を戻すのだけど、使われていなさそうな裏界線は「生きていない」という感じが漂う。
けれど、「生きている」と感じるところも少しはある。そういうところには人の気配がある。



家の敷地から道にあふれるモノ、モノ、モノ。
あまりあふれ過ぎると道として機能しなくなるから問題だろうけど、こんなモノが並んで人の気配のあるところでは、道がきれいに掃かれている。いや、道が掃かれているから人の気配を感じるともいえるだろう。
生きていない裏界線には小さなゴミなんかが結構落ちていた。

「掃く」という行為はやはり大事だなと実感する。物理的にきれいにしているのだけど、風水的には浄化しているのだと思う。そういうところには、いい気を感じる。



ブログランキング参加中
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 緑の暮らしへにほんブログ村


裏界線という小径 飯田のまちで

2015-04-09 | 山里

先日長野県飯田のまちを歩いたのは、裏界線(りかいせん)という家の裏の細道を見るため。
大火で何度も町全体が焼け野原になった飯田は、今後そういうことがないようにと、家並みの裏に細い道を造り、延焼を防いだ。各家が数十センチずつ供出(町に寄付)して造ったという。この道は、災害時に避難路とすることも目的としていた。

あるところでは、家の人が道にたくさん鉢植えを並べ、手作りらしき「道祖神」まで置いて、道行く人を楽しませている。





写真/長野県飯田市の裏界線

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

海苔つくだ煮のおにぎりと、手の上のおにぎり菌

2015-04-08 | たべもの・台所

珍しくお昼におにぎりを作って食べる。
芯は海苔のつくだ煮。ほかに手ごろな具がなかったので、たまたま残っていたのを入れた。このつくだ煮は買ってきたのではなく、お正月に海辺の親戚にもらった生の海苔を、おしょうゆと砂糖で煮て瓶詰にしておいたもの。生の海苔って普通の人はあまり食べたことないだろうと思うけど、磯の香りがして本当においしい。海辺の親戚のありがたさ。
おにぎりを板海苔で包むとき、一瞬しまったと思った。海苔の芯のおにぎりを海苔で包むって、なんか芸がない感じがする。

コミックを読みながら、そのおにぎりをパクッと食べた瞬間、読み進んだまさにその部分に海苔のつくだ煮のおにぎりが登場したので、本当にびっくりした。
こんなシンクロってあるんだろうか。偶然なんだけど、珍しい偶然過ぎる。
海苔のつくだ煮のおにぎりなんて、あんまりポピュラーではない。

そもそもコミックを読むことなんてまずないのだけど、料理がテーマのマンガで、長野県の下栗というところの話題が2回ほど登場すると知ったので、そこが読みたくてわざわざ買ったもの。その1冊目を読み始めていた。

買ってみてびっくり。全然予期していなかったけど、まずご近所の串原が出てきて、こんにゃくの話題。私の知人がこんにゃくを造って売っている。よくよく読むと舞台は名古屋で、しかも私の母校らしい。主人公は地理学の研究者。
それがちょうどいま別に読んでいる地理学系の本を具体的に説明するような内容……。参考になりすぎる。
しかも今日の私の仕事は、料理のレシピ関係。内容も重なりすぎ。休憩しようとふとコミックを手に取ると、あまり気分転換にはならない。
人との出会いと同じように、こういう出会いってきっと自分で知らず知らずに仕組んで呼び込んでいるんだろう。


ところで、おにぎりの海苔は、私はあらかじめ巻いてある方が好きだ。コンビニができてから、海苔は食べる直前に巻く方がいいというのが日本のスタンダードになってしまったような気がするけど、海苔は温かいご飯に巻いて少し時間が経つとうまみが出てくる。冷たいご飯にパリパリの海苔を巻いてもうまみは出ない。そもそも、海苔はおにぎりを携帯するために巻くものであって、海苔で巻いてからラップで包むなんて邪道だと思う(けどときどきやる)。

前にも書いたかもしれないけど、おにぎりがおいしいのは、手の平におにぎりをおいしくする菌がいるのだと思う。誰か真剣に研究してくれないだろうか。御飯に塩をかけ海苔で巻いてお箸で食べても、おにぎりほどおいしくはならない。手で握ることでおいしくなっている。

人間の手のひらには菌類がいて、まとめて掌上菌(しょうじょうきん)というと健康関係の研究者に聞いたことがある。手を洗いすぎると、ばい菌をやっつける菌もなくなるので、病気になりやすいということ。
梅干しは若い娘が漬けるほうがおばあさんが漬けるよりきれいな色に染まるとか。あの人が漬けるお漬物はおいしい、とか。
花を育てるのが上手な人を英語で「グリーンフィンガーを持っている」というらしいが、あながち、ものの例え的表現ではなく、本当に手の上に植物を活性化させる菌がいるかもしれない。

手の上のおにぎり菌が素人の馬鹿げた妄想に過ぎないのだとしたら、誰か、そういうものがいないことを証明して、私の気持ちをスッキリさせてほしい。

写真/水菜の花

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ


狭い土地を利用する固い意思 飯田のまち

2015-04-07 | 山里

長野県飯田市。
前の前の記事で掲載した写真再掲。

この家の足元には川が流れています。画面左端(下の方)、木の葉の茂みの下の暗いところが川。それに途中でふたをして、茶色のトタンの家の前では川は暗渠となっています。
その川のふたの上に土を盛ったのか、完全に畑になっています。
涙ぐましい努力。というか、ちゃっかりしてるというか。本来この土地はだれのもの?
そんなことはいいです、耕してください。



この家も崖のハラに建っている。左側に、階段。そしてこの無理な斜面に、掛家で家を建て、さらにそれで余った小さな隙間に、何が何でも建物建ててやろうという固い意思。不思議な角度の壁と屋根。おそらくことは農地だったのでしょう。きちんと石積みやらコンクリートの土止めやらがしてあります。そこに、必要が生じて倉庫のようなものを建てた。下の2枚のテラス(農地)は今は使ってないようですが、除草はしてあります。何かのステージにできそう。あるいはガーデンにしたらかっこいい。


そもそも飯田の人たちはどうして崖にまで家を建てているのだろう。
そんなに土地が狭い? とも思いません。
例えば神戸なんかに行くと、海と山にはさまれて本当に狭い所にたくさんの人がぎっしり住んでいる。
一戸建てでも敷地30坪以下の家はいっぱいあって、まるで細く切ったケーキのように家が立ち並んでいる。もちろん傾斜地を利用しています。

けれど飯田はもっとゆったりしています。人口が少ないのだから。
一番オーソドックスな考え方としては、平らなところ、緩傾斜のところは農地として利用したいから、家は厳しい条件のところに建てたということ。
たとえば山間地の空の狭い所では、日当たりのいいところを農地にして、日陰に家を建てているのがよく見られます。
それにしても、こんな崖に家を建てるかな?????と不思議に思っています。


写真/長野県飯田市 2015年3月

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

桜とスモモが満開

2015-04-06 | めぐる季節と自然

朝目が覚めたらけっこうな雨。大阪に出かけようか迷う。けれども、世の中には雨でも働いている人はいっぱいいるのだし(普通は雨だからといって仕事を休まない)、と心にむちうって家を出た。
駅まで歩いていったけど、どうにも気が進まなくて、やっぱりやめた。
どうしても気が進まない日ってある。そんな日に何かやったってろくなことにはならない。
ちなみに、依頼された仕事ってわけではないので、仕事に穴をあけたわけではない。

というわけで、駅からの帰り道。
大阪に行く代わりに稲荷神社の桜を見る。ちょうど満開。見られてよかった。
この桜は5年位前、テングス病で花付きが悪くなっていた。けれど、またよくなってきている。誰かが治療したのか、自然治癒したのか。普通は薬剤を入れないと治らないと聞いている。



この場所から国指定重要文化財「坂本のハナノキ自生地」を遠望するきれいに赤くなっていた。そこではシデコブシも満開。その写真はなし。
田んぼの横で、色の濃いハルジオンの蕾を見る。こんなかわいらしいピンクって、自然の中にあまりないような気がする。



一番上の写真と、この下の写真は、4日前の記事の場所。
水仙は終わりかけているけど、白いスモモらしき花と、ピンクの桜-ソメイヨシノではない-が満開の、2日前。





大阪で聞きたかった話は、関連の文献を探して読むことで解決した、ことにする。

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ





キャベツの再生

2015-04-05 | 植物

キャベツをさかさまにして置いておいたら、芽が出てきました。
菜の花が咲きそうです。

でも、昨晩、芽をとって食べてしまいました。
残りのキャベツ本体は冷蔵庫に入れました。
芽が出た分だけ、本体の栄養と水分が奪われていることでしょうから、これ以上は困ります。

キャベツの芯の部分を土に埋めておくと、また芽が出てキャベツが育つとは聞いていたけど。



仕込中のチューリップ、昨日の様子。花が咲いてきました。



ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

河岸段丘のまち飯田

2015-04-04 | 山里

藻谷氏は熱いね! ……報道ステーションを見て。

さて

長野県の飯田市のことです。
先日、建築学&まちづくり系の行事で、飯田のまちを歩きました。

飯田は河岸段丘がすごいところで、町中いたるところに段丘崖があります。
初めはよく分からなくて、車で走っていても、「さっき崖があったのに、また崖があって……戻ってきちゃったのかな」などと思っていた。実は5段ぐらい段丘があるということなのです。

すごいと思うのは、その段丘崖の側面を平気で住宅地にしちゃってること。崖に住むかな??とびっくりします。崖に横穴を掘っているわけではありません。掛家づくりというものです。横穴掘った方が早そうなのですが。

右上にも家、左下にも家。
路地を歩いていくといたるところに急な階段。猫専用?と思うような。
小さな幅のものだからこそ、人の暮らしている息遣いを感じます。こんな崖の側面に。
とはいっても、この裏道は今はあまり人が歩いてはいなさそう。
年をとったら転びそうで怖いですね。







家の間を降りていった先は小さな川。とはいっても三面張りの用水状。







この用水きわの部分は河岸段丘ではないかもしれませんが……。
家は3階にも4階にもなっています。おそらく一番下は住居ではなく倉庫などにしているのではないかと思います。
家が傾いているのは、私のカメラが傾いているせいです。
家を建てていないところも果樹や野菜を植えてきっちり土地利用しています。

ブログランキング参加中 にほんブログ村 
田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

チューリップ仕込中

2015-04-03 | 山里

春の海ひねもすのたりのたりかな

と誰かが詠んでいますが、春の山も眠そう。これは10日ぐらい前の恵那山。
冬の眠りから覚めたばかりだから、まだ眠いのでしょうか。
今日あたり、かなりしゃきっとしています。



郵便局の帰り道。道に向いた庭にチューリップ仕込中。この写真も2週間ぐらい前だから、そろそろつぼみが出ている頃でしょうか。
この家の屋敷は広くてとても立派です。
正面には和風庭園があって、きれいに刈り込みされています。これだけ刈り込むの大変でしょうね。
日本の庭は、メンテナンスがほんとに大変。サツキが咲くころまた見たい。
そして私がこの家に憧れるのは、背後に山を背負っているから。北側に林のある家は落ち着きます。





奥の和風庭園の植木の下にもチューリップが仕込まれてます。球根が増えちゃったから進出したのか。
なんだかほほえましいのです。

ブログランキング参加中
にほんブログ村 田舎暮らしのブログ一覧へ 緑の暮らしブログ一覧へ

水仙の小径

2015-04-02 | 山里

郵便局まで歩いていくのが好き。10分ぐらい。その帰りに、ちょっとまわり道してくる。
昔からの落ち着いたたたずまいの家々が並んでいる。
道幅も車1台通る程度のもので、実際ここに住んでいる人の車しか通らない。
歩いていて心地よく感じる道幅。
道って狭い方がいい、と教えられる場所。

この辺は農家の集落ではない。だから農作業小屋とか大きな蔵なんかはなく家も昔の養蚕農家のようにでーんと大きいのではない。昭和の香りの、おそらく昭和40年代~60年代ごろに建ったような民家。
でもどこも庭が広くて菜園があって、ゆったりしている。

きっちりと作られた日本庭園じゃなくて、奥さんやおばあちゃんが心の向くままに花や花木を植えているような、のびのびした庭の風情。堅苦しくなく、見ていて心なごむ。
道と敷地の間に硬い塀を建ててるところなど1軒もなく、低い垣根越しにお庭を見放題。
これらのお庭は、プライベートな閉鎖された家と道路を結びつけているエリアであり、庭自体も個人的なものでありながら、集落の景色を作っている。そこを通る人に与える影響は大きい。視覚的には半ば公共的な(集落で共有しているような)エリアだと思う。

お庭をきれいにしている人が住んでいる集落は幸運だ。
ここのあたり、22年前に越してきたときは本当にうっとりするきれいさだった。
今は見馴れてしまったのか、あるいは少し荒れてきているのか。
けれど毎年春には水仙がとてもきれいに咲く。

こういうところを通るたび、うちも庭をきれいにして周りの人に貢献したいものだと思う。
なかなか実現しない。







ブログランキング参加中
田舎暮らしのブログ一覧へ にほんブログ村